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赤い夜に、魔女は泣く  作者: 与瀬啓一
第12章~鬼ごっこ~
166/177

166.知恵の宝庫へ~1~

「アンネの……灯火?」


 それは、僕が、ジャスミンが追いかけていた組織の名前だった。マイクロフト・ワーカーは、ウィケヴントの毒事件、トカリナ誘拐事件の黒幕は魔女だと推測していた。


「……お前が」


 彼女が、全ての元凶。僕は彼女のその顔を睨むように凝視した。真っ黒な髪、赤い瞳。


「今は睨み合っている場合ではないんじゃないかしら?」


 ファムはどこか余裕そうな表情を浮かべ、少し笑った。


「ちょっと待ってくれ。何が何だかさっぱり分からない」


 ずっと話を聞いていたキーリングス医師が落ち着かない気持ちに押されてか立ち上がった。


 立ち上がったキーリングス医師の方をファムは一瞥すると、


「そうね。ここだと落ち着かないし、一度場所を変えましょうか」


 僕の方に向き直りながらそう告げた。


「ひとまず、私にはあなたに協力する意思がある。それはもちろん、あなたも私に言いたいことや聞きたいことはたくさんあるでしょうけど、あとにしてちょうだい。今は一刻を争う、そうでしょう?」


 確かに、ファムの言う通りだ。だが信頼はできない。しかし、彼女を頼る以外に道がないのもまた事実だ。


「……今はお前に従おう。ただ、色々と話は聞かせてもらうからな」


「ええ、もちろん」


 頷くファムは僕の方に手を差し出した。まるで握れと言わんばかりのその手を僕は視線を落として見つめる。


「さあ、手を取って。あなたの行きたい場所に連れて行ってあげる。そっちの女の子も来るでしょう?」


 そう言うと、横で硬直しているリルに向かってファムは顔を向けて微笑んだ。


「えっ、あっ、はい……」


 依然、不安をその顔に浮かべてリルはその黒髪を揺らしてこちらを見る。


「……大丈夫。僕もいるから。心配しないで」


「はい……」


 頷くリルを見てから、今度は僕はキーリングス医師の方に向き直った。


「……急にお尋ねして、本当にすみません。お世話になりました」


 頭を下げ、その旨を伝えた。


「君が……何かしら深い事情を抱えているのは何となく分かった。きっとあの毒について詳しいのもそのせいなんだろう。気をつけたまえ。そしてまた、私のところに顔を見せに来てくれ」


 キーリングス医師の言葉に、僕は小さく頷いた。


「お別れは済んだかしら。そろそろ行くわよ」


 ファムは僕の手とリルの手を握り、ぼそりと何かを呟いた。


 次の瞬間、目の前の景色は様変わりしていた。



 薄暗い視界、立ち並ぶ木々、青い空を覆う枝葉の数々。


「ここは……」


 見覚えがある。ここは、この場所は。


「そう、ここは南の大森林。帝国との国境、魔物の棲み処、魔女の隠れ家。昔からそんな風に呼ばれている場所よ。そして、あなたたちの目的を達成するには必要不可欠な場所」


 ファムが説明すると、リルが驚いたような表情を見せた。


「だっ……大森林!? 大森林って、町から馬車で半日はかかるはずじゃ……」


 そう言って周囲に首を回す。


「まあ、私は魔女だから転移魔術なんてものはお手のものよ。――で、そろそろ話をしろと言った感じかしらね、エル・ヴァイヤーくん」


「ああ……」


 彼女は、〝アンネの灯火〟の教祖だと自分で言った。それが意味するのはネーヴェ王国での一連の事件の犯人であると公言したようなもの。


 もしかしたら、無名の町でのウィケヴントの毒騒動も彼女の仕業かもしれない。


「何から聞きたいのかしら」


「お前の、目的はなんだ」


 彼女の目的。かつて、僕が生まれるよりも前のとき、ネーヴェ王国で毒を撒いた理由。他人(ひと)を攫った理由。


「〝ワルプルギスの夜〟を再現するためよ。それ以外の目的はないわ」


「なっ……」


「ワルプルギスの……夜」


 ワルプルギスの夜。『想火の魔女』アンネ・ワルプルギスが起こした三百年前の大災害。国を一つ焼いたという、未曽有の災厄。


 それを再現しようというのか。


「なぜ、そんなことを」


 僕の問いに、ファムは一つため息を吐いた。


「……世界のためよ」


「世界……?」


 その単語をリルが聞き返す。


「ええ。世界のため。他に聞きたいことは?」


 僕はそう言ってこちらを見るファムに、何も言うことができなかった。彼女の言葉の意味が分からなかった。


 世界のためにワルプルギスの夜を再現する? 正気の沙汰ではない。三百年前のそれは誰もが知る出来事だ。国を一つ滅ぼしたその出来事が世界のためなわけがない。


 だというのにファムはさもそれが正義であるような目をしている。狂ってものを言っているわけではない。彼女は正気であるように僕には見えた。


 だからこそ、次の言葉が見つからない。聞きたいことはある。だがそれを聞いてどうなる。なぜ、災害が世界のためなのか、その質問が本当に意味を成すのか。それを聞いて、僕は納得するのか。


