21.胸の内~1~
その少女は変わっていた。
その少女は毎日夢を見ていた。夢の中で少女は自由に歩き回り、人と会話をした。まるで起きている時と同じように。
それが普通ではないと少女が気付いたのは、少女が八つの時だった。
周りの子供たちは、昨日の夜に夢を見たけど忘れただとか、そもそも夢を見なかっただとか、少女にとってはあり得ないことを口にしていた。
少女にとって夢とは、毎日見るものであり、大体が忘れられないような楽しい出来事だったり、悲しい出来事だったりした。まるで不思議の国にいるようだった。
夢を忘れた、夢を見なかったというのは少女にとってはおかしな話だった。
それを周りの子供たちに話すと、何を言っている、頭がおかしいんじゃないかと笑われた。嫌な気持ちにはなったが、悲しくはなかった。
少女には優しい兄がいた。夢のことを話すと、兄はやさしく聞いてくれた。
兄は自分の言っていることを信じてくれていた。だから悲しくはなかったのだ。
ある日、少女は不思議な体験をした。
夢で見た光景が現実で起こったのだ。
その時少女は、これは魔法の力なんじゃないかと思った。自分は魔法が使えるんじゃないかと思った。
少女は親にねだって、魔術の本を大量に買ってもらった。
そして独学で精神魔術を学んだ。
少女が魔女になったのは十五歳の時だった。
たまたま訪れた人形店の主人が魔女だったのだ。
そこで自分の魔術の腕を見てもらった。
その魔女は少女に「これだけ魔術が使えるのなら魔女になった方がいい」と言った。そして魔女としての名前を付けてもらい、少女は晴れて『夢の魔女』となったのだ。
その頃からまた不思議なことが起こるようになった。
いつも通り就寝すると夢を見るのだが、その時見た夢は以前と全く異なった夢だった。
自分の知らない人の生まれてからの人生を、大まかになぞるように見るという不思議な夢だった。
しばらくして、魔女として開いた店にその人物が訪れた。
少女はその人にこれまでの人生を尋ねた。
見事に夢の内容と一致していた。しかも少女は、夢でその人が歩んだ人生の少し先まで見ていたのだ。
十九歳になった少女は一人の魔女と出会う。ごく普通の、とは言えないほどの純真無垢な少女。
例のごとく、夢でその少女の人生と少し先までの運命を視ていた。
夢の終わりはとても辛いものだった。
だから少女は分かれ際に魔女にこう言った。
「キミに本当の幸せが訪れますように」と。
§
町を出てから少し経った。
追手が来ることもなく、馬の駆ける音と共に、ただただ時間が過ぎ去っていった。
「コレットのおばあさんはどんな人なんだ?」
レヴォルの声が馬の駆ける音に交じって聞こえてきた。
「うーん、おばあちゃんかぁ……すごい人だったよ。いろんな魔術が使えるし、あと料理も上手だったなぁ」
特に祖母が作るアップルパイは格別だった。
これを超えるものは他にはないと思っている。
「なんでもできる人なんだな」
「そうなの。おばあちゃん裁縫も上手でね、この帽子とローブもおばあちゃんが作ってくれたんだ」
自分が羽織っているローブを広げて見せる。
確か、これをもらったのは十歳の誕生日だったか。あの頃は大きすぎてぶかぶかだったが、今となってはピッタリの大きさになっている。八年間も着ているが、手入れはしっかりしていたのでそれほどくたびれてはいない。
「裁縫もできるのか。ますます早く会ってみたくなった。料理も裁縫もいろいろ教わってみたいな」
今まで気にしなかったが、彼の言動はなんというか、
「……王子さまっぽくないよね」
気づいたときには心の声が漏れていた。慌てて口元を抑える。
「ごめん、悪い意味で言ったんじゃなくって……」
「謝らなくていいよ。僕自身、あまり王子が向いていないのは自覚している」
「……そうなの?」
