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赤い夜に、魔女は泣く  作者: 与瀬啓一
第2章~森に向かって~
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32.盲目の少女~2~

 テレーズはいつもよりも心が躍っていた。


「お誕生日パーティー……とても楽しみだわ」


 ぼそりと呟く。


 つい先ほど、兄のランディが自分の部屋の前までやって来た。会える時間ではないはずだが、大丈夫だったのだろうか。


 どうやら、レヴォルを含む兄二人が、自分の誕生日パーティーを開いてくれるらしい。それもどうやらかなり大規模に、だ。


 今までは誕生日と言えば昼間に兄の部屋で小さなケーキを食べることだった。プレゼントも貰った。それだけで正直に言うと、満足していた。自分の生まれた日を祝ってくれる人がいるというだけで嬉しかった。


 それまでは、自分は生まれてきてはいけない人間だと思っていた。いや、実際そうだったかもしれない。小さい頃は分からなかったが、今考えてみると自分の存在はこの国にとってはあまりよろしいものではない。


 そんな自分を、兄たちはとても可愛がってくれた。自分にとってはこれだけで十分だった。



 開いている窓から外のほうに顔を向ける。冷たい風が頬を撫でた。


 色々な音が聞こえてくる。フクロウの鳴き声、兵士のしゃべり声、草木のざわめき、王都に住む人々の生活音。少女にとって耳が目の代わりをしていた。今日の音はなんだかいつもと違って聞こえた。それらの音も、自分の誕生日が来ることを祝っているかのように。


 手探りで窓を閉めてベッドに潜り込む。布団の中で顔をふにゃりとほころばせる。


「とっても……楽しみだわ」


 もう一度、噛みしめるようにその言葉を繰り返した。




§




 それからの日々は少女にとっていつもと違うもののように思えた。兄の声でさえもいつもと同じのはずが、はずんでいるように聞こえた。普段はなかなか会うことのないレヴォルにも会うことが出来た。


 彼といる時はなぜだか少し緊張する。昔はそんなことを思わなかった。そう思うようになったのはつい最近になってからだ。


 その時になって、その気持ちが恋心だということに気がついた。


 自分の好きな人と共に過ごせる時間は、普段、塔で一人の彼女にとってとても幸せな時間だった。


 少女は前にもまして明るく、元気になった。その様を見て、城の中でも声をかけられることが増えた。



 誕生日パーティー当日。少女は真っ白なドレスを着て塔の自分の部屋で、迎えが来るのを待っていた。パーティ自体は九時からということになっている。先ほどドレスを持ってきたものが来たのが八時前だった。ということは現在、八時を少し回ったぐらいだ。


 パーティーが始まるまで一時間弱ある。


 特にすることもなく、ベッドにぺたりと座り込む。


 一体どのようなパーティーだろうか。どれくらいの人が来てくれるのだろうか。どのようなプレゼントを貰えるのだろうか。


 そんなことを考えながら窓の外で聞こえる音に耳を傾けていた。


 いつものように色々な音が聞こえた。いつもよりも少し賑やかな兵士のしゃべり声、どこかでフクロウの鳴く声、虫の鳴き声、風の音。


 その中に、聞いたことのない音が混ざっていた。何かが飛んでいる音、なのだが鳥の類ではない。もっと大きななにか。しかも音がどんどん大きくなっている。明らかにこちらに近づいている。


