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赤い夜に、魔女は泣く  作者: 与瀬啓一
第13章~赤い夜に、魔女は泣く~
173/177

173.最後の夜~2~

 食事を終えると、僕はアルルに起きたことを、知りえたことをすべて開示した。おまけにと言ってはアレだが、リルの宿からの流れもジャスミンに軽く説明した。


「ふむ、そうか」


 アルルはそう頷き、


「私が……その人の目的……」


 ジャスミンは少し驚いた表情を見せた。いや、ただ驚いたというよりは、少し怯えた表情と言った方がいいのかもしれない。


 リルは大体の事情を把握していたおかげか、それほど動揺することもなかった。ただやはり、ジャスミンのその表情を見て、どこか不安を募らせたのだろう。


 心配する表情がリルの顔には浮かんでいた。


 ファムの目的は恐らくジャスミンを使って〝ワルプルギスの夜〟を再現することだ。これは間違いないだろう。


 それを知ればジャスミンが表情を強張らせるのは不思議なことではない。


「ともかく、ファムがジャスミンを捕まえようというのだな。ならばこの森の中に好きなだけいるといい。この森には結界を張る魔法道具がある。しばらく張る理由がなくて張っていなかったが。後で張っておこう。結界内にいる限り、こちらから出ることはできるがあちらから入ってくることはできない」


「……結界ごときでどうにかなるのか」


 僕は素直な疑問を口にした。あのファムという魔女は僕の見立てではツルカと同等か、それ以上だ。そんな相手に、魔法道具の結界ごときでどうにかなるのか。


「無いよりはマシだ。かつての森の魔女……エルの曾祖母が作ったものだ。そう簡単に壊れるようなものではないさ」


「……そうか」


 その言葉で不安が消えたわけではない。しかし、無いよりマシというアルルの言葉はごもっともだ。結界を張ってくれるのであれば、それに越したことはない。


「となると、寝泊まりする部屋がいるな。三人ともコレットの部屋に泊まるといい。エルとジャスミンは場所が分かるだろう。二階に上がってすぐのところだ」


 そう言って、アルルは階段の方を指さす。


 そんなアルルの申し出に僕は頷くと立ち上がった。


「何から何まで本当にすまない。ありがとう」


 そして小さく頭を下げた。


 ファムの存在があったにしても、ジャスミンを救い出すことができたのはアルルのおかげだ。彼女がいなければ、テレーズをどうにかすることもできなかった。こうして逃げ帰ることもできなかったに違いない。まあ、あの木札でここに飛ばされたのはただの幸運だが。それもきっと、三人全員の縁とやらを手繰り寄せた結果なのだろう。


「そういうのはよせ。感謝されるようなことは何もしていない。ほら、とっとと部屋に行け。今日はゆっくり休め」


 アルルはまるで追い払うように手を動かし、僕たちに部屋に行くように言った。


 ただ、感謝の念を抱いたのは僕だけではなかったようで、リルとジャスミンも「ありがとうございます」と丁寧に口にして、小さく頭を下げたのだった。



§



「隠れることはないだろう」


 三人の子どもが階段を上っていくのを見届けてから、アルルは扉の後ろに隠れていた最愛の人に声を掛けた。


「いえ、何やら込み入った話だったように思えたので」


 ローランは部屋に入ると、そう言ってアルルの向かいに座る。


「別に、込み入った話も何もしてなどいない。ただ私は大人としてすべきことをやっただけだ」


「……しっかり母親のように見えましたよ」


「からかうのはよせ」


 アルルはぶっきらぼうに言い放つと、少し微笑んでいるローランから恥ずかしそうに顔を逸らした。


「……ローラン、あの子たちはどうなるのだろうな」


 視線を階段の方に移動させて、アルルはぽつりと疑問を口にする。もちろん、アルルはその答えをローランに求めているわけではない。その疑問に共感して欲しかっただけだった。


「どうなるのでしょうね。私には何とも言えませんよ。人生何が起きるか分かりません。死ぬと思った一線から、こうして生き残った我々がいますからね。あの三人のうち、誰かが欠けるかもしれない。逆に誰も欠けないかもしれない。そんなことは神にだって分かりませんよ」


