30.少しだけ昔のお話~3~
なぜこんなにも心臓がバクバクと音を鳴らすのだろう。
王都の商店街を走りながらその少年、レヴォルは不思議に思った。
あの少女に、「かっこよかった」と言われてからなぜか全身が熱い。おまけに心臓がバクバク言っている。まさか病気では。
「なんだろ、これ」
もし病気なら何の病気か医師に聞かねばなるまい。そのあたりの知識はまるで持ち合わせてはいないのだ。
「あ」
ふと思い出したように少年が立ち止まる。
「鍛冶屋行くの忘れてた。……ま、いっか」
また少年は走り出す。太陽は完全に沈み、いつもなら城に戻っている時間だ。さすがに心配されているかもしれない。
そう思い、いつもより速く走る。
§
「た、ただいま」
少年は小さく扉を開けて、自分と兄の部屋を覗き込みながら中に入る。
「大騒ぎしていたぞ」
本をぱたりと閉じて少年の兄が言う。その表情には若干の呆れが見えた。
「えっと……色々あって」
「どうせまたくだらん事だろう。それより林檎は買ってきたか?」
「あ」
そう言えばそうだった、と小声でぼやきながら頭の後ろを掻く。
「ごめん、兄さん。忘れてた……」
「そんなことだろうとは思ったが……よほど面倒ごとに巻き込まれたんだな。何があったんだ? 今日もお前の面白い話を聞かせてくれ」
笑みを浮かべながら少年の兄が言う。
少年も顔を輝かせる。
「今日はいつもよりもきっと面白いぞ」
にいっ、と笑って見せる。
「ほう、どんな話だ?」
「今日はある女の子に……」
トントン、と部屋がノックされる音が聞こえた。
「こんな時間に誰だ?」
少年が小声で兄に尋ねる。
「ローランだろ。さっきまでお前を探して駆け回ってたからな。探すのを諦めて、ここに来たんだろ」
するともう一度、トントン、とノック音。
「ど、どうぞ」
少し食い下がり気味に言う。
扉が重たい音を立てながら開く。
「なぜ一度目のノックで出てこなかった」
そう言って部屋に入ってきたのは、少々細めの、しかし威厳のある顔立ちの男性だった。
「父上!?」
少年が驚く。
兄のほうも口をあんぐりと開けたが、冷静に対応する。
「これはこれは、父上。どのような御用でしょうか?」
「……聞いているのはこちらだ。ランディよ。なぜ一度目のノックで出なかった」
父上、と呼ばれた男性が一歩前に出る。
「それは……」
兄が口ごもる。
「あ、あれです! 兄と少々談笑をしておりました。あまりにも話に花が咲いてしまいノックに気づけませんでした。お許しください、父上」
少年が咄嗟に補う。
男性は少し黙り、顎鬚をさすりながら、二人の顔を交互に見やる。
そして小さく笑みを浮かべる。
「仲が良いのは良いことだ。次からは気をつけなさい。それで、なんの用か、と聞いたな? ランディ」
「はい。父上がわざわざ私どもの部屋にお越しになるということは、よほど大事なお話なのでしょう」
「うむ。その通りだ。とりあえず私の部屋に来なさい。話はそれからだ」
そう言いながら部屋を出ていく。
兄弟は顔を見合わせた。
「なんだろう?」
「分からんが……相当大事な話だろう。行くぞ。レヴォル」
「ああ」
兄弟も部屋を後にした。
少し前を歩く自分の父親について歩く。
一体、何の話だろうと少年は考える。が、まったく分からない。少年は自分の父親を尊敬していた。きっと、おそらく、この国の将来にかかわる大事な話なのだろう、という考えに至る。
「入りなさい」
兄弟の父親が、自室の扉を開けながら言う。
「失礼します」
兄が背筋を伸ばして父親の部屋に入る。
「し、失礼します」
それに続いて少年も部屋に入る。
「そこに座りなさい」
部屋の中央のソファを指さされ、座るように言われる。
「いえ、この場で結構です」
兄がビシッと背筋を伸ばす。すると父親が小さくため息をついた。
「いいから座りなさい。これは王である私と、王子であるお前たちという立場での話ではない。私はお前たちの親として、話があるのだ」
兄弟は顔を見合わせ、駆け足でソファに腰かける。
「それでその……お話というのは?」
兄が父親に尋ねる。
「……まずはこの子を紹介しよう。入ってきなさい」
言いながら、部屋の奥の扉を見る。
それに合わせて、兄弟もその扉のある方に目を向けた。
扉が小さく開き、一人の侍女が現れた。その左側に一人の女の子。黒いつややかな髪色で、なぜか目を瞑っている。侍従に手をひかれるように部屋の向こうから出てきた。
「紹介しよう。この子はテレーズ。私の娘であり、お前たちの妹だ」