152.アンネの灯火~2~
庭を突っ切って教会に入ると、先ほどの少女が待ち構えていた。「こちらです」と言って、玄関のすぐ右手の扉を開けた。
「すまない、お邪魔するよ」
そう言って部屋に入っていくマイクロフトについていくように僕たちも扉を通った。室内は広く、長テーブルが三つ綺麗に整列していて、セットと思われるたくさんの椅子が綺麗にしまわれていた。その中で、ひと際存在感を放つ男性が一人。
「いらっしゃい、私の楽園へようこそ。歓迎するよ」
男は立ち上がると丁寧にお辞儀をした。
「これはこれは、ご丁寧に」
マイクロフトが同じように頭を下げる。
「あなたがギルバート・ダーク氏で間違いないね?」
「いかにも」
マイクロフトの問いに、その男性――ギルバート・ダークは小さく頷いた。
「私が〝アンネの灯火〟教祖、メルテルン孤児院院長のギルバート・ダークだ。そして君たちを連れてきた彼がこの孤児院の中で最年長の……」
「アスタです」
黒いフリフリの少女は自分の名前を告げると、ギルバート同様丁寧に頭を下げた。
「ご紹介ありがとう。私はマイクロフト・ワーカーという。ネーヴェ王国で小説家をやっているものだ。隣の彼は私の友人でネーヴェ警吏隊のジークハルト・ドジソン。そしてこの子たちがエル・ヴァイヤーとジャスミン・カチェルアだ」
マイクロフトの紹介に合わせるように、僕やジャスミンは小さく会釈をした。頭をあげて前を見ると、ギルバートと目が合う。
リルに聞いていた通り、若干怖い印象のある顔立ちだ。右目の切り傷がそうさせているほか、やたらと背が高い。白い顎鬚もどこか威圧的だ。
ただ、そんな印象は一瞬で崩れ去った。目が合った瞬間、ギルバートはその強面からは想像もできないほど穏やかに微笑んだのだ。
「私たちは、母国で起きた誘拐事件や、それに関する一連の出来事について調査しているんだ。そこであなたの開いた〝アンネの灯火〟の名前が挙がった。それについて話を聞こうと思ってこの教会、もとい孤児院を尋ねた次第だ。少しお時間いただけるかな?」
マイクロフトが確認をとる