「ああ。王族として適任なのは兄のほうだ。
小さい頃から兄は人を惹きつけるものを持っていた。でも僕は違ったんだ。そういうのを何も持っていなかった。その時から、次の国王は兄がなるべきだと僕は思っていた」
寂しそうにレヴォルが過去を語る。
今思えば、彼について何かを聞いたのはこれが初めてかもしれない。
「兄は一番上に立って民衆を引っ張る王になるだろうと僕は思った。
では僕は。僕は何になればいいのか。その時出した答えが、『民衆の目線で王を見る』ことだった。
兄が人々を導く王になるなら、僕は人々に歩み寄ることが出来る王になろうと思った。
だから城を抜け出して町を見て回ったり、夕飯の準備を自ら手伝ったりもした。
そうしていると自然に王子として扱われることが減ったんだ。僕にとってはそれが心地よかった」
優しい声音でレヴォルが語る。
「……それじゃあどうして私と逃げてるの? 君のやりたいこと、お兄さんと一緒じゃなきゃできないんでしょ?」
「そうだな。でも、もう無理なんだ。僕と兄は目指す場所が根本的に違っていたんだ」
どういうことだろうか。
「君もお兄さんもこの国を良くしようとしているんじゃないの?」
「昔はね。でも今は違う。テレーズがいなくなってからすっかり兄は変わった。少なくとも、昔の兄は魔女狩りなんてふざけたことは言わない人だった。
止めようとしたんだ。でも無理だった。だから、捕まった君たちを逃がして、僕もローランとどこかに行って、外側からこの国を変えようと思ったんだ。
でもそれも無理だった。兄の聡明さを侮っていた僕の失態だ。そのせいで君の大切な人も死なせてしまった。本当に、ごめん」
はじめて彼の本心を知った。私自身、自分が一番辛い思いをしていると勝手に思っていた。そうじゃなかった。
彼は彼でこの数日間、ずっと抱え込んでいたのだ。彼は本気でこの国を良くしようと思っているようだった。しかし、自分の兄を説得することもできず、国を変えるため立ち上がるも失敗し、信頼できる部下も失った。
私なんかよりずっと辛いはずだ。何も持っていなかった私よりも、遥かにに多くのものを背負っていた。それを彼は失った。
それでも彼は私を励ましてくれた、立ち直らせてくれた。そんな彼に、私は何ができるのか。
――まただ。
かける言葉が、見つからない。
「えっと……その……」
言葉に詰まる。
「私のほうこそ……ごめん。こういう時、なんて言えばいいのか分からなくて。何か言ってあげたいんだけど、私、レヴォルみたいに元気づけたりとか……できないや」
そう言って、笑って誤魔化すことしかできなかった。
「君は素直だな」
「へ?」
レヴォルが小さく笑った。
「……話を聞いてくれてありがとう。少しスッキリした」
振り返りながらレヴォルが礼を言った。
「ねぇ、レヴォル」
「何?」
「本当に大丈夫?」
「コレットが話を聞いてくれたから、もう大丈夫だよ」
「無理……してない?」
「ああ」
「本当に苦しかったら、また話して。話を聞くぐらいなら、私にもできるから……」
そう、話を聞くくらいなら。
逆に言うと、これしかできないのだ。
自分では、何か声をかけてあげることはできない。
なら話を聞くだけでも、それで彼が救われるのなら……。
「いくらでも話を聞くよ」
「……君はやさしいんだな」
その後、レヴォルが小さく口を動かした。なんと言ったかは聞き取れなかった。
§
初めて自分の本心を語った。
自分の過去、成し遂げたかったこと、自分の至らなさ。
それら全部を吐き出した。
それを聞いた彼女は、何も言わなかった。
いや、言えなかったのかもしれない。
それでも何かを言おうとしてくれた、それが僕は嬉しかった。
彼女はやさしい人だ。どこまでも素直で、不器用なやさしさ。
そんな君の……。
「僕は君のやさしさに救われているよ」