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赤い夜に、魔女は泣く  作者: 与瀬啓一
第2章~森に向かって~
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20.夢の魔女

 はてさてこの状況をどうしたものか。


 レヴォルには「大丈夫だから」などと強がってはみたが、実際全く大丈夫じゃない。


 この状況を打開する策が見つからない。両手が縛られているうえに、五人もの兵士を振り切って逃げるなど自分にはとても無理な話だ。


 なので黙ってついていくほかない。


 突然、前を歩く兵士が立ち止まった。


「痛っ」


 兵士の背に額をぶつけた。


「……急に止まってどうしたんですか?」


 すると目の前にいる兵士が振り返った。


 月明かりに照らされたその顔にはニタニタとした不敵な笑みが浮かんでいた。


「お嬢ちゃん、魔女なんだよな?」


「そう、ですけど」


 なぜそんなことを聞くのかと思う。


「魔女ってのは奇跡の力を売りモンにしてんだよなぁ?」


 言っていることは間違ってなどいない。それが魔女という職業だ。人間だれしも稼ぎがないと生活などできない。それは魔女とて同じことだ。魔術というのは魔女にとっての生きるための術なのだ。


 もちろん、人を助けるというのが一番に来ることに変わりはない。何なら無償で魔術を使って人を助けることもある。


 しかし彼らは、そんなことを聞いてどうしようというのか。


「なにが、言いたいんですか?」


 静かに尋ねる。


 みると、周りの兵士もその顔に不気味な笑みを貼り付けている。


 寒気がした。嫌な予感もした。


「魔女の持ち物ってのは高値が付くんだよな? あんたが持ってる薬とかな。普通の店じゃ出回らねえ。あんた、どうせ処刑されて死ぬんだからよ、ちょっとぐらい、分けてくれてもいいよなあ?」


 その手が私が肩に掛ける鞄の紐をつかむ。


「ちょっと! なにするんですか!」


その手がつかんだ鞄は、私の鞄は、私の仕事道具だ。そうやすやすと誰かの手に渡っていいものではない。


 それだけじゃない。この鞄は、魔女になったときに祖母から、『森の魔女』から貰ったものだ。手放してなるものか。


「どうせ死ぬんだろ!? だったら分けてくれてもいいじゃねえか! 金回りいいんだろ!?」 

 

 だが私という一人の人間は無力極まりなく、


「あっ……」


 あっさりと一人の兵士が無理やり鞄を奪った。


「返してください!」


 必死で訴えるも、そんなものが彼らに届いているはずもない。奪うものを奪えばその興味は別の箇所に既に移っていた。


「おい、こいつなんか高そうなイヤリングしてんぞ」


 その声と同時に別の兵士の手が私の右耳に伸びる。


「っ! それはダメ!」


 慌てて右耳を手で覆う。


 視界の端には私の鞄を開けて中身を漁る兵士が数人。


「人を、呼びますよ?」


 ここで私が叫べば誰かが来てくれるはずだ。追われる身にあることは承知しているが、叫んで、誰かが来た隙に荷物を奪い返して走ればいい。


「お前、人呼んで誰か来ると本気で思ってんのか?」


 ニヤニヤと笑う口からそう発せられる。


 それを聞いてあたりを見回す。


――静かだ。


 人っ子一人いない。町全体が死んでいるように静まり返っている。思えば今日この街で見かけた人間は宿屋の店主だけだ。


 それに加えここは細い路地裏。


「どうせ人は来ねえよ。お前はここで身ぐるみはがされて、俺たちに玩具のようにされて、死んでいくんだよ」


 口が裂けてしまいそうなほどの不気味な笑み。


 その笑みの奥にあるのは自身の「奪いたい」という欲求そのものでしかなかった。これ以上、私から何を奪おうというのか。


 私が身に付けている金目なものなんて、未だに私の手が覆うイヤリングぐらいしかないのに。


 しかし男が手を伸ばしたのは私の耳元ではなかった。


 その筋肉質な腕が、私の細い腕をつかむ。


「なっ、何するんです! 放してください!」


 その手を振りほどこうとする。しかし男たちの手は張り付いたかの様に離れない。


「とぼけるなよお嬢ちゃん。自分が玩具にされようとしてるぐらい分かんだろ。良いから大人しくしろ!」


 それを掛け声にしたのか別の男たちが私を取り押さえるように地面に押し倒す。


「玩具って、何を……」


 その言葉の意味は分からなかった。分からなかったが逃げなければならないことは何となく感じ取れた。


 しかし逃げることは叶わない。力のない私が、男数人を押しのけて逃げるなど不可能だ。


 これから何をされるかも分からない。その恐怖心だけが心の中に居座る。その感情を男たちの息が、手が、逆なでするようだった。


 いつの間にか目には涙がたまり、頬を伝うそれが一層恐怖心を掻き立てる。


「やめ、て……誰か……助、けて……」


 絞り出すようだった。


 声にならない声だった。


 誰も助けに来るはずがないこの状況で、その言葉は意味をなさないものであることに変わりはなかった。



「じゃあボクがやめさせるけど……いいよねー?」



 声がした。


「誰だ?」


 それに声の主は答えなかった。代わりに聞こえてきたのは一つの呪文。


夢見魔術(ラオム)


