29.少しだけ昔のお話~2~
一人の少年がため息をつきながら呉服屋から出てきた。
その後ろを一人の少女がついて歩く。
「……おばあちゃん、ここにも居なかったね」
しょんぼりとした声で少女が言う。
「そうだなあ、街の人に教えてもらった呉服屋は全部見て回ったし……」
すると、少女がその青い瞳に涙を浮かべる。
「私、いらない子だから……おいて……行かれちゃったの?」
ぐすぐすと鼻をすすりながら少女が言う。
「だ、大丈夫だって! 僕が何とかするって言ったろ。だからそんなに泣かないで」
そう言って少年は泣いている少女を励ますが、この少年もどうしたものかと頭を抱えていた。
「……もしかしたら、行き違いになってるかもしれない。君のおばあさんも君を探しているはずだ。もうちょっと街の中を探してみよう」
「……うん」
服の袖で涙をぬぐいながら、少女はこくりと頷いた。
それを確認すると少年は夕日を背に、少女の手を握って歩き出した。
「ね、ねぇ」
「ん?」
「おばあちゃんを探すって言ってたけど、どうやって見つけるの?」
少女にそう聞かれると、あ、と小さく声を漏らす。何も考えていなかったのだろう。
「えーと、とりあえず街の隅から隅まで歩いてみる……とか?」
そんな誰でも思いつくような答えを少年は口にする。
「そうしたら……おばあちゃん、見つかる?」
期待の眼差しで見つめられ、少年は一瞬だけ言葉に詰まる。
「……大丈夫! 僕に任せて」
苦し紛れに、何度も繰り返した台詞を少年が口にした。
「……ほんとに、大丈夫?」
さすがの少女も心配しだす。無理もない。少年の進む道がどんどん狭くなってきている。
「だ、大丈夫だって。僕を信じて」
そう言っている間に、さらに狭く、暗く、人通りのない所に入り込んでいく。
太陽も沈みだし、狭い路地の中はほとんど夜と変わらないほどになった。
「……あれ?」
少年がようやく自分の置かれている状況に気づいた。
「もしかして、迷った?」
少女が少年の顔を覗き込む。
「あ、うん。ごめん。任せて、なんて言っておいて……」
少年が顔を俯かせる。こんなことになるとは思わなかったのだろう。
「私は……ちょっとだけ楽しいよ?」
「え?」
「怖いけど……ちょっと楽しい。絵本の世界みたいに冒険してるみたい」
そう言うと、少女が少年の両頬をべちーん、と叩く。
「痛っ!?」
少年も少女の唐突な行動に驚く。
「そんなに俯いてないで。おばあちゃんを見つけてくれるんでしょ? 元気出して」
少女が少年の目をまっすく見て言う。
そして、ふふっと小さく笑った。
「さっきとは逆だね」
「ほんとだね」
少年も笑顔で答える。
「それで、これからどうするの?」
「とりあえずこの路地から出よう。さすがにこんなところに君のおばあさんはいないと思うし」
「どうやって出るの?」
「それは……」
そこまで言いかけて少年は黙り込んだ。
「どうしたの?」
「しっ。静かに。変な音がする」
口元に人差し指を当てながら少年が小声で言う。右手は腰に提げられた剣の柄に伸びていた。
暗がりから響く不気味な靴音。コツ、コツ、とゆっくりと、しかし確実にその音はこの王都に敷かれた石畳を踏んでいる。
「誰かいるのか?」
少年がそこにいる誰かに声をかける。
しかし、返ってきたのは返事ではなかった。
暗がりに星のような光の点が現れたと思うと、その光の正体はすでに少年の目の前に飛んできていた。
――ナイフ……!!