「……そうだな。その通りだ」



 誰にも、未来のことは分からない。誰が死ぬのか、誰が生きるのか。誰が勝つのか、誰が負けるのか。


 ただ彼らにできるのは、待つことだけだった。


 そうして終わりの夜が幕を開ける。



§



 外は既に静まり返り、空には無数の星の輝きが散りばめられていた。かなり早めの夕食を終えた僕たちは、アルルの提案で湯あみをすることになった。


 先に僕一人で入り、疲れと汗を洗い流した後、ジャスミンとリルは二人一緒に風呂場に向かって行った。


 彼女らが部屋を出てから一時間が経つ。そろそろ戻って来るだろうと思いながら、僕は片手にコーヒーの入ったコップを持ちながら、ぼんやりと窓の外を眺めていたのだ。


「気持ちよかった~」


 そんな声と共に、部屋の扉が開く。顔を覗かせたのは蕩けたような顔をしたジャスミンだった。


 その後ろにはリルの姿もある。ただ、二人とも着替えがないようで、服装は昼間と変わっていない。ジャスミンにいたっては例の黒いワンピースドレスだ。


「エルさん、何飲んでるんですか?」


 僕の手元に視線を向けながら部屋の扉を閉めるリルが尋ねてくる。


「コーヒー。リルも飲むか?」


 リルのその問いに反射的にそう返した。彼女はコーヒーが飲めただろうか。少なくとも、彼女の横にいる茶髪の少女はコーヒーが飲めない。


「あ、いただきます」


「砂糖とミルクは?」


「無くて大丈夫です」


 どこぞのお転婆と比べて大人である。いやまあ、別にコーヒーにミルクを入れるのがどうこうで大人かそうでないか決まるわけではないが、そんなリルの返答を聞いて感心しているジャスミンの姿を見ると、リルは相対的に大人に見える。


「分かった。淹れてくるよ。ジャスミンはいらないだろ?」


「私だってコーヒーぐらい飲むわよ」


 頬を膨らませて言う。分かりやすく強がるものだ。


「紅茶じゃなくていいのか」


「今日はコーヒーの気分なの」


 気分も何も飲めないだろうという言葉は飲み込んで、僕は小さく頷いた。


「ミルクも砂糖もいるだろ?」


「……いらないわ」


 思いもしなかった反応に――いや、彼女の強がる癖を知っていればそれほど驚くことではないかもしれないが、まあ予想していない返答に僕は驚いた。


「意外だな」


「ジャスミンちゃん、さっきお風呂場で苦いの苦手って……」


 リルの言葉を聞く限り、どうやら本当にただの強がりらしい。少し恥ずかしそうに顔を赤くするジャスミンが「別にいいでしょ」と少し不機嫌そうに言い放った。


「まあ、これを機に飲めるようになるかもしれないしな。じゃあ、淹れてくるよ」


 僕はそう言って二人のいる部屋を後にした。


 こうして安心してジャスミンの元を離れられるのはアルルの言う結界があるからだ。どれほどのものかは知らないが、アルルがあそこまで言うのだ。滅多なことでは壊れないだろう。


 一階の台所に着くと、僕は戸棚を開けてコーヒーを淹れる準備をした。湯を沸かし、挽いてあるコーヒー豆を専用の布の上に乗せる。


 ふと、これから自分たちはどうなるのだろうと思う。


 ファムはいずれまた僕たちの前に姿を現す。そうなったとき、また逃げるのだろうか。今度はどこに逃げるのだろうか。そもそも逃げる場所はあるのだろうか。


 そんな不安が密かに込み上がってくる。


 仮にもし、この森を包んでいるという例の結界がとてつもなく強固なもので、ファムでさえ手出しができないのであれば、ずっとここで暮らすのも悪くはない。


 こうして三人でコーヒーを飲んで、アルルやローランも交えて食事をして。


 そうなった場合気がかりなのは両親のことになるわけだが。そういえば、今両親はどうしているのだろう。


 勉強家の父は相変わらず部屋に籠っているのだろうか。寂しがり屋の母は、あまりの寂しさに泣いたりしていないだろうか。


 そう思ったとたんに、急に家が恋しくなった。父と母の姿を見たくなった。またあの心地よい薬品の臭いを、嗅ぎたくなった。


 ツルカは、大丈夫だろうか。僕たちが魔法道具でここに飛んだ後、ツルカはファムと対峙しているはずだ。ツルカのことだ。必ずファムを排除しようとするだろう。そうなった場合、彼女はファムに勝てるのか。


 不安だ。


 不安で押しつぶされそうだ。


「こんなにも、大切なものが増えていたんだな……」


 ふと、そんな言葉が口から漏れだした。


 不安に感じるのは、それを大切に思っているからなのだろう。もし大切でなければ不安に思うこともない。我関せずといった涼しい顔をしているに違いない。


 今は、ただひたすらに心が苦しい。先行きが見えない不安が、ありもしない焦燥感を掻き立てた。


 ずっとこの夜が続けばいいのにと、願わざるを得なかった。

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