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赤い夜に、魔女は泣く  作者: 与瀬啓一
第2章~森に向かって~
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18.暗闇で手を振って

 見るからに安そうな宿である。内装はとてもではないが人を迎えられるような見た目ではないし、壁にはところどころ隙間も空いていて、その隙間からは少し冷たい風が入り込んできている。


 踏むたびに床は沈み込むような感じがするし、何よりもかび臭いにおいが鼻をついて離れない。


「……本当にここに泊まるの?」


 今にも崩壊しそうな建物に、少し不安になる。


「仕方がないだろ。この町にある宿泊施設がここだけなんだから」


 階段をのぼりながらレヴォルが答える。


 それにしてもこの階段、ものすごく嫌な音がする。大丈夫なのか。


 階段を上ると、左手に並んでいる扉を一瞥してからもらったカギに書いてある部屋番号を見る。


「一〇五だって」


 呟いてレヴォルに鍵を渡す。


「一〇五号室は……あった」


 部屋を見つけるとレヴォルは、鍵穴に鍵を指して扉を開ける。


 キィ、と音を立てながら扉が開いた。中には小さめのベッドが二つと小さめの丸テーブルが一つだけ。


 レヴォルが部屋の隅に荷物を置いた。何も持っていない私はまっすぐベッドに向かい、腰を下ろす。


「ご飯は出ないみたいだから何か買ってくるよ」


 そんな気はしていた。さすがにこの値段でご飯が出るとは思っていない。


「分かった」


 私は小さく頷いた。


「コレット」


 突然名前を呼ばれる。


「なに?」


「何か、食べたいものあるか?」


 そう言えば随分と何も食べていない気がする。最後に食べたのは牢を出る前だったか。


 時間はもう昼過ぎだ。お腹が減って当然だろう。


 食べたいもの……か。



「……アップルパイ」


「分かった。買ってくるよ。ほかに欲しいものはある?」


「小さい瓶。首にかけられるやつ」


「何に使うんだ?」


「内緒」


「……買ってくるからちょっと待ってて」


 レヴォルが扉を開けて出ていこうとする。


「あとそれと、危ないから部屋からは出ないように」


 思い出したように言って部屋を出て行った。


 彼が部屋を出ていくのを見送ると、どさりとベッドに倒れこむ。ぼんやりと天井を見つめる。


 彼はきっと気付いている。私が無理をして笑顔を作っていることに。そして私も気付いている。彼がそんな私を心配してくれていることに。


「……素直に泣けばいいのかなぁ」


 誰に話しかけるでもなく、ぼそりと呟く。


 自分が泣いたら、彼はどうしてくれるのだろうか。慰めてくれるのだろうか。頭でも撫でてくれるのだろうか。そもそもなぜ、自分はこんなにも彼に心を許しているのだろうか。


 頭の中がごちゃごちゃしてきて訳が分からなくなる。


「何考えてるんだろ、私」


 小さく呟いて目を瞑った。




§




 ふっ、と意識が戻るのを感じて気が付く。


「……寝てた」


「お目覚め?」


 声のほうを見ると、レヴォルが椅子に座ってパンを食べていた。


「あ、レヴォル。帰ってきてたんだ」


「ついさっきね」


 そう言ってパンを頬張る。


「これ」


「ん。ありがと」


 大小二つの紙袋を受け取る。小さいほうの紙袋を置いて、大きいほうの紙袋を開ける。


 ふわっ、とリンゴの甘酸っぱい香りが室内に漂う。かび臭いにおいと交ざってなんとも言えない香りになる。


 小さくかぶりつく。


「おいしい……」


 その臭いすらかき消すようなおいしさだった。林檎の甘みが口の中に広がる。二口目を少し大きめにかじる。


「レヴォルは何食べてるの?」


「塩パン」


「地味だね」


「安くておいしいんだ」


 そういうものなのか。


「やっと笑った」


「え?」


 言われて気付いた。少し口角が上がっていた。自然に。


「今まで無理して笑ってただろう?」


 レヴォルが真剣な表情でこちらを見る。


「……やっぱり、気付いてたんだ」


「ああ」


「……ミレイユちゃんが死んじゃった時ね、すごく悲しかったんだ。悲しくて、悲しくて、ずっと涙が出っぱなしだった。でも泣いてばかりいたらミレイユちゃんも悲しむかなって思って。それで、泣かないように我慢してたの」