 突然、夜空が降ってきた。いや、実際は夜空が降ってくるなんてことはあり得ないのだが、そう形容するしかなかった。


 私の腕をつかむ男の手が、ピタリと止まる。


「へ?」


 一人、また一人と男たちが次々に倒れていく。


 まるで誰かに眠らされるように、ばたりばたりと音を立てて倒れていく。


 混乱した。今、目の前では、一体何が起きているのか。


「大丈夫だった?」


 また同じ声がした。


「誰!?」


 見られる範囲で見回してみるが誰も見当たらない。相変わらず細い裏路地には私と、倒れた兵士しかいない。耳に届くのは路地を通り抜ける風の音だけ。


「ここだよ。こ~こ」


 すぐ近くで声がした。ふと足元に目を落とす。


「ひゃっ!?」


 目の前、というかすぐ下にいた。私の足元で声の主は膝を抱えて、しゃがんでいる。あまりの驚きに変な声が漏れる。


「おー、驚かせちゃったかー。ごめんごめん」


「えっと……あなたは?」


「ん? ボク? ボクはダイナ。通りすがりの魔女だよ」


 ダイナと名乗った少女はそう言ってニカリと笑う。いや、そんな事よりも……。


――魔女。


 聞き間違いなどではない。今目の前にいる少女は自分のことを確かに『魔女』と名乗った。


「魔女?」


「うん。魔女だよ」


 依然としてその笑みを崩さずにダイナは私の問いを肯定した。


「じゃあもしかして……あなたが『夢の魔女』?」


 聞くとその少女、ダイナは少し驚いた表情を見せた。


「あれ? ボクのこと知ってるんだ?」


 私の腕に縛り付けられた縄をほどきながらダイナが尋ねる。


「う、うん」


「もしかしてキミも魔女だったりするのかな?」


 グイッと顔を近づけてくる。近い。


「あ、うん。私、『草原の魔女』のコレット」


「へー、コレットちゃんね。魔女狩りから逃げてきた感じ?」


 さらに顔を近づけてくる。すごく近い。


「そう。でも兵士に見つかっちゃって……」


「そっかー。それでこの状況になったと」


 周囲を見回す。依然、兵士たちは倒れたままだ。


「えっと、それであの……助けてくれてありがとう。ところでこの人たちって……」


「安心して。寝てるだけだよ。それより、なにもされてない? 大丈夫だった? 怪我とかしていない?」


 突然大量の質問をされる。色々と聞きたいのはこちらのほうだ。


「私も聞きたいことあるんだけど……いいかな?」


「うん? なにかな、なにかな?」


「あの男の人たち……何しようとしてたの?」



 一瞬の沈黙。



「……へ?」


 ダイナが口をぽかんと開けている。


「だからその、なにしようとしてたんだろって思って。私の物を盗もうとしてたのは分かるよ。でもその後に私の服破こうとしたりとか、あとなんかおもちゃ? にするとか言ってたけどよく分からないし」


 何かおかしなことでも言っているんだろうか?


「ええっと、コレットちゃん。赤ちゃんってどうやってできるか知ってる?」


 突然のその質問に思考が硬直する。呼吸が一瞬、ほんの一瞬だけ止まる。その質問の意味を理解するのに一秒は要しただろう。脳がその質問を溶かすように理解したときにはすでに私の顔は熱を帯びていた。


