26.真実は夜に照らし出される
なんだか、一階が騒がしい。おかげで目が覚めた。
外はまだ暗い。そして、隣で寝ていたはずのコレットの姿がない。一人で何かやっているのだろうか?
少し心配だ。
ベッドから立ち上がり、コレットの部屋を出る。
階段を下りて台所を覗いてみた。
「コレット? 何して……」
言いかけて、明らかにその状況がおかしいことに気づいた。
コレットは床にうずくまり、近くに椅子が倒れている。
その横に佇む少女が一人。
見覚えのある黒髪だった。
「やったわ! 成功、成功よ! これで私も!」
黒髪の少女が叫ぶ。
「何で……君が……」
ぼそりと呟くと黒髪の少女がこちらを向いた。
「その声……レヴォルお兄様ですか?」
「テレーズ……どうして……ここに……」
その黒髪の少女は僕の良く知る人物だった。もしかしたら僕が最も彼女に詳しかったかもしれない。
彼女の名はテレーズ。僕の妹であり、この国の第一王女である人物だ。
喉から僕の思った言葉がそのまま飛び出した。
「これは……いったいどういう状況だ?」
§
突然、目の前が真っ暗になった。平衡感覚を失い、椅子から転げ落ちる。部屋の明かりが消えた、訳ではない。顔に何かが覆いかぶさった訳でもない。瞼はしっかり開いている。
それなのに何も見えない。際限ない暗闇。新月の夜よりも暗く、まるで飲み込まれるようだ。本当に、何も見えない。見えない。見えない見えない見えない見えない。何も。光さえも感じられない。一体、何が。
「やったわ! 成功、成功よ! これで私も!」
知っている声がした。おそらく、私をこの状況に追い込んだ張本人。何がどうなっているのか、問いたださねばならない。
喉から声を絞り出そうとする。が、声の出し方を忘れたかのように声が出ない。喉のあたりで詰まっている感じがして、言おうとしている言葉が言えない。「私から何を奪ったの?」たったそれだけのことが言えない。どうしようもなく倒れた椅子の横で床にうずくまっているだけだ。
「なんで……君が……」
また一つ、知っている声がした。レヴォルだ。私たちの声で目が覚めたのだろうか。
「その声……レヴォルお兄様ですか?」
今、信じられないことを耳にした。
レヴォルお兄様? アイラは今確かに、そう言った。確かにレヴォルには妹がいる。だが、アイラという名前ではなかったはずだ。
「テレーズ……どうして……ここに……」
さらに思いもよらない名前が聞こえた。レヴォルの声は、確実に、「テレーズ」と言った。
情報源が耳しか頼りにならない今、聞き間違えるなんてことはあり得ない。
これは一体。
「これは……一体どういう状況だ?」
自分の思案と同時にレヴォルが呟いた。
「やっぱり、お兄様なのね! また会えて嬉しいわ、レヴォルお兄様!」
その声と同時に、タッタッタッ、と短い足音。その直後に布と布がこすれあうような、誰かが誰かにもたれかかる様な、そんな音が聞こえた。
「本当に……テレーズなのか?」
「ええ。そうですよ、お兄様。ずっと、ずっと会いたかった……こうしてまた会えて、お顔も見ることが出来て……私とっても幸せだわ」
一連の会話を、私は黙って聞いていた。いや、聞くしかなかったのだ。どうやらアイラ、もといテレーズの言っていることはおそらく事実だ。レヴォルの反応から察するに、正真正銘、行方が分からなくなっていたという王女様だ。
兄妹の感動の再会なのだ。そこに部外者が入る余地などない。だが、私は我慢できなかった。確認しなければならなかった。彼女の口から、確かめねばならぬことがあった。
「私を……」
騙したの? そう言おうとした。が、それは叶わなかった。
「黙りなさい。泥棒猫」
テレーズがそう遮ったのに続き、彼女のものと思われる足音が耳から、床から感じ取れる。次第にこちらに近づいてくる。
足音が止まる。その直後、脇腹のあたりに鈍痛が走った。
「いっ……!」
衝撃で仰向けになる。続けるように腹部に重くのしかかるような痛み。
「うっ……!」
「泥棒猫は……泥棒猫らしく……大人しく……していなさいよ!」
言いながらテレーズは私の腹部を押すように蹴っている、と思う。
胃の中に溜まっているものが上がってくるのを感じ、慌てて口元を抑える。それからも、何度も何度もテレーズは私の腹部を蹴り続けた。
なぜ、こんなことになっているのか。一体私が、何をしたというのだ。別に彼女からは何も奪った記憶はない。過去に何かがあった訳でもない。ならなぜ。なぜ私はこれほどにまで、蹴られ、罵倒され続けているのか。
思考が、霧に隠れるように鮮明さを欠いていく。意識が少しずつ遠のいていく。
「やめろ! テレーズ!」
その声が霧を晴らした。