 少し間をおいてからレヴォルが小さく口を開く。


「別に泣いてもいいと思う」


「え?」


「涙を流すことは悪い事じゃない。むしろ、自然なことだ。

 泣くっていうのは一種の防衛本能だ。悲しいことや辛いこと、それらを全部流すために涙が出てくるんだ。だから泣いてもいい。涙を流さずその気持ちをため込むよりは、ずっといいと思う」

 

 彼が微笑んでいった。

 

 その彼の笑顔を見た瞬間、私の心にずっとあった何かが、消えていくような気がした。


「泣いてもいいの?」


「好きなだけ」


「抱きしめてくれる?」


「必要とあらば」


 その言葉を聞くと反射的にすぐに彼の胸へ飛び込んだ。温かかった。自分の中に溜まっていたものを溶かすかのように、彼は私を優しく抱きしめた。自然と涙があふれ出る。


「少しの間だけ……こうしていてもいい?」


 彼の胸に顔をうずめて、嗚咽を交えながら声を震わせて小さく尋ねる。


「ああ」


 そう言うと彼はやさしく私の後ろ髪を撫でた。


 正直、なぜそんな行動をとったのかはよく分からない。分からないが一つだけ分かったことがある。


――温かい。


 きっとそれは”安心”と言うのだろう。彼のぬくもりが、冷えた体を温めるように、その弱っていた心さえも温めた。

 

 それから先はずっと彼の胸に顔をうずめて泣いていた……と思う。

 

 と思う、というのは途中から眠ってしまっていたからだ。

 

 目が覚めたときには、あたりは薄暗くなっていた。

 

 部屋を見回してみると、蝋燭(ろうそく)の小さな灯に照らされたレヴォルが荷物をまとめていた。


「何してるの?」


「あ、起きたか。ちょうどよかった。そろそろこの宿を出る」


「今何時?」


「朝の四時半。そろそろ出ないと、追手が来てるかもしれない」


「私は特に準備するもの……ないね」


 まぁ、もともと手ぶらだったし。彼の荷物を持ってあげた方がいいだろうか。


「そういえば結局あの小瓶は何に使うんだ?」


「あ、そうだった」


 布団をばさりとめくり、小さい紙袋をとって中身を取り出す。


 今度はポケットの中に手を突っ込み、効果を現わして粉々になった護石(まもりいし)のかけらを取り出して、瓶の中に詰める。


 それを首にかける。


「綺麗でしょ? これ」


 首にかけられた小瓶を指さす。瓶に詰められた(あお)い砂のような欠片たちが、小さな蝋燭(ろうそく)の明かりを反射する。


「これだけがミレイユちゃんが残してくれたものだから……大切にしたいんだ」


「そっか」


「うん、そう……似合う?」


「似合ってると思うよ」


 笑顔で答えるレヴォルに、なぜか心臓が一度だけ激しく動いた、気がした。


「あっ、ありがと」


 なぜか熱い顔を背け、そっけなく答える。


「それじゃあそろそろ行こうか」


 言いながらレヴォルが扉を開ける。


「馬車が置いてあるところまでそれほど距離はないけど……もし兵士に見つかったら全力で逃げよう」


「分かった」


 店主のいない受付台に、静かに宿泊代金を置いて宿を出ようとする。


 扉を開けて出たところでレヴォルが動きを止めた。


「どうかした?」


 返事はなかった。


 後ろから覗き込んでみると、兵士がレヴォルの喉元に槍の切っ先を向けている。


「予想通りだな」


 聞き覚えのある声だった。


「ジークハルトさん?」


 その声の主の名を呼ぶ。


「久しぶりだな。『草原の魔女』。お前が大森林に逃げるのは想定済みだ。その途中、この町に立ち寄ることもな」


 まずい。これは非常にまずい。逃げなければならない。でもどうやって? レヴォルはみての通り身動きが取れない。走って逃げる? そもそもの話、出入り口でこうやって足止めを食らっているのだ。逃げ出すことすら叶わない。


