27.決意
――友達を失った。金髪の、少し年下の、妹のような友達。助けられるはずだった。なのに助けられなかった。
『それはお前に力がなかったからだ』
――大切な家族を失った。私の恩師であり私の目標。私の知らないところで息を引き取った。どうして会いに行ってあげなかったんだろう。
『それはお前が最低な人間だからだ』
――新しくできた友達に裏切られた。なぜだろう。話している時、すごく楽しかった。話が合った。どこで何を間違えたんだろう。
『全部だ。全部が間違いだ。お前の存在自体がこの世界における間違いだ』
――大好きな人の夢を壊してしまった。全くそんなつもりはなかったのに。どうして、こうも思い通りの方向に行ってくれないのだろう。
『全部お前が悪いんだ。お前さえいなければ彼は自分の道を歩むことが出来た。友達も家族も死なずに済んだ。彼女も嘘つきにならずに済んだ。全部全部、お前のせいだ』
――私の、せい。
『そうだ。全部お前のせいだ。お前は生きていちゃいけないんだ。存在しちゃいけないんだ。きっと彼もそう思っている』
――嘘だ。
『嘘じゃない。まぎれもない真実だ』
――そもそも何で私がこんな目に遭わなければいけないのだ。何も悪いことなどしていないのに。なんで。なんで、なんで、なんで、なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで…なんで…どうして私は生きているんだろう?
§
耳元で何かが聞こえる。森が発する静かな鳴き声に混ざってコレットがなにかをぶつぶつと呟いている。
「コレット?」
尋ねてみる。が、返事はない。
なんと言っているのか聞き取れない。少し立ち止まって、耳を澄ましてみる。
「生きていてごめんなさい。生きていてごめんなさい。生きていてごめんなさい。生きていてごめんなさい。生きていてごめんなさい。生きていてごめんなさい。生きていてごめんなさい。生きていてごめんなさい」
ずっとそう繰り返していた。明らかに様子がおかしい。
「コレット? どうかし……」
そう言いながらコレットの顔を覗き込もうとして後ろを振り返る。
目を閉じたまま、コレットはぶつぶつと未だに呟いている。閉ざされた瞼の隙間から細々と涙がこぼれ、頬を伝い、僕の肩辺りを濡らしている。
その向こう、後ろの方にある人物の姿が目に映った。
テレーズだ。テレーズが笑顔で手を振っている。が、その表情はなんとも形容しがたい笑顔だった。もっとも近いものを選ぶなら……悪魔のような……そんな感じだが。あれは、この世の人間が出来る笑顔ではなかった。
その表情に、僕は悪寒を感じた。身震いするほど恐ろしい顔だったのだ。
コレットの様子からするとおそらく、テレーズが何かしらの精神に作用する魔術を行使したのだろう。相当の恨みがこもっているように思える。
きっと僕のせいだ。僕はたぶん、テレーズに優しくしすぎたのだ。優しく接しすぎた。
人に優しくするのは、悪いことではない。善良な行いだ。だが、優しさを知らなかった彼女には度が過ぎた。僕や僕の兄は優しさを与えてしまったばかりに、テレーズは少しの嫌悪も許容できなくなってしまっていた。結果として、彼女は一人の女の子の心を追い込んでしまった。
「コレット」
小さく呼びかける。なおもコレットは小さな声でぶつぶつと「生きていてごめんなさい」と繰り返すばかりだ。
前を見て、少しずつ歩き出しながら語りかけるように言う。
「……僕の声が届いているなら聞いてほしい。生きていてごめんなさい、なんて、言わないでくれ。僕は、牢から脱出したとき、君だけでも生きていてくれたことが本当に嬉しかった。それに君と話せた時間が幸せだった。笑いあえた時間が幸せだった。一緒に居られた時間全てが幸せだった。僕に幸せな時間を与えてくれた。それだけで、充分な生きる意味じゃないか。少なくとも、僕は君に生きてほしい。だから……そんなこと、言わないでほしい」
ちらりとコレットのほうを見やる。
その瞼を下ろした表情は以前変わりなかったが、ぼそぼそと呟く口は動かすのをやめていた。
どうやら声が届いていたらしい。きっとテレーズの魔術の効果も切れているはずだ。
「そうだ、コレット。お腹すいていないか? 荷物の中にアップルパイがあるから……馬車に乗ったら食べるといい」
返事はなかった。
「コレット?」
もう一度呼び掛けてみる。が、結果は同じだった。息はしている。彼女の鼓動を背中越しに感じることもできる。
「コレット、何か言ってくれ……頼むから」
その呼びかけに、応える声はなかった。動きもなかった。ただただ、僕の背の上で揺られているだけだ。
「コレット……なあ、返事をしてくれないか……」
無視をしているわけじゃない。耳が聞こえなくなった、というのもおかしい。もしそうなら、彼女は今でもぶつぶつと呟いているはずだ。
届いていないのだ。きっと彼女の耳に入っている音は、この森の静けさ、僕の歩く足音ぐらいだろう。きっと……僕の声は彼女の内には響いていない。
「どうして……」
――コレットは変わってしまった。
――以前のように笑ってくれない。
――以前のように怒ることもない。
――以前のように涙を流すこともない。
――以前のように楽しく会話をすることもできない。
コレットをこの状態に追い込んだテレーズに対して、不思議と怒りは沸かなかった。込み上げてくるのは自分に対する怒り。
自分の無力さに腹立たしくなる。その腹立たしさを、歯を食いしばって抑え込んだ。
コレットの顔を見る。
まるで眠っているようだった。いや、死んでいるようだった、と言うほうが正しいかもしれない。眉一つもピクリと動かさず、呼吸も聞こえないほど小さく、口元は、笑うでもなく引きつるでもなく、ただただ無表情を作り上げていた。
もう一度、あの笑顔が見たい。もう一度、その口から声が聞きたい。ただそれだけだ。それだけの理由があればもう十分だ。自分の夢など捨てても構わない。
――僕は……彼女のために生きよう。