174.最後の夜~3~
「ずいぶんと賑やかだな。何の話をしてたんだ?」
お盆にコーヒーカップを二つ乗せた僕は、扉を開けながら外にも聞こえる声ではしゃいでいたジャスミンとリルにそう尋ねた。
お盆を机の上に置き、コーヒーカップをそれぞれ片手に持つと、それを二人に差し出した。
「実は、ジャスミンちゃんが新しい魔術を考えたって言って……」
コーヒーカップを受け取りながらリルが簡単に説明する。
「へえ」
視線をジャスミンに向けると得意げに鼻を鳴らした。
「すごいのよ、この魔術。多分この世に使っている人は他にいないわ!」
「……それは、よかったな」
「絶対すごいって思ってないでしょ」
ばれたか。
正直、魔術の話となると僕には理解が難しい。が、ここは興味を持ってやった方がジャスミンも喜ぶだろう。
そう思った僕は「どんな魔術なんだ?」と関心を持ったようなセリフを口にした。
「口で説明するより見せた方が早いわよね」
「まあ、そうだな」
ちらりとリルの方をみると、うんうんと頷いている。
「ほんとにすごいですよ!!」
リルの反応からするに、彼女は既にその魔術を見せてもらったのだろう。
「行くわよ……」
ジャスミンは手を広げ、小さく口を開くと、
「ブーゲンビリア」
一つの花の名前を口にした。
すると、ボッと音を立てて、彼女の手のひらに一つの火の玉が出現した。
「これは……」
これは炎魔術だ。四素因魔術のうちの一つ。それぐらいのことしか知らないが、裏を返せば僕でもそれぐらいのことを知っている、基礎的な魔術だ。
ただこの魔術、確か呪文は――。
「呪文は〝ランメ〟じゃないのか? なんでブーゲンビリア?」
ジャスミンは呪文ではなく、花の名前を口にした。
「呪文って、精霊に対する命令文なの。その命令文を聞いて精霊は魔術っていう現象を起こしてるんだけど、一番大事なのは命令する側の心情とか意志なのよね」
「心情?」
「ええ。術者がどんな魔術を使いたいか、どんなことをしたいか、精霊はそれをちゃんと汲みとってる。ただ、それが結構あやふやなのよ。感情とか心情はちょっとしたことで揺れ動くから。その心情を確定づけるのが呪文なの。要するに呪文は確認でしかない。だったら、意味が伝われば別の言葉でもいいのよ」
「なるほど……?」
ならば、なおさら意味が分からない。それならなぜ花の名前なのか。
「それで、なんでブーゲンビリアなんだ?」
「ブーゲンビリアの花言葉に〝情熱〟ってあるの。それがうまい具合に炎魔術と噛み合ったんだと思うわ」
「なるほど……」
大体、なんとなく、本当になんとなく分かった。
つまり、花言葉に対応した魔術が発現するということなのだろう。きっとそうだ。
しかしまあ、だとしたら魔術に対する認識が少し変わるかもしれない。呪文も訳の分からない言葉ではなく、知っている言葉であれば馴染みのない者でも触れやすくなるだろう。
「エルがあの本を貸してくれたから思いついたのよ。ありがと」
そう言ってジャスミンはコーヒーを啜る。同時に顔を歪める。
「本?」
「あの花言葉の図鑑よ」
「ああ……」
そういえばそんなものも買っていたなと思い出す。
「いいなあ、魔術。私も使えるようになりたいです」
ぼそりと呟くリルの言葉にいち早く反応したのはもちろんジャスミンだった。
「興味湧いた!? 今度もっといろんなこと教えてあげる!」
「ほんと!? 絶対だよ! 約束ね!!」
そんな風にお互いの手を握りながらはしゃぐ二人を見て、僕はどこか微笑ましく思えた。それと同時に、先ほど思ったことがまた再び脳裏に浮かび上がった。
――ずっとこの夜が続けばいいのに。
ずっとこうして、平和に暮らしていけたらどれだけ良いだろうか。何も不安に思う事なく、何にもとらわれずに、ずっと、このまま――。
「エルさん、大丈夫ですか? 少し眠そうですよ?」
その声で我に返る。目の前には心配そうに僕を覗き込んでくるリルの顔があった。
「……ああ、すまない。少し考え事をしていた」
「もう寝たらどうですか? エルさん、今日すごく疲れてるでしょう」
「……そうかもしれないな。午前中から、ずっとバタバタしてたから」
確かに疲れていないというと嘘になる。心なしか瞼も少しずつ重くなってきた。今日一日中、ジャスミンを助けようと走り回っていたような気がする。実際走ったのはリルとあの下賤な輩から逃げるときぐらいだったが。
「僕は先に寝させてもらうよ。ベッドは二人で使ってくれ。僕は床に布団を敷いて寝るから」
「そんな、エルさんこそベッドで寝てくださいよ」
遠慮するリルに僕は首を横に振った。
「リルだって疲れているだろう。ジャスミンも。僕のことはいいから、二人で使え。僕は布団をとってくるから」
僕は立ちあがたって、部屋の扉に向かった。
たしか隣の部屋に布団があったはずだ。適当に引っ張り出して今日はもう寝よう。
「えっと、それじゃあお言葉に甘えて」
「ああ」
リルの言葉にそんなふうな返事をして僕は部屋を出た。
§
エルは布団を引っ張って部屋に戻ってくると、倒れこむように眠りについた。
「エル、本当に疲れてたのね」
そう言いながら、ジャスミンは眠りこけているエルの頬をつついた。
「エルさんすごく頑張ってたから。ジャスミンちゃんを助けようとすごい必死だったんだよ?」
「……そっかぁ。私を助けるために、かぁ」
ジャスミン・カチェルアは魔術に関しては天才である。確かに子どもっぽい所も否めないが、魔術の才は折り紙付きだ。
だからこそ、自分の中で起きている変化には既に気がついていた。
「リル。私、行かなきゃいけないの」
「そう言うと思った。ジャスミンちゃんなら……」
「……気付いてた?」
「うん。全部気付いてた。ジャスミンちゃんが苦手なコーヒーを飲みたいって言った理由も、エルさんにこっそり眠るように魔術をかけたのも、エルさんがお風呂に行っているときにこっそり手紙を書いてたのも、全部」
リルにはすべてお見通しだった。
別に魔術を使ったわけでも何でもない。そもそもリルはちゃんとした魔術の使い方を知らない。友達としての勘と、彼女の観察眼がモノを言った結果だ。
「……絶対、帰ってきてくれる?」
リルに、ジャスミンの行動を止める権利はない。ただその代わり約束してもらうことはできる。
「また私に会いに来てくれる?」
涙をこらえ、リルはジャスミンに問うた。
「……当たり前じゃない。私を誰だと思っているの? 魔術の天才なのよ? 絶対、負けたりなんてしないしリルのところにも帰ってくるわ」
ジャスミンはリルにとって大切な人だ。大切な親友だ。そんな彼女の言葉を信じないはずがなかった。
帰ってくる、ジャスミンはそう言った。ならば自分がすべきことは一つだけだ。
「分かった。私もジャスミンちゃんが帰ってくるの、待ってる。いつまでも待ってる」
「うん……」
ジャスミンは小さく頷き、隠すように仕舞っていた手紙を机の引き出しから取り出すとリルに渡した。
「それじゃあ、行ってくるわね」
「うん。気をつけてね」
リルのその言葉を聞くと、ジャスミンは自分の肩掛け鞄を手に、エルを起こさないように静かに部屋を後にした。