「きっ……キスじゃないの?」


 顔を赤らめながら言う。なぜこんな会話になっているんだ。


「そっかー、キスかー。そうだよね、うん」


 ダイナが目を泳がせている。


「もしかして、違うの?」


 そう尋ねるとダイナがぶんぶんと両手を振って答えた。


「そっ、そんなことないよ!? 大丈夫、大丈夫だから!!」


 一体何が大丈夫なのか。


「えーと、あの男たちがコレットちゃんにしようとしていたことは、えーと、そのー、キスして遊ぶ? みたいな?」


――な。


「なにそれ!? そんな簡単にキスしちゃダメでしょ!? 赤ちゃんできちゃうよ!?」


 玩具にするとはそういうことだったのか。まったく恐ろしい人もいるものだ。


「……うん。そうだね。ダメ……だよね」


 あははと笑いながらダイナが明後日の方向を向いている。何かを隠している気がするが大したことじゃないだろう。たぶん。


「ところで、寝てるっていうのは……」


 倒れた兵士たちに目を向けながら尋ねる。兵士たちは皆、気持ちよさそうに寝息を立てている。


「ああ、これね」


 ダイナが一人の兵士に近づく。


「彼らはね、今夢を見ているんだ」


 しゃがんで、兵士の頬を人差し指で突きながらダイナが答えた。


「夢?」


「そう、ボクが見せる夢。それぞれ見たい夢を見ているはずだよ。それがボクの魔術でボクの仕事内容」


「夢を見せるのが?」


「そう。夢の中だけでもいいから幸せな時間を過ごしたいって人が、よくボクのお店に来るんだ。あとは夢占いとかやったりで賑わってたんだけど……」


 ダイナが小さく俯く。


「魔女狩りって何なんだろうねーほんと。ボクたち何も悪いことしてないのに。

 お客さんも手のひら返して石を投げてくるし。お店も壊されて住む場所もないし。だからこうして身を隠しながら逃げ回るしかないんだ」


 そう言うとダイナは溶けるように姿を消した。


「えっ?」


 ダイナがいた筈のその場所には何も残っていない。一筋の闇が、その路地の奥へいざなうように続いているだけだ。


「ビックリした? 身を隠しながらっていうのは別に比喩表現じゃなくて、本当に姿を隠しているんだ」


 どこからともなく声だけが聞こえる。


「ボクは()()()()()()()()()()()()()()()()。昔読んだ本に出てきた猫の言葉だけどね。ボクにピッタリでしょ?」


 耳元で囁かれ、後ろを振り返る。


「なんだか、そういう言い方したら不思議な感じがして、魔女っぽいと思わない?」


 魔女っぽい、という言葉自体が私にとっては飲み下すのに時間のかかるものだった。


――魔女っぽいって、なんだろう。


「とは言っても、精神魔術で他人の視覚に干渉しているだけなんだけどね」


 ニシシと笑いながら寂しそうに言う。


「さて、どうやらキミのお迎えが来たみたいだからボクはここで失礼するよ。またどこかで会えるといいね」


 そう言い残すとダイナはまた溶けるように姿を消した。


「ま、待って! 逃げるなら私たちと一緒に……」


「ボク、探し物があるから……それを見つけたらこの国を出るよ。バイバイ、コレットちゃん。キミに本当の幸せが訪れますように」


「どういうこと?」


 その問いにダイナが答える声はなかった。


「コレット!」 


 代わりに聞き覚えのある声が私の名前を呼んだ。


「レヴォル?」


 振り返るとレヴォルがこちらに向かって走ってきている。


 少しずつレヴォルが近づいてくる。少しだけ息が上がっているように見える。近づいてきて、近づいてきて。


「えっ? なに!?」


 レヴォルが急に抱きしめてくる。


「良かった……無事で良かった」


 さっきよりも強く抱きしめてくる。暖かな腕が、夜風で少し冷えた体を温めんとばかりに私の体を包んだ。というより締め付けた。


「レヴォル、苦しい」


「ごっ、ごめん」


 レヴォルがこんなにも焦っているとは驚きだ。よほど急いできたのか、荒々しく息を切らしている。


「そんなに心配してくれてたんだ」


「別にそういう訳じゃ……」


 レヴォルが顔を背ける。別に照れなくてもいいのに。


「ありがと、レヴォル」


「当たり前のことをしただけだよ。何も特別なことは僕はしていない」


 本当にそうだろうか。


 正直なことを言うと私自身、彼の存在に救われている。彼がいなければこうして逃げ出すこともできず、死を待つだけだっただろう。


「それはそうとコレット」


 名前を呼ばれて顔を上げる。


「なに?」


「この兵士たちはどうする気だ?」


「あー……」


 倒れている兵士たちを一瞥する。


「放っておいても大丈夫かなぁ」


 正直助ける必要はないと思っている。というより、助けたくない。


「この国の兵士はそこまで弱くはないからな。放っておいても問題ないだろう。多分あの兵士が回収に来る」


「ジークハルトさん?」


「そう」


「あの人はどうなったの?」


「引いてくれたよ。追いかけてくるつもりもないらしい」


「そっか」


 やはり彼自身、魔女狩りについて思うことがあったようだ。ただそれを認められない何かが、彼にはあったのだろう。レヴォルと何かがあってきっとそれが折れたのだ。


「さて、そろそろ行こうか。もうすぐ夜が明ける。急ごう」


 レヴォルの左手が私の右手を握って、歩き出した。


「きゃっ」


 初めて男の人の手に触れた。


 ごつごつしていて、私の手を包み込んでしまうぐらい大きくて、とても温かい。


 ずっとこうしていたい、と思えるほど安心感があった。


 私は彼の左手を優しく握り返し、少し後ろをついて歩いた。


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