 ベッドから降りて、窓から少し距離をとって後ずさり。


「あ」


 その最中、バランスを崩してしりもちをついた。


 音はだんだん大きくなり、やがて止まった。


「あなた、こんなところで何をしているの?」


 声がした。聞いたことのない声。女性の声だ。


「そこに……誰かいるのですか?」


 そう言って窓のほうに顔を向ける。もちろん見えてはいない。だが、音がする方向で大体の居場所は分かる。窓の外に誰かがいるのは何となく知覚できた。


「こっちを向いてるのに、私が見えないの?」


「ごめんなさい。わたくし、目が見えなくって」


 すると、窓のほうから、なるほどね、と呟く声が聞こえた。


「あなたは……誰ですか?」


 謎の、おそらく人物に向かってテレーズがもう一度尋ねる。


「そうね。名乗るほどの名前は持ち合わせていないのだけれど。そうだわ、ファムとでも名乗っておきましょうか。そういうあなたは誰? ここで何をしているの?」


 ファムを名乗ったそれは少女が質問するよりも早くこちらに質問してきた。


わたくしはテレーズ。この国の王女です。今は……人が来るのを待っているの」


「誰を待っているの?」


「お兄さまが来るのを待っているの。今日はわたくしのお誕生日でね、お兄さま方がお誕生日パーティーを開いてくださるの。目が見えなくてひとりでは行けないから、ここでお兄さまが迎えに来てくださるのを待っているの」


 するとファムは不思議そうな声で尋ねる。


「こんな何もない塔の中で待っているの?」


「ええ。ここがわたくしのお部屋だから」


「何でここがあなたのお部屋なの? あなた、王女様でしょ? もっといいお部屋があるんじゃない?」


 テレーズが静かに口を開く。


わたくし、お父様が侍女に手を出して生まれた子供なの。それをこの国の王妃様はよろしく思っていなくて。目も見えないこともあり、よっぽど気に入らなかったんでしょう。閉じ込められるようにここに連れてこられたのです」


 テレーズがそう説明すると、ファムはそうだったのね、と小さく相槌を打った。


「でも、あなたの大好きなお兄さまは随分とあなたに優しいのね」


「ええ。お兄さまはとっても優しいのよ。お勉強を教えてくれるし、一緒に遊んでもくれるわ」


 そう言うとファムはフフッと笑う。


「素敵なお兄さまね」


 そう言われてテレーズは嬉しかったのか、ふふんと鼻を鳴らした。


「そうよ。お兄さまは世界一優しいのよ」


 そう、彼女にとって二人の兄は、優しさそのものだった。初めて自分に笑いかけてくれた。初めて褒めてくれた。初めて遊んでくれた。とってもとっても優しい兄なのだ。


「でもね、テレーズ」


 ファムが少し声を低くして口を開いた。その声の低さにテレーズは疑問を覚え、首を小さく傾げた。


「あなたの大好きなお兄さま、本当にあなたのことを想っているのかしら?」


「え?」


 少女が考えもしなかったことを告げられて、少女は困惑する。その様子を見ることもなくファムは続ける。


「あなたはお兄さまのお顔を見たことがないんでしょう? お兄さまは、あなたと接している時に、笑顔だと思う?」


「それは……」


 テレーズが口ごもる。確かに少女は兄二人の顔を見たことがない。笑った顔、怒った顔、泣いた顔、どれも知らないのだ。知ることが出来ないのだ。


「もし笑顔だと思っているのなら、それはあなたの思い過ごしよ。だってあなたのお世話、すごく大変そうだもの。たとえ笑顔だったとしても、それは無理やり作った笑顔よ。まあ目が見えない女の子に笑顔を作っても意味はないのだけれど」


 またもやフフッと小さく笑う。


「じゃあなんで……お兄さまは私に優しくするの?」


 少女が声を震わせながらファムに尋ねる。閉ざされた瞼の隙間から、一滴の雫が零れ落ちる。


「そんなの決まっているじゃない。ただの()()()()よ。人間っていうのは基本的に自分の事しか考えないのよ。自分の事しか考えないから罪を犯す、それを裁く法があったとしても、ね。

 あなたのお兄さまも同じ。目の見えない女の子を助ける自分が可愛くて仕方がないのよ。だからあなたに優しくする。それで優しい自分に酔っているのよ。ただの自己満足、偽善。そういう人間はこの世の中に飽きるほどいるわ。本当に心の底からのやさしさを持っている人間なんていないわよ」