「コレット」


「え?」


 レヴォルの声が私の思考を止める。


「馬車の場所は分かるな?」


「う、うん」


 どういうつもりだ、彼は。


「ならどこからでもいい。一人で逃げろ。裏口なりなんなりあるはずだ」


「でも……」


 彼をおいて逃げるなど……。


 そう思案していると、どたどたと何人かの兵士が宿の中に入って来た。


「コレット! 早く!」


 レヴォルが叫んだ時には、私はすでに取り囲まれていた。


 槍の先を全方位から向けられる。


「悪く思わないでくれ、『草原の魔女』。国王陛下の命によりお前の身柄を拘束する。抵抗したら殺す」


 ジークハルトがそう警告する。


「ちょっと待ってくれ。国王陛下の命って……父上がそう言ったのか?」


 レヴォルが口を開いた。


「先代の国王……第二王子、あなたのお父様はお亡くなりになりました」


「なっ……」


「あなた方が脱走されてすぐに。ですので現在、実権はランディ様が握っておられます。

 正式な即位式もじき行われるでしょう」


「そうか……」


 そう言ってレヴォルが俯く。


「ランディ様はあなたの罪は問わないと言っておられます。戻ってきてくださりますか?」


 彼はどうするつもりだろう。まさか、戻るのか。その場合私はどうなるのか。


「ジークハルトといったな?」


 俯いたままレヴォルが声を出す。


「はい」


「すまないがその申し出を受けることはできない」


「……そうおっしゃられると思いました」


 ジークハルトがそう言ったのとほぼ同時に、風のように、ジークハルトの持つ槍がレヴォルの頬をかすめていた。


 しかしその直後、カランと音を立てて槍の先端が力なく床に落ちる。


「ただの一般兵士が城内で剣術を教わった僕に剣で勝てると思うか?」


 よく見ると、レヴォルが剣を抜き、槍の先端を切り落としていた。


 それを見るとジークハルトは剣を抜き、レヴォルから距離を取る。


「お前たちは魔女を連れていけ。抵抗されたら殺せ」


 その声と同時に複数の兵士が私を取り押さえた。


「っ……!」


「コレット!」


 レヴォルが叫びながら宿の中に戻ろうとする。が、一人の兵士が槍の持ち手側でレヴォルの腹部をついて、体ごと外に突き飛ばした。


「かっ……」


 突き飛ばされたレヴォルはみぞおちのあたりを抱えて、地面で悶えている。


「コレッ……ト……」


 腹部に手を当てながらレヴォルが立ち上がる。


「行かせません」


 ジークハルトがそれを阻んだ。


「邪魔……しないでくれ」


「それはできません」


 その声と同時に再び重たい金属音が鳴り響いた。


 見ると、レヴォルがすんでのところでサヴァンの突き出した剣を自身の剣で横に流している。


「レヴォル!」


 何か言わなきゃ、そう思って大きな声で彼の名を呼んだ。


「……コレット?」


 目を丸めてレヴォルがこちらを見る。


「私は大丈夫だから!」


「でも……!」


「大丈夫だから……また後でね?」


 そう言い残すと、私は兵士に促されるまま彼に背を向けた。


「コレット……! 待ってくれ! 今助けに……!」


 彼の叫び声が少しずつ遠のいていく。まるで夜の闇に紛れて見えなくなるみたいに。


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