「……なぜですか。お兄様。こいつは、私から……お兄様を奪おうとしたのですよ? 生きていていいはずがない。ここで殺さなきゃ」
ドスッ、と腹部にもう一撃。
「ぐ……うぅ……」
テレーズの攻撃が一通り収まるのと同時に、私はずしずしと痛む腹部を倒れたまま抱え込んだ。
「コレット!」
駆け寄ってくる足音が聞こえる。
「……お兄様は、泥棒猫の味方をするのね」
先ほどとは打って変わって、気の抜けるような声でテレーズが呟く。
「違う。味方だとかそういうのじゃない。テレーズ、何でこんなことをしたんだ? 何があった? 何が君をそうさせたんだ? 少なくとも、僕の知る君はそんなことをする子じゃなかったはずだ」
するとテレーズが一つだけため息をついた。
「お兄様は……なんて罪深いのかしら。もういいわ。お兄様がその女を殺させまいとするなら、交換条件と行きましょう? その女を殺すのは止めてあげるわ。その代わり、お兄様にはここに残ってもらう。私と一緒に、ずっとこの家で二人で住むのよ。もちろん、その女には早急にこの家から出てもらうわ。……その目で一人でこの家から出て、生きていけるとも思えないけれど」
そう言うとテレーズは少し小さくクスクスと笑う。次第に笑い声は大きくなり、最後には高笑いへと変わっていた。
「何が……そんなにおかしいの。私が何をしたって言うの。何でこんなひどい目に遭わなきゃいけないの。おばあちゃんは? どうせ病気で死んだって言うのも嘘なんでしょ? 私に嘘をついたみたいに、おばあちゃんも騙したんでしょ? それで今度はなに?なに人の家を自分の家みたいに思っているの。ここは……私の家よ」
つっかえて出なかった言葉を、未だに痛むお腹から絞るように吐き出した。
「いいえ、あなたは私から奪ったわ。私が唯一信じてきたものを。だから奪ってやったのよ。あなたのその目、もう一生光を取り戻すことはないわ。あなたのおばあさんで試したときは失敗して死んでしまったけど……成功してよかったわ」
テレーズがフフッと笑う。
今の言葉を至極簡単に、簡潔にまとめると、こうだ。この女が祖母を殺したのだ。それに加え、この狂った女は自分の兄を自分の所有物であるかのように言っている。そんなはずはないのだ。レヴォルはレヴォルだ。別に誰のものでもないし、私も彼を奪った覚えはない。
「それで、お兄様? もちろん、私を選んでくださいますよね?」
数秒の沈黙が空気を淀ませる。
「……すまない。君と一緒には居られない」
決心したようにレヴォルが口を開いた。
「そんな……お兄様……どうして……」
「理由は単純だ。彼女を、コレットを放っておけない。それが理由だ。君のおかげかコレットは今、目が見えないんだろう? そんな子を、放っておくわけにはいかないだろう。分かってくれるか?」
「お兄様は……どこまでいっても優しいのですね。もう……いいわ。二人でどこへでも行けばいいじゃない」
呆れたように吐き捨てる。その言葉を後に、一つの足音が台所を出て、どこかへと向かって行った。
あっさりと引き下がったテレーズに対して、どこか違和感を覚えた。
「コレット」
名前を呼ばれた。
「……立てるか?」
その声と同時に右手を暖かなぬくもりが包む。ぐいっ、と引っ張り上げられる。
「ありがとう。レヴォル」
レヴォルの手が離れると、今度は両方の手首をつかまれる。
「えっ、なに?」
「……歩くの、大変だろう。負ぶってあげるから」
よいしょ、という掛け声とともにレヴォルが私を背に乗せた。
「行先は、ネーヴェでいいんだな?」
玄関に向かいながらレヴォルが口を開く。
意外な質問だった。私はてっきり二人で帝国に入るものだとばかり思っていた。いや、私自身、そのつもりでいた。一人でネーヴェまで行くことが出来なくなった今の状況で、私が選択できる行動は、レヴォルについていくことだけだと思っていた。
「……いいの? やらなきゃいけないこと……あるんじゃないの?」
逆にこちらから質問をする。彼にはやるべきことがあるのだ。こんな辺鄙な魔女に構っている時間などないはずなのに。
ガチャリ、と扉の閉まる音がする。
「言っただろ。放っておけないって」
玄関から少し離れたと思われるところでレヴォルが優しい声で答えた。
嬉しかった。放っておけない、その一言がこの上ないほど嬉しかった。友達を失い、家族を失い、親友になれると思った人に裏切られ、それでもなお、彼は私の傍に居てくれる。
これがどれほど幸せなことか。
「悪夢」
突然、聞いたことのない呪文が聞こえた。声がしたのは丁度真後ろ。玄関のほうだ。術者の顔を確認するわけではないが、声のした方を振り返る。
ビチィッ、と頭に電撃のようなものが走る。
「え?」
その直後、フッ、と意識が飛んだ。