34.赤い森で、魔女は嗤う~2~
目が見えるようになってから三日が過ぎた。色のある世界にも慣れてきて、文字も随分と覚えた。香りや感触でしか判断できなかった花たちの種類も、色や形で分かるようになってきた。書庫の本も読めるものが増えた。
今日は何をしようか。そんなことを考えつつ書庫に向かう。何かやりたいことが見つかるのかもしれない。
書庫の扉を押し開けて中に入ると真っ直ぐ階段に向かい一階に降りる。二階にある本はこの三日間で一通り目を通した。その中に参考になりそうなものはなかった。が、一階はほとんど手つかず状態だ。何かあるかもしれない。一番端の本棚から目を通す。この辺りはほとんどが精神魔術の項目だ。あの女に何か出来ないかと思い適当に見繕ってあの魔術を使った。そのため、ここもほとんど目を通していない。
きれいに並べられた本の背表紙を指でなぞりながら、本の題名を目で追っていく。
身体魔術学、夢見魔術の基礎、人形の造り方……。今すぐできそうで尚且つ興味を引いたものはなかった。反対側に回って同じように本を指先でなぞる。
二つ目の本棚、三つ目の本棚、四つ目、五つ目と目を通していく。
六つ目の本棚に差し掛かったところである題名が目に飛び込む。題名は『薬学基礎』。それを手に取り、ぱらぱらとめくってみる。どうやら題名そのまま、薬についてのことが記述されているようだ。薬の起源、使い方、作り方などなど。そのほとんどが植物に由来する内容だった。これならできるかもしれない。
そう思い、『薬学基礎』の本を持って更に奥に向かう。一番奥の本棚から適当に植物図鑑の本を引っ張り出し、書庫を出た。
小さい鞄を肩にかけて、玄関に向かう。
「アセ……」
友の名を呼ぼうとしてやめる。たまには自分の足で森の中を歩くのも悪くないかも、などと思い、玄関の扉を開けて外に出た。
図鑑と『薬学基礎』を開きながら辺りを見回す。二つの本と周辺の植物を順にみながら、一般に『薬草』と言われるものを探す。
「あ」
それらしきものが見つかると、早足で近づいてしゃがみ込む。じっくりと観察してから、プツリ、と根元から摘む。
今まであまり思ったことがなかったが、こうして薬草と意識して手に取ってみるとなかなかに鼻につく臭いだ。
この臭いを出している成分がきっと薬になるのだろう。
「おい」
突然、後ろの方で声がした。声のする方を振り返ってみる。そこにはキラキラとした服を着た男と、数人の兵士の姿があった。
「誰ですか?」
立ち上がってその男たちを見据える。すると周りの兵士たちが口を開いた。
「お前、無礼だぞ! この方はこの国の国王、ランディ国王陛下だぞ!」
「え?」
知っていた。その名前を聞いたことがあった。レヴォルの存在が自分の中で肥大化していて、彼の存在が小さくなっていた。
「お兄様? ランディ……お兄様ですか?」
いつの間にか、自分の足はランディのもとへと駆け寄っていた。
「お兄様! またお会いできて嬉しいです! 覚えておいでですか? 私です! テレーズです!」
そう言って彼の胸に飛び込む。が、次の瞬間顔をうずめていた彼の胸が一気に遠のく。肩のあたりに残ったその感覚をぼんやりと感じながら、突き出された彼の右腕を眺める。
「え?」
「やはり……お前が魔女で間違いなさそうだな」
ランディが言う。するとランディは手で兵士たちに何かを指示した。兵士たちはそれを見てこちらに駆け寄り、槍の切っ先を向けてきた。
「お兄……様?」
「黙れ、『森の魔女』。お前たち魔女のやり方は知っているぞ。妹に化けたところでその内にあるどす黒いものまでは隠せまい。……俺の妹は、テレーズは何処だ!」
なにを……言っているのだ、彼は。
「わっ、私が! 妹のテレーズです! よくご覧になってください!」
懸命に訴える。
「うるさい! 俺の妹を騙るな! 俺の妹は……目が見えない! そんな風に、前を見据えることなどできん!」
「こ、これには理由が……!」
「黙れ! 嘘をつくな!」
なぜ、信じてもらえないのか。自分はテレーズだ。正真正銘彼の妹だ。なのに、なぜ彼は分かってくれないのだ。
「嘘なんかじゃありません! 私はテレーズです! 正真正銘、あなたの妹です! お兄様!」
するとランディは今までで一番大きな声を上げた。
「魔女風情が俺を兄と呼ぶな!」
森の中がびりびりと振動する。
「殺せ。その女を、『森の魔女』を殺せ。これ以上は耐えられん。不快だ」
「ちょっと待ってください! お兄様! ですから私は……」
そこまで言ったところで言葉が途切れた。
首から下に、感じたことのない感覚が走り、足跡のように居座り続ける。熱いような、冷たいような、よく分からない感覚。
「え?」
顔を下に向けて体を見る。何本もの槍が胸やら腹部やらを貫いていた。
顔を上げる。ランディの姿が映った。その顔は笑っていた。
