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赤い夜に、魔女は泣く  作者: 与瀬啓一
第11章~アンネの灯火~
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156.魔女は嗤う~2~

 幸い、建物が燃えている様子は見られなかった。先ほどの爆発もどうやら一時的なもののようで、火元ごとジャスミンの魔術に消されたらしい。


 微かに煙の漂う廊下を走り抜け、僕はまずギルバートや子どもたちがいる部屋に向かった。


「ギルバートさん! 無事ですか!」


 扉を開け、呼びかけるとそこからは子どもの泣き声が聞こえてきた。


「……エル君か。怪我はないかね?」


「僕は大丈夫です。それよりギルバートさんや子どもたちは……」


「私たちも大丈夫だ。どこかで火の手が上がったようだな。とりあえず全員外に避難させよう。また火が上がるかもしれん」


「ええ」


「ギルバート氏、無事か!?」


 僕のすぐ後ろ、開け放っている扉のところで聞こえる声に僕は振り向いた。そこにいたのはマイクロフトとジークハルトだった。おそらく、先ほどの爆発音と火事で目を覚ましてこの部屋に様子を見に来たのだろう。


「お客人も無事なようだな。今からこの建物を出て、一時的に避難する」


「分かった、そうしよう。原因の究明はその後だ」


 そういうマイクロフトは先頭に立って煙の漂う廊下を玄関に向かって歩いて行った。僕とジークハルトもそれについていく。


 ギルバートは子どもたちのことで少してこずっているようでまだ部屋の中にいる。


「先に行っていてくれ。すぐに行く」


 心配で振り返る僕に、ギルバートはそう声を掛けた。それならばと、僕は少し小走りで玄関のところに突っ立っているマイクロフトの元へ向かった。


「マイクロフトさん、とりあえず出ましょう。荷物とかは後でいいじゃないですか」


 依然、玄関で扉を開けたまま突っ立っているマイクロフトとジークハルトに僕はそんな声を掛ける。


 しかし僕の声は二人には届いていないようだった。


「ジーク、剣を持ってきているか?」


「……短剣なら」


「この人数、対処できるか?」


「厳しいな。しかしまあ、時間稼ぎ程度ならできる」


「十分だ」


「なんの話を……」


 わけの分からぬ話に、僕は二人が見つめる先を覗き込んだ。


 そしてその光景を瞳に映したとき、僕は目を疑った。


 少女が立っている。茶髪で、金色の髪留めをしている女の子。闇夜に浮かぶ二つの翡翠は、微かな月明かりを反射してキラキラと輝いている。ジャスミンだ。


 ジャスミンは両手に白い杖を握りしめ、自身の前方に向けている。


 そして驚くべきなのは、彼女を取り囲むように人が立っている。黒い服に身を包んでいて、詳細はよく分からない。しかし誰もが片手に鋭い刃物を持っているのが、薄暗いこの夜でもおぼろげながら分かった。


 中には笛のようなものを口にくわえている者もいる。


「……どうしたのかね」


 事態の異様さに気づいたのか、子どもたちを連れてきたギルバートが僕の背中越しにマイクロフトに尋ねる。


「ギルバート氏に頼みがある」


「なんだね」


「私たちが乗ってきた馬車でエルとジャスミンと、ここの孤児院の子どもたちを乗せて逃げてほしい。最悪の事態だ。奴らは別に追われるだけの存在じゃないんだ。奴らがこちらに手を出してくることだって考えられたはずなのに……クソッ!!」


「……どうにかできるかね」


 外の様子を確認したのか、ギルバートが少し声を低くしてマイクロフトに尋ねる。


「何とかしてやるさ。そのためのジークだ。活路は私とジークで開く。ギルバート氏は急いで子どもたちと馬車へ。エル君はジャスミンを何とか小脇にかかえて逃げてくれ」


「ちょっと待ってください! さっきから何を言って……」


 マイクロフトの肩を掴んで叫ぶと、彼は振り返ってにこやかに微笑んだ。


「大人としての義務を果たすだけだ。なに、後から追いつくさ」


 それだけ言うとジークハルトとマイクロフトは勢いよく玄関から飛び出した。


「道は私たちが開く! 全員一直線に走れ!!」


 マイクロフトが叫ぶと、ジャスミンを囲むように立っている黒装束のほとんどが、首をぐるんと曲げて、マイクロフトの方に視線を向けた。


 その直後――。


 彼らは引っ張られるようにマイクロフトとジークハルトの方に向かって走り出した。


 そんな彼らの動きにつられたのか、ジャスミンもこちらに顔を向ける。そして僕の瞳に彼女の翡翠色の瞳が映った瞬間、僕はマイクロフトたちの後を追うように走りだしていた。


 前を走るジークハルトとマイクロフトは既に黒装束と衝突していた。ジークハルトは胸にしまっている短剣を手に取り、マイクロフトは変わった動きで丸腰で応戦している。対する黒装束も剣を片手に二人に斬りかかろうとしている。