少年は剣を鞘から抜き去り、間一髪のところでそのナイフをはじき返す。
キィン、という耳に刺さる音が空気を裂く。その直後、力を失くしたナイフは重力に従って、石畳に叩きつけられる様に落下した。
「おー。お見事お見事。将来は道化師にでもなるおつもりかな?」
闇の中から声だけが少年のもとに届く。
「誰だ。目的はなんだ。もしあなたが悪い人なら、王族として僕はあなたを裁かなきゃいけない」
すると暗闇の中から甲高い笑い声が聞こえた。
「捕まえる、だと? クク……クフフ……アハハハハハハ! 面白いことを言う小僧だな! 褒美に俺の目的だけでも教えてやろう。名前は主人の命で教えられないのでね」
その時、暗闇の中で、二つの赤い光が瞬く。
「その娘を寄越しなさい」
「わ、私!?」
いきなり自分のことを言われて少女が驚く。
「……この子が何をしたって言うんだ」
少年が闇の中にいる何かに問いかける。
「ハァ。そんなことまで答えてやると言った覚えはないぞ。随分とうざったいガキだな。……癇に障った。お前はここで死ね」
闇の中の二つの赤い光がフッ、と消える。
「なっ……どこだ、どこに行った!」
「ここだよ、少年」
少女の目の前、少年のすぐ後ろに突然男が現れ、ブスリ、と少年の腹部を後ろから刺した。
次の瞬間、少年が口から血を吐きながらどさりと倒れる。
「なんだなんだ、一丁前だったのは威勢だけか。もうちょっと遊べると思ったんだがな」
男の後ろでどさり、と音がする。
「嫌……嫌ぁ……」
少女がしりもちを突きながら後ろにズリズリと後ずさる。
「おっと、お嬢ちゃん。君には何もしないから、安心してくれ。大丈夫、おじさんについて来てくれるだけでいいからさ」
男が身をかがめて少女の目線でしゃべりかける。男は顔を微笑ませてはいたが、その口から発せられる声は、優しさのそれではなかった。
男が少女の手首をがしりと掴む。
「さぁ、行こうか」
男が少女を引っ張って無理やり立たせる。
「人の孫をどこに連れて行こうってんだい?」
どこからともなく声がする。
「誰だ」
「通りすがりの年寄りさ。それよりも……怪我したくなかったら、その子を返しておうちに帰りな、若造」
「お前……さっき孫と言ったな。ならばお前が『森の魔女』か」
「いかにも」
それを聞くと男は少女をつかむ腕を緩めた。
「今日はこれで引いてやる。あんたに喧嘩を売るほど馬鹿じゃないさ」
そう言い残すと、男は闇に溶けるように消えていった。
「大丈夫かい? コレット」
声を発しながら暗がりの中から一人の老婆が姿を現し、少女のもとへ近づいた。
「おばあちゃん!」
「よしよし。怖かったね。今度からはおばあちゃんから離れないよう、気をつけるんだよ」
「はい。ごめんなさい」
老婆は少年のほうをちらりと見た。
「怪我をしているね……コレット、治療しておやり」
すると少女はえっ、と声を漏らした。
「私……古代語魔術全然使えないし、現代語魔術も成功したことないよ……?」
「大丈夫。もしもの時はおばあちゃんが何とかするから。自分でやってみなさい」
「……分かった」
そう答えると、少年の腹部から流れる血で魔法陣を描き、小さく息を吸った。
「草木草花に宿りし精霊よ。汝らから溢るるその命をもってして、この者の傷を癒したまえ……」
少女が呪文を唱える。
すると、魔法陣が光りだし、少年の傷口が少しずつ塞がっていき、流れ出ているどす黒い血液はその動きを止めた。
「なんだい。できるじゃないか」
満足げに老婆が言う。
「成功……?」
「ああ。成功だよ。良かったねぇ、コレット」
老婆が少女の頭を優しく撫でた。
「あれ?」
少年がそう呟いて起き上がった。
「あれ? 僕、たしか後ろから刺されて……あれ?」
「目が覚めたかい? 坊主」
「えっと……あなたは?」
きょとんとした表情で少年が老婆の顔を見つめる。
「孫が世話になったね。ほら、あんたもお礼を言いなさい」
そう言って老婆が少女の背中を軽く叩いて、前へ出るように促す。
「えと……今日はその……ありがとう。すごく楽しかった……それと、その……かっこよかった、です」
少女が顔を赤らめながら言う。
少年はそれを聞いて、満面の笑みで答えた。
「僕も、楽しかったよ。ありがとう。それじゃあ、僕、もう行くから! じゃあね!」
そう口早に言うと少年は街あかりを目印に走り去っていった。
その後姿を少女が無言で見つめる。
「コレット、そろそろ帰るよ」
「うん。……ねえ、おばあちゃん。一つ聞いてもいい?」
「なんだい?」
「なんで私の魔術、成功したんだろう?」
少女が横を歩く老婆を見上げて尋ねた。
すると、老婆は少女の目線までしゃがみ込み、少女の胸に手を当てた。
「現代語魔術はね、ここが大切なんだよ」
少女が自分の胸にあてられた老婆の手と老婆の顔を交互に見てこう答える。
「……私、まだおっぱいないよ?」
「違う違う。心、もっと言えば気持ちだよ。現代語では伝わりきらない呪文を、気持ちで精霊に伝える。それが現代語魔術だよ」
にっこりとして老婆が言う。
「心を込めて魔術を使えってこと?」
「そういうことだよ。なに、コレットならできるさ。なんせおばあちゃんの孫だからねぇ」
「うん! 私も、おばあちゃんみたいなすごい魔女になる!」
少女は街に向かって大きく叫ぶ。
その声が少年に聞こえたかは、定かではない。