24.森の魔女の家~2~
「ごちそうさま」
スプーンをカランと音を立てて空になった容器に置いたあと、コレットが手を合わせた。
「お粗末さまでした。それじゃあ僕は片づけをするから、コレットは自分の部屋に戻って休んでて」
そう言いながら皿を片付け始める。
「いいよ、私が片付けするから。今度は君がお風呂入ってきなよ」
確かに、昨日は風呂に入っていない。……もしかして臭っただろうか。
そんな心配を感じながらその申し出を受け入れることにした。
「分かった。じゃあお言葉に甘えて」
「あっ、着替えとかある?」
持ってきてはいる。ここで持っていないと言ったら誰の服を貸してくれるのだろうか。コレットはここでずっとおばあさんと暮らしていると言っていた。つまり男性ものの服は無いはずだ。だとしたら、コレットの服を借りることに……。
自分が気持ちの悪い想像をしていることに気づき、それを無理やり振り払う。
「ちゃんと持ってきてるから、大丈夫だよ」
分かった、と言いながら皿を流し台に運び始める。
「片付け終わったら私、自分の部屋にいるから。そこの階段あがってすぐ左の部屋。何かあったら私の部屋に来て」
言いながら袖をまくり上げて皿を洗い出した。
「ああ。じゃあまた後で」
「うん、ゆっくり浸かってね」
§
ちょうど良い湯加減だった。
今まであまり実感したことはなかったが風呂は良いものだな、と思う。城にいる時はあまりに広い浴場で落ち着かなかったが、一人で入る分には今日ぐらいの大きさでちょうどいい。
「さて、と」
着替え終わり、どうしたものかと考える。
――そう言えば今日僕は何処で寝ればいいのだろう。
この家の構造も全く分からないし、コレットに聞くほかない。
階段を上がってすぐ左の扉をノックする。
「レヴォル? どうかした?」
寝間着姿のコレットが扉を開ける。普段よりも幼げなその格好に、少し驚きながらも用件を口にする。
「ああ、いや、今日僕は何処で寝たらいいんだろうと思って」
「おばあちゃんの部屋……は無理だね。帰ってくるかもしれないし」
うーん、と悩んでいる。
「あ」
何かを閃いたようだ。
「寝るのはまだ早いし、一緒に書庫のほうに行かない?」
そういえばこの家のほとんどが書庫になっているとコレットは言っていた。もともと、本を読むのは好きだし、その言葉を聞いたときに少し興味がわいたのも事実だ。
「別に構わないけど」
城にも書庫のような場所はあった。王都には国立の図書館もあった。どちらもなかなかの蔵書の数だったが、ここはどんなだろうか。
「それじゃあ行こうか。私について来て」
そう言ってコレットが部屋から出てくる。それに続いて少し後ろを歩く。
それにしても本当に大きい家だ。これだけの家の大きさに加えて地下もあると言っていた。木造で家の柱を見る限り、職人が作ったものではない。まさかこれもコレットのおばあさんが作ったのか?
「この家を建てたのはおばあちゃんじゃないよ?」
「え?」
「この家はおばあちゃんのおじいちゃんが……ってどうしたの?」
あまりのことに足を止めてしまっていた。コレットが振り返り尋ねてくる。
「いや、考えてることをそのまま言い当てられたから……驚いて」
するとコレットの顔がみるみる赤くなる。
「だ、だって柱とかじろじろ見ながら歩いてたから……そういうこと考えてるのかなーって思って言ってみたら当たっただけだし……!」
なぜムキになる。
言い放ってまたコレットは前を向いた。赤くなった顔を見せまいとしているのだろう。
「着いたよ。ここが書庫」
先ほどとは大きく異なる落ち着いた口調でそう告げて大きな扉の前で止まる。
「ここにも結界が?」
「さすがにそれはないよ。普通に入れるから」
コレットが両手で扉を押し開けながら入っていく。
「レヴォルも入っていいよ」
そう言われて書庫の中に足を踏み込む。
そこに広がっている光景は予想を遥かに超えていた。見た感じ、城の書庫の二分の一、図書館の三分の一はある。家の大きさからして、もっと少ないと予想していたが、想像を優に超えていた。しかもそのほとんどが魔術に関するものだ。そこだけを切り取れば、城の書庫にも、王都の図書館にも勝る蔵書の数だ。
「好きに見て回っていいよ。私、下の階にいるから」
そう言ってコレットは階段を下りて行った。
好きに見ていいよ、と言われても、これだけの本があると何が何やら訳が分からない。
適当に一冊取って適当な頁を見てみる。
古代語で書いてあった。これは自分には読めない。やめておこう。そう思い別の本を手に取る。
古くてかび臭い。表紙の文字すら擦れて見えない。