「マイク……お前そんな武術をどこで……?」


「『吹雪の魔女』に教えてもらったのさ。なんでも東洋の島国の武術だとか……!」


 マイクロフトは相手の袖と胸ぐらだけを掴んで、器用に相手を地面に押し倒している。ジークハルトの方も素早い動きで剣戟を躱しながら、一撃一撃を丁寧に打ち込んでいる。


「エル……!」


 ジャスミンの呼ぶ声に僕は顔をあげる。


 どうやらジークハルトとマイクロフトが本当に道を開いてくれていたらしく、あっさりとジャスミンの元まで辿り着いた。


「エル……! 魔術が……!!」


「話は後だ! 逃げるぞ!!」


 僕はジャスミンの腕を引っ張り、メルテルン教会の庭を裂くように馬車へ向かって走った。後ろを振り向くと、ギルバートやアスタ、それに子どもたちも走ってこちらに向かっている。


 ただ、相手の黒装束も黙って僕たちを見過ごす気はないようで――。


 ジークハルトたちが応戦していた黒装束のうちの三人がこちらに急に体の向きを変えると、逃がさないといった勢いでこちらに走ってくる。


「……まずい!」


 僕やジャスミン、ギルバートやアスタなら逃げ切れるかもしれない。しかし、僕たちが一緒に逃げるのは子どもたちもだ。いかに馬車までの距離が庭一つ分しかないといっても、捕まってしまう危険性がある。