――ああ、彼は、私が死ぬのを望んでいたのか。
――そんなに、私が邪魔だったのだろうか。
「あなたのお兄さまも同じ。目の見えない女の子を助ける自分が可愛くて仕方がないのよ」誰かのそんな言葉を思い出した。誰の言葉だろう。
ランディは最初から、自分のことなどどうでもよかったのだろうか。いや、ランディだけじゃない。レヴォルももしかしたら……。
少しずつ視界がぼやけ始める。頬を生暖かいものが伝う。
なぜなのか。なぜ自分はこうも他人から見捨てられ、裏切られるのか。一体誰が、自分にこんな運命を押し付けたのだろう。許さない……。絶対に許さない。兄も、あの女も、城にいた連中も、何もかも全て。許さない。全員壊してやる。いや、壊すだけでは面白くない。さんざん利用してから苦しませて殺してやる。殺してやる。殺してやる殺してやる殺してやる。
「殺してやる」
いつの間にか口が勝手に動いていた。
「なっ……! こいつ、生きて……!」
そう言いながら兵士たちが槍を引き抜き、それぞれがまた別の場所に突き刺す。
熱い。突き刺されたところが燃えるように熱い。こいつらも許さない。全部全部、壊してやる。
「アセナ」
小さく友の名を呼ぶ。
影から体長六メートルにもなるフォレストウルフが飛び出す。
「な、なんだ!?」
兵士たちは刺したままの槍を手放し、ひっくり返る。
その兵士たちに向かって、アセナが咆哮を轟かせる。森全体が震える。まるで森が怒っているかのように。こいつらを許すまい、とでも言うように。森がざわめき、その奥からは無数の殺意が顔を覗かせる。低い声で唸るそれらは、徐々に獲物を追い詰めるように迫り、牙をむき、闇に無数の星を作り出した。
「ば、化け物め!」
威勢よく言いながらも、兵士たちはいまだに地べたに座り込んでいる。
化け物。そうかもしれない。自分たちは化け物だ。
「お、おい! お前たち、何をしている! 俺が逃げる時間を稼げ!」
ランディの叫ぶ声が聞こえる。その表情は、先ほどの笑った顔とは打って変わって、恐怖に歪んでいた。
「アセナ。お腹……空いてるでしょう? あれから食べていいわよ」
そう言ってランディのほうを真っ直ぐ指さす。
その顔に映る色は恐怖から絶望へと変色し、その声の色は、怒りから怯えへと変わっていた。
「悪かった! 俺が悪かった! お前を信じる! お前は俺のい」
――グチャリ。
「ふふっ、アセナ、味わって食べてね?」
アセナは口元をその瞳と同じ色に染めながら、歯の隙間から赤い糸を垂らしている。その食べこぼしに、無数のフォレストウルフたちが群がり始める。
「あなたたちは……私が殺してあげるわ」
座り込んでいる兵士たちを見回して言う。適当に一人の前に歩み寄る。
「くっ、来るなぁ!」
その言葉を流して兵士の前にしゃがみ込む。
「あなたは……どうやって死にたい? 氷漬けにされたい? 炎であぶられたい? 全身の血を抜かれたい? 雷に打たれたい? それとも別の何か?」
そう言いつつ手を伸ばす。
「やめろ……やめてくれ……」
伸ばした手が額に触れる。指先に力と、恨みを込めて、古代語の呪文を口にする。
「焼き切れて」
静かな声で呪文を唱える。
「が…あぁぁぁぁぁぁ!」
断末魔を上げた後、パタリと白目をむいて兵士が倒れる。
「ひっ、ひぃぃい!」
兵士たちがしりもちをついた状態で後ずさる。中には、一歩も動けず、失禁しているものもいた。
「一人ずつやるのも面倒ね」
手のひらを上に向けて前に突き出す。
「集めて」
言いながら前に突き出した手を、ぐっ、と握りこむ。
すると兵士たちが吸い寄せられ、一か所に団子のようになって集まる。
「な、何をする気だ!」
「何でもいいじゃない。もう死ぬんだから」
両手を地面につける。
「土魔術」
兵士たちの周りの地面が盛り上がり、兵士たちを囲んで完全に閉じ込めた。
「炎魔術」
土のドームの周りが炎に飲まれ始める。
それは徐々に燃え広がり、辺りを真っ赤に染める。
「やめろ! やめてくれ! 熱い……熱い……あああああああ!」
「誰か……助けてくれ……誰かぁ……」
いくつもの断末魔が聞こえた。そうだ、もっと苦しめ。もっともっと苦しめ。苦しめ。苦しめ苦しめ苦しめ。
苦しんで死ね。
気がつけば断末魔は聞こえなくなっていた。その代わりに後ろでアセナが唸る声が聞こえた。
振り返ると口元を血で濡らしたアセナがちょこんと座っていた。
「こんなに口元を汚して……お行儀が悪いわ。今洗ってあげるから」
にっこりとした笑顔でそう言いながら家のほうに向かう。アセナもそれに続く。
「それとねアセナ。一つお願いがあるのだけれど。私を王都まで連れて行ってくれない?」
そう言った少女の瞳には血以外の色は何一つ映り込んではいなかった。
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