「聞きたいことを聞かないのは賢明な判断ね。聞いてもあなたはどうすることもできないでしょうから。それに今は他に聞くべきことがあるはずよ。なぜ私がテレーズを殺すのか、とか」


「……!」


 確かに、彼女がテレーズを殺す理由が分からない。テレーズを殺すことでどんな利益がファムにあるのか。


「聞かれたら答えようと思っていたけれど、どうやらお客さんみたい」


「客……?」


 振り向くファムの背中の向こうに視線を向ける。それに釣られるようにリルも僕の目線を追いかけた。


 薄暗い森の奥、立ち並ぶ木々の間から一つの声が聞こえる。


「誰かと思えば、あなたでしたか。それに、知らない顔もいらっしゃいますね」


 木々の間から姿を現したのは一人の男性だった。


「ローランさん……」


 その男性の名前を呼ぶ。


 確かに、この森の中であれば彼に遭遇するのは不思議なことではない。南の大森林は名前の通り広大だ。ファムの魔術によって飛ばされたこの場所が、大森林のどこか分からないこの状況で、彼に出会えたのは幸運と言える。


「ローランさん、家にお邪魔してもいいですか」


「別に構いませんが。それは私にとってもアルルにとっても喜ばしいことです。聞きたいことは山ほどありますが……」


 ローランはちらりとファムとリルに視線を配った。若干鋭いその視線にリルは少し驚いたような、怯えたような目を見せた。


 ファムはというと、まるでなんとも思っていないような涼しい顔をしていた。


「ありがとう、助かる」


 そう言って僕は頭を下げた。


「……エルくん、私も行っちゃっていいのかしら?」


「今は何も聞かない。ジャスミンを助けるのを手伝うというお前の言葉は信じる。それまでの間だ。魔女としての腕があるのはさっきの転移魔術で分かった。転移魔術はそう簡単な魔術じゃないだろう」


 ファムの言葉に、僕は顔を逸らしながらそう答えた。


 僕だって魔術に特別詳しいわけではないが、どこぞの女王様から色々と聞いている。呪文の詠唱の有無のことだったり、転移魔術が難しい魔術であることだったり。


 つまり、横にいるこのファムという魔女はツルカと同等か、それ以上の魔女だ。今はそんな魔女の手を借りることができるというのであれば、それに越したことはない。信用も信頼もできないが、期待はできる。


「それなら、今だけは休戦ということで、ね。まあ、別に真っ向から争っているわけではないけど、私に対する敵対心はあるでしょう」


 ファムの言葉に僕は耳を貸さず、リルの手を引いてローランの傍に歩み寄った。


「それでは、行きましょうか」


 前を向くと、ローランは迷う素振りも見せずに険しい森の中を慣れた足取りで歩んでいく。


「リル、足元に気をつけろ」


 彼女の手を引きながら、おぼつかない足取りのリルを気遣うように言う。


「大丈夫です、ありがとうございます」


 後ろからするその声に僕は首を少し振り向かせた。


 彼女のもう二、三歩後ろにはファムがついてきていた。


「しかし、良い目をするようになりましたね」


「え?」


 ローランの突然のその言葉に僕は彼の方に向き直った。


「決意が固まり、成すべきことを見つけた男の目。父君によく似ている」


 ローランはこちらに視線だけを向けながら続ける。


「ジャスミンの姿が見えないのは……きっと何かがあったのでしょう。ここに来たのも、アルルに知恵を借りに来たといったところでしょうか。ジャスミンを助けたいというその目が、二十年前の彼と、レヴォルと同じです」


 ローランには、一体何が見えているのだろうか。僕は何も事情を話していないというのに、一言二言会話をしただけでこれほどまでに全てを見通している。


「その決意に私は応えたい。きっとアルルも同じことを思うでしょう」


 ローランが顔を真っ直ぐに向けるその先、視界が晴れて、木々がまるで避けるように生えているその場所に、一軒の家が姿を現す。


「自分にはどうしようもないこと、どうにもできないことに生きていればぶつかります。そんなときは他人を頼ってもいいのです。しかしそれには勇敢とは少し違った覚悟がいります。一人で何かを成そうという覚悟はあなたにはあったかもしれない。しかし、他人を頼ろうという覚悟は、出会ったときにはまだなかった。それが今はある。知恵を、力を借りたいのならば、いつでもこの扉の取っ手を握ってもいいのです。ここは知恵の宝庫、かの名高い『森の魔女』のかつての住まい。今はしがない狩人と人形師の家ですが、知恵はあります。さあ、中へ」


 そう言いながら、ローランは扉を開けた。


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