「……っ!! 全員伏せて!!」


 突如、ジャスミンが叫んだ。


 その声に僕を含める全員がその場に身を屈めた。


 そのとき、ジャスミンがギルバートや子どもたちよりも後ろの、黒装束の手が伸びているその場所に向かって何かを投げた。


「……魔法道具」


 その力を僕は一度目にしたことがある。着弾点に壁を作る魔法道具だ。


 直後、黒装束を上空へ突き上げるように、土で出来た壁が空に向かって勢いよく伸びた。


「全員走れ!」


 僕は壁ができたのを確認すると叫んだ。


 今は何よりも子どもたちの身の安全を確保しなければならない。


「ギルバートさんは馭者席へ! 子どもたちが全員乗ったらいつでも出られるようにしてください!」


「分かった」


 馬車の元まで来ると、ギルバートにそう言ってから僕は馬車の荷台に飛び乗った。


「僕が引き上げるから、腕を掴んで!」


 子どもたちにそう呼びかけ、馬車の下に手を伸ばす。


 逆にジャスミンは子どもの両脇に手を入れて、持ち上げて荷台に挙げてくれている。


 土で出来た壁の方に視線を向けると、壁の向こう側から、剣が交じり合う音が微かに聞こえた。黒服の姿は見えない。


 この調子なら子どもたちを全員荷台にあげられそうだ。


 子どもの最後の一人を荷台に乗せて、残るはジャスミンだけとなった。


 僕は最後に彼女の腕を掴もうと手を伸ばした。が、僕が伸ばした手が掴んだのは何もない虚空だった。


「ジャスミン?」


 突如姿を消した彼女の名前を呼ぶ。


「エルっ……助け……」


 その声のした方に視線を向ける。


「ジャスミン!!」


 そこにジャスミンはいた。黒装束の男が彼女の首に腕を回して逃げ出せないようにとらえている。


 僕は急いで荷台から降りた。


 もう、無我夢中だった。自分が丸腰だとか、戦えないだとか、そんなことは頭の片隅にすらなかった。


 ただ、助けを求めた彼女を助けねば、と。一心不乱にジャスミンのもとに駆け寄る。


 案の定、丸腰の僕に対して黒装束は剣を向けてきた。流星のように向かってくる突きを僕は寸でのところで上体を逸らして回避する。そして――。


「おおおおおおっ!!」


 こぶしを握り、足と足の間、付け根の部分に思い切りぶつけた。


 すると黒装束は無言で膝から崩れ落ち、その場でもがき始めた。ちょうどいい所に当たったのだろう。痛くて当然だ。


「ジャスミン、無事……」


 声を掛けながら僕は顔を持ち上げる。だがその言葉を最後まで言うことはできなかった。ジャスミンの後ろにまた一人、いや二人、黒装束の姿を確認したからだ。


「エル……後ろ……」


「……後ろ?」


 ジャスミンが指さす僕の後ろに振り向く。


「なっ……」


 最悪だ。僕とジャスミンの周囲には五人の黒装束が立っている。ジャスミンの背後に二人、僕の背後に三人、まるで僕たちを取り囲むように立っている。


「エル君!」


 ギルバートの叫ぶ声が聞こえる。


「……先に行ってください!」


「しかし……!!」


 迷うギルバートに僕は視線を送った。マイクロフトの言葉を借りるならこれは年長者としての義務だ。小さな子どもを守るだけだ。何も特別なことではない。


「……」


 ギルバートは僕の視線を受け取ると、田頭名を握り直して、一度だけしならせた。直後、馬の嘶きと共に馬車はメルテルン教会から離れていった。


 さて、問題はこの状況をどうしたものか、ということだ。


 土壁の向こうからは戦闘音はすでに消え、静まり返っている。ただ、ジークハルトの姿もマイクロフトの姿も見えない。


「……あんたらの目的はなんだ」


 僕は向き直り、ちょうど正面にいる男に問いかけた。


「……」


「なんでこの孤児院を襲った」


「……」


「何が目的なんだ! 答えろ!!」


 僕の叫ぶような問いかけに答えたのは言葉でも何でもなかった。


 目の前の男が真っ直ぐ剣を持ち上げたのだ。その動作の意味を僕は瞬時に理解した。


 この黒装束は僕を斬ろうとしている。つまりこうして囲んでいる目的は――。


「ジャスミンが、目的なんだな?」


「……!」


 振り下ろそうとする手が一瞬止まる。が、それだけだった。


 次の瞬間に僕の目の前には黒装束の剣が命を奪わんとしようと――。


「ギリギリ間に合ったわね」


 その声が聞こえたときには僕の目の前にいた男は全員地面に伏していた。後ろを振り返ると残りの二人も同様の有様だ。


「……へ?」


 ぽかんとする僕とジャスミンはお互いに顔を見合わせた。目の前で起こった現象に脳の理解が追いついていないからだ。


 現状を確認し合うように視線を交える。


「あら、助けてあげたのに感謝の言葉もなくって?」


 先ほどと同じ声がまた聞こえる。頭上からだ。声のした方に僕とジャスミンは視線を向けた。


「こんばんは、森で合って以来かしら」


 そこにはどこか見覚えのある姿があった。真っ赤なワンピース、黒く長い髪は細い月明かりを反射してその美しさを際立たせている。そして、宙に浮いている。それだけで彼女が何者かすぐに分かった。


「……魔女?」


「ええ、そうよ」


 ちょうど僕とジャスミンの前に降り立ちながら、女性がそう返事をする。


 ローイラの花採集中に出会った隻腕のこの女性――正体は魔女だったのだ。しかし、今の問題はそこではない。


「なぜ、あなたが?」


 なぜ彼女がここにいるのか、ということだ。僕とジャスミンは、現在頭上でふよふよ浮いている魔女とは接点がない。それこそ、南の大森林でたまたま会っただけだ。


「魔女が人を助けるのに理由が必要? 魔女ってこういう生き物でしょ? 別に不思議がることはないわ」


 そう、かもしれない。


「じゃあ、あなたは僕とジャスミンを助けに来た、と?」


「ええ。少しお話もしてみたかったから、そのついでよ。変なのに絡まれているみたいだったし。ひとまず、ここを離れましょうか。(わたくし)のお家に案内してあげる。さ、私の手を取って」


 そう言って、女性は右手を差し出してくる。


「ちょっ、ちょっと待ってください」


 差し出された手と女性の顔を交互に見ながらジャスミンが不安そうにその言葉を口にする。


「なにかしら?」


「あの、助けていただいたのはとても嬉しいんですけど……私たちも用事がありますし、それに……」


 そこまで言うとちらりと天に伸びた土壁の方に視線を向ける。おそらく、ジークハルトとマイクロフトの身を案じているのだろう。騒ぎが落ち着いてから、まだ彼らの姿を見ていない。


「ああ、あの男たちなら無事よ。安心なさい。今は少し眠っているけれど、朝になる頃には目を覚ますわ。外で寝ていてもらうのは少し悪いけど、建物がこの有様では仕方がないわね。(わたくし)も運べる人数に限界があるし」


 その言葉を聞いてなお、ジャスミンの表情から不安は抜けていなかった。その様子を見てか、女性はその目を閉じたまま優しげに微笑んだ。


「大丈夫よ。朝までには返してあげるから。寂しがり屋の魔女のお願いを聞くと思って、一晩だけ付き合ってもらえないかしら?」


 ジャスミンは女性から視線を外すと、今度はその不安そうな表情を僕に向けた。これの決断を僕に委ねたのだろう。


「……一晩だけなら」


 この女性には助けてもらった恩がある。その恩返しと思えばいいのだろう。


「決まりね。それじゃあ行きましょうか」


「あの、荷物は……」


「それならもう向こうに運んであるわよ。だから安心してちょうだい」


 随分手際がいいなと思いつつ、僕は女性の手を取ることにした。正直、正体のよく分からぬ相手についていくというのはどうかと思う。しかし、彼女が魔女であることと、こうして助けられたことを考えれば、まあ、信用しても大丈夫だろう。


「さあ、お嬢さんも」


 不安の表情を浮かべるジャスミンに女性はまたにっこりと微笑んだ。ジャスミンはそれでもその表情を変えることはなかったが、僕が女性の手を取っているのを見てか、差し出されている女性の手を取った。


「それじゃあ、行きましょうか」


 女性のその言葉の直後、まるで飲まれるように意識が遠のいた。


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