 それは少女が思いもしなかったことだった。ファムの言葉の意味をまっすぐに飲み込むことが出来ないまま、ファムが続けるように言う。


「あなた、世間知らずみたいだから教えてあげる。……人間は悪よ。善性を持つ人間なんてこの世にいない。人間は総じて悪よ。あなたのお兄さまがどれだけあなたに優しくしても、その底に悪があるのを覚えておきなさい」


 ひとしきりしゃべり終わると、ファムは一つため息をつく。


「そんな、お兄さまが……でも、お兄さまは私にとって、一番、の……」


 先ほどよりも激しく声を震わせながらテレーズが口を動かす。両手を自分の腕に回しながらプルプルと震えていた。いつもは閉じている瞼を大きく開いて、ぶつぶつと口を動かし続ける。その目からは大粒の涙がとめどなくあふれていた。


 それを見たファムも少し気まずそうになる。


「あー。そうかもしれないって言うだけの話よ。もしかしたらあなたのお兄さまは、とってもとっても優しい人なのかもしれないわ」


 にっこりとした作り笑顔を少女に向ける。が、その作り笑顔は少女の瞳には映らない。


 届いたのは、ファムの優しそうに聞こえる声だけ。


「そう……そうよね。お兄さまが悪い人なわけがないわ。だってこんなにも優しいんだもの」


 そう言いながら少女は、見開いた目からは大粒の涙を流しながらも、口元だけは引きつるように笑っていた。


 その狂ったような表情を見て、ファムが部屋の中に入り少女の手を取る。


「きゃっ!?」


 突然手を握られて、少女が驚きの声を上げる。


「な、なに?」


 いつの間にか少女の顔は元に戻っていた。少女の手を握っていた両手をその顔のほうに伸ばし、両頬に触れる。


「あなた、私と一緒に来ない?」


 思いもよらぬ発言にテレーズが目を丸める。


「な、なんで?」


「それはまあ、あなたの為にもなるけど、ほかならぬ私自身の為よ。あなたのさっきの顔、とても気に入ったわ。とってもいい器になってくれそうだもの。魔術の適正もあるようだし」


 そう言ってファムがテレーズの手を引いて立たせようとする。


「待って!」


 テレーズの手を引くファムを振りほどきながら叫ぶ。


「さっきも言ったでしょう?わたくし、この後お兄さまが開いてくださるお誕生日パーティーがあるの。あなたについていくことは出来ないわ。それに、器とか魔術とか、なにを言っているのかもわからないし」


 ごめんなさいと言って少し頭を下げる。


 それを見たファムは少し残念そうな顔をした後、ニヤリと笑った。


「あなた、そのお兄さまのお顔、見てみたいと思わない?」


「え?」


「お兄さまの顔、どんなのか興味はあるでしょ?」


 少女は知らない。兄がどのような顔をしているのか。昔から興味はあった。しかし自分には無理だと、心のどこかで諦めていた。


 それに顔を見ることができなくても、なにも困らなかった。声が聞けるだけで幸せだったのだ。それなのに、今は無性に、兄の顔を見たい、という衝動に駆られていた。


「見て……みたい、わ」


「なら、私について来てちょうだい。そうしたら、あなたのお兄さまの顔、見れるようになるわよ。それに、目が見えるようになったあなたを見たら、きっと喜ぶんじゃないかしら。どう?ついて来てくれるかしら?」