多少の埃を立てながら表紙をめくる。
今度は現代語で書いてあった。これなら読める。
『小さな子どもは木箱の中で、一人遊びに明け暮れる。積み木のおうちに積み木のお城。登場人物は一人だけ。』
どういうことだろうか。さっぱり意味が分からない。何かの物語、にしては内容がよく分からない。何が言いたいのか何が伝えたいのかチンプンカンプンだ。
自分には難しい内容だった。きっとこの書庫にある本の多くは、今読んだような意味ありげなよく分からないことが記述されているんだろう。そう思うと、少し頭が痛くなった。
コレットはどんな本を読んでいるのだろうか。まさかこんな難しい本を読んでいるのだろうか。
そう考えながら階段を降りる。
二階だけでも相当な蔵書だったが、一階はその倍近くはあるだろう。本棚で迷路のようなものが出来上がっている。
少し歩くとコレットの姿を見つけた。
「コレッ……」
声をかけようと思って、やめる。
コレットはすやすやと寝息を立てて寝ていた。
その手には一冊の本。何を読んでいるんだろうと思い、のぞき込む。かわいらしいことに絵本だった。本の題名は『雪のお姫様』。
こういうところを見ると、やはり普通の女の子なんだな、と思う。白い肌に白い髪。今まで思わなかったが、よく見ると顔立ちもすっきりとしていて整っている。いつだったかこんな少女を見た気がする。まさに『雪のお姫様』に登場する”雪姫”の名前が似合う。
いつの間にか、本棚にもたれかかって寝ている少女に見とれてしまっていた。無防備な姿で眠っている少女に、何かしらの悪戯をしてみたい気持ちを抑えつつ、少女が手に持つ本を本棚に戻し、少女が起きないように抱きかかえた。
そのまま階段を上り、書庫を出ると、一直線にコレットの部屋に向かった。コレットの部屋に入ると、ベッドにコレットを優しく寝かせる。
寝ているのを確認して部屋を出ようとしたその時。服の裾を引っ張られた。それもかなり強く。
「うおっ!?」
変な声を出しながら、コレットのベッドに倒れこむ。
「コレット! 起きて……」
いなかった。ぐっすり眠っていた。しかしその手は僕の服をがっちりと掴んでいた。その手を指一本一本外そうとすると、グイッとさらにベッドに引きずり込まれた。
上から見ると、こうだ。ベッドの上で僕とコレットが寝ていて、僕の背中にコレットが抱きついている。そんな感じだ。
なにやら柔らかいものが背中に当たっている。
「コレット、放してくれないか」
そう言うとさらにギュッと抱きついてきた。
「……起きてるだろ」
「さっき起きた」
「さっきっていつだ」
「君が起きてって言ったとき」
ということはそれ以降の行動は全部意図的なものだったのか。
「……レヴォル、狭い」
「君が僕を引きずり込んだじゃないか」
「そうだけど……」
突然、背中のあたりに圧を感じる。
ちらりと見てみるとコレットがぐっ、と顔をうずめていた。
「君の隣って、すっごく落ち着く」
「……それはどうも」
僕の服をコレットの手がギュッと握る。
「逃げないんだ」
そう言いつつコレットの腕は僕の体をがっちりと固めていた。
「君が逃がしてくれないだろ?」
「……いつこの家を出るの?」
流された。
「明日の夜」
「いよいよ、お別れだね」
「ああ」
そう、明日からは別々の道を歩むことになる。
僕は南へ、コレットは北へ。もしかしたらもう会うことはないのかもしれない。
「……だよ」
掠れながらの声でコレットが何かを言った。
「嫌だよ……私はずっと君の隣にいたいし、いてほしい。この幸せな時間がずっと続いてほしい……一人になるのは、寂しいから……」
そんなことを、思っていたのか。
今思えば、彼女の僕に対する感情に特に関心を示したことがなかった。宿で泣いている彼女を見て、励まして、彼女のことを知った気になっていた。
実際、僕は彼女のことを理解していなかった。
「ごめん、コレット。僕には……やらなきゃいけないことがあるから…」
「知ってる。だから、今日だけでいいから……私のお願いを聞いてほしいの」
「何をしてほしいんだ?」
「あの時みたいに、宿でしてくれたみたいに、ギュッて抱きしめてほしい、頭を撫でてほしい、たくさん、甘えさせてほしい」
僕は何も言わなかった。
ただ無言で彼女を抱きしめてあげた。それから頭を撫でてあげた。
「やっぱり、落ち着く」
「コレット、君は……」
言おうとした言葉を飲み込んだ。見ると、コレットはすでに小さく口を開けてすやすやと寝息を立てていた。
「早いな……」
まぁここまでの長旅で疲れたのだろう。
「おやすみ、コレット」
その一言の後に僕も目を閉じた。