31.盲目の少女~1~
その少女は生まれつき、目が見えなかった。光を見ることのない真っ暗な世界。それが彼女にとっての全てだった。いや、もしかしたら、光という概念そのものが無かったのかもしれない。
少女の父親はある国の国王だった。母親はというと、その国の城で仕えている侍女であったらしい。少女が生まれてすぐに、その侍従は逃げるように城を出て行った。その後少女には乳母がつき、必要最低限の世話をした。
物心がつくようになると、必要なだけの教養を与え、乳母は少女のもとを去った。
その瞬間、少女は一人になった。城の中では多くの人間が彼女を腫れもののように扱い、遠ざけた。父親でさえも少女とは目を合わせようともしなかった。
誰とも会話をすることもなく、目を合わすこともなく、誰とも触れ合うこともなくなり、もともと根暗であった少女は、以前に増して暗い性格になった。
そんなある日、少女は父親に部屋に来るように呼ばれた。一人では行くことが出来ないため、その時の名目上の世話係が連れていくことになった。その世話係は、これが私の最後の仕事です、と言っていた。
少女が部屋に入ると、さらに奥の部屋に誘導された。何が起こるのか全く予想がつかず、少女の顔には心配の表情が浮かんでいた。
しばらく待たされた後、出てくるように促された。
世話係に手を引かれながら、後ろをついて歩くように部屋を出る。
これが少女と、二人の兄弟の出会いだった。
§
暖かな日の射す中庭でのこと。
「ランディお兄さま! このとってもいい香りのするお花はなんですの?」
そう言って黒髪の少女、俺の妹であるテレーズが摘んだ花を顔に近づける。
「それはプルメリアだよ、テレーズ。とてもいい香りだろう?」
「はい、とっても。なんだかこうしていると、とても心が落ち着きます」
この子、テレーズとは異母兄妹だ。父に紹介されたときは心底驚いたが。
俺も、弟であるレヴォルも驚きはしたが、それよりも嬉しかった。特にレヴォルは嬉しかっただろう。小さい時から弟か妹が欲しいと言っていた。
あの時父は、テレーズの世話を俺たち兄弟に任せた。半ば押し付けるように。嫌ではなかった。ただ、頼まれたときはなぜ自分たちなのか分からなかった。適当な世話係でもつけて、世話をさせればいいのに、とも思った。しかし、その理由はすぐに分かった。
この子は目が見えない。
すぐ後に父はそう言った。生まれつき、光のない世界にいるという話だ。その時、俺もレヴォルも放ってはおけないと判断した。そうしてテレーズの世話を始めた。
色々なことを教えた。城内でできる限りのことを。国の成り立ちを、食事のマナーを、人との接し方を、花の名前を。
楽しい日々だった。何物にも代えられない時間だと俺は思う。テレーズも、昔は暗い性格の少女だったが、今ではこんなにも明るくなっている。
七年間だ。七年間、そんな楽しい時間を過ごしてきた。
「お兄さま? 何か考え事ですか?」
テレーズに声をかけられてふと我に返る。
「ああ、すまん。ちょっとな」
その時、ゴーン、ゴーンと鐘がなった。
「三時を知らせる鐘ですわね。私、塔のほうに戻らないと。……今日も、塔に行くまでの間、私の目になってくださいますか? お兄さま」
「ああ、もちろん」
彼女の世話をしているからと言って、四六時中傍にいるわけではない。というよりも傍に居られなくなったのだ。世話を始めて一年が経った時のこと。母が合う時間を減らせと言ってきたのだ。理由を尋ねると、「あなたたちまで目が見えなくなっては、この国は終わってしまう」とのことだ。俺もレヴォルも反発した。親に反抗するのはあれが初めてだった。
結果から言うとダメだった。俺たち兄弟とテレーズの会う時間は制限された。
午前十時から午後三時まで。一日にこの五時間だけ、会うことが許された。それ以外はテレーズは塔に閉じ込められる形で生活している。
「ここまででよろしいですわよ、お兄さま」
テレーズがふと足を止めた。
「いいのか? お前の部屋までまだ少しあるが」
「大丈夫です。あとは壁伝いに部屋まで行けますから。……今日もレヴォルお兄さまには会えませんでしたね。またよろしくお伝えください。明日も、たくさんお話ししましょうね、ランディお兄さま」
テレーズはそう言うと、壁を伝って部屋のほうに歩いて行った。
その背中は少し寂しそうだった。
§
「おかえり。兄上」
部屋に戻るとレヴォルが帰ってきていた。
「なんだ、戻ってきていたのか。テレーズが会いたがっていたぞ」
「すまない。今日はどうしても外せない用事があって……」
そう言いながらレヴォルが机の上の紙袋を漁る。
「何か買ったのか?」
「もうすぐテレーズの誕生日だろう?」
レヴォルが何やら細長い箱を取り出す。
「ネックレスか?」
「正解。中身、見てみるか?」
レヴォルからその箱を受け取り、開けて中身を確認する。
「ペリドットか。テレーズの誕生石だからな。なかなかいいものを選んでくるじゃないか」
「そうだろう。なんせ特注だからな。これをテレーズの誕生日に渡そう。誕生日パーティーなんかも開いて」
誕生日パーティー。毎年、俺たち兄弟はテレーズの誕生日パーティーを開こうとしているのだが、なぜか会場の使用許可が下りない。きっとまた、あの母親が何かやっているのだろうと察しはつくのだが。
「誕生日パーティー、今年は開けるのか?」
「ああ。何とか許可が下りたよ。三日後の夜、城内の人たちを集めての盛大なパーティーだ」
「分かった。テレーズにも伝えておこう」
ようやく、テレーズの誕生日を盛大に祝える。そう思うと少し嬉しくなった。
城内でもテレーズのことを認める人が増えたということだ。あの子は賢い。きっとすぐに俺なんか追い越されるだろう。彼女の成長が嬉しいようで、少し寂しい。
もしかしたら、この国を引っ張っていくのはテレーズかもしれない、そう思った。
その日の夜、俺はテレーズに誕生日パーティのことを伝えに行った。時間外だが、扉越しなら許されるだろう。
「テレーズ、居るか?」
扉を小さくノックしながら言う。
「ランディ……お兄さま?」
小さな声で返事があった。
「そうだ。テレーズに伝えなければならないことがあって来た。扉越しで構わんから聞いてくれ。……三日後、お前の誕生日だろう。その日の夜に誕生日パーティーをするんだ。お前が主役のパーティーだ。来てくれるか?」
すると、扉の向こうからすすり泣く声が聞こえた。
「テ、テレーズ?」
もしかして、嫌だったのだろうか。
「ごめんなさいお兄さま。その、嬉しくてつい……三日後ですね。楽しみにしています」
「来て……くれるのか?」
「もちろん行きますとも。ありがとうございますお兄さま。こんなにも優しい兄を持つことが出来て、私は幸せです。今晩はもう遅いですし、この辺にしましょう? おやすみなさい、お兄さま」
その言葉を最後に部屋は静かになった。
「ああ、おやすみ、テレーズ」
小さく扉の前で言うと、俺は自室に向かって歩き出した。
§
三日後の夜、誕生日パーティーにテレーズは来なかった。主役が来なかったため、誕生日パーティーは中止。母が機嫌を損ねて終わった。
その日から、テレーズは姿を消した。城を出た痕跡もなく、忽然と姿を消したのだ。
俺はなぜテレーズが消えたのかを必死に考えた。その時、一つのことを思い出した。昔は魔女が人を攫っていたということが歴史書に書いてあった。魔女は現在も存在する。
もし、その歴史書に書いてあることが事実なら、もしかしたら、今でも人を攫う魔女がいてもおかしくはない。
そうだ。すべて魔女が悪いのだ。テレーズは魔女に連れ去られたのだ。許さない。絶対に許さない。
俺が権力を握ったら、まずは魔女を殺してやろう。
魔女は、この世から消えるべき悪なのだから。
今回の話は数少ない、ランディ視点で執筆しました。彼が何を思ってどうしてそんな行動をとるのかというのを知っていただけたらいいなと思います。