 少女は少し下を向き、黙り込んだ。


 その様子を見て、ファムが少女の顔を覗き込む。


「お兄さま、喜んでくれるのよね?」


 不安そうにテレーズが尋ねる。


「ええ、きっと喜んでくれるわ」


「……わたくし、あなたについていくわ」


 その言葉と同時に、テレーズは自分の手を前に突き出した。


 ファムはにっこりと、しかしどこか不気味な笑顔を浮かべてその手を取った。


「そう答えてくれると思ったわ」


 テレーズの手を引いて窓を飛び出す。


 少し冷えた、夜の空気を裂くように魔女が少女を連れて夜空を駆け抜ける。


「空を飛ぶのは初めてよね? 気分はどうかしら?」


 少し後ろを振り向いて、自分に手を引かれて飛んでいる少女を見やる。


「とっても、とっても気持ちがいいわ。わたくし、このまま風になっちゃいそう」


「そう言ってもらえて嬉しいわ。外の世界はね、もっともっとあなたの知らないことで溢れているのよ」


 そう言いながらさらに空を飛ぶ速度を上げる。


わたくし、あなたについて来てよかったわ! きっと、ずっと塔に閉じこもっていたらこんな気持ち、ずっと知らなかった。本当に、ありがとう」


「なにも感謝されることはないわ。これは私自身のためだもの」


 そう言って、その魔女はまた、にこりと笑った。



 暫くして、二人はある場所に降り立つ。


「ここは何処なの?」


 テレーズが少し不安そうに尋ねる。無理もない。彼女にとって、これが初めての外界なのだ。ずっと城の中にいた時と違い、周りには多くの危険が潜んでいる可能性がある。


「ここは大森林よ。ここなら、あなたは視力を手に入れられるはずよ」


「大森林って……馬車だと二日ぐらいはかかるはずなのに。それをたった数十分で……」


 唖然とする少女の頭を撫でてファムが穏やかな声で言う。


「これも魔術よ。魔術が使えるようになれば大概のことはできるようになるわ。さっきみたいに空を飛んだり、あなたが光を見れるようになったり、ね。私が手を貸せるのはここまでよ。最後に一つだけプレゼント」


 そう言ってファムはテレーズの頭に手を乗せたまま、何かをぼそりと呟いた。


「何をくれたのかしら?」


「ある気持ちを少し強めただけよ。それにあなたが気付くのかは分からないけど。これで本当にお別れよ。申し訳ないけど、私のことは忘れてもらうわね」


 ファムがその言葉を口にした瞬間、テレーズがその場にばたりと倒れる。


「おやすみなさい、未来の大魔女。あなたが私の望む形になってくれることを期待しているわ」


 そう言い残して、ファムは闇夜に溶けるように消えていった。


 その場には、すやすやと寝息を立てている黒髪の少女だけが残っていた。




§




 漂う香ばしい香りに鼻をつつかれ、テレーズは体を起こした。


「目が覚めたかい?」


 横から声がした。少女が察するに、おそらく老婆だ。


「あなたは……?」


「私かい? 私はね、『森の魔女』だよ。森のすぐ外であんたが倒れているのを見つけてね、ここに連れてきたんだよ。ところで、何であんなところに倒れていたんだい? 名前は? どこから来たかわかるかい?」


 老婆が尋ねると、テレーズが小さな声で答えた。


わたくしの名前はテレーズ。この国の第一王女。……なぜ倒れていたのかは覚えていないわ」


 覚えていない。けれど部分的に覚えている。兄を、大好きな兄を喜ばせるために自分はあの塔を飛び出したのだ。どうやって飛び出したのかは分からないが。


 すると老婆は目を丸くする。


「こりゃ驚いた。まさか盲目の王女様だったとは。それにしてもまいったね。なぜ倒れていたのか覚えていないのかい? この大森林、王都からはだいぶ離れているよ? 本当に何も覚えていないのかい?」


 少女がこくりと頷く。


「ひとつ……」


 少女がぼそりと呟く。


「一つだけ覚えていることがあります。何をしなければならないのか……」


 すると少し空気を吸い込み、肺にためた空気をすべて吐き出すように、ゆっくりと、力強くそれを言葉に変換する。


「あなたに……お願いがあるのです、『森の魔女』さん。わたくしに……魔術を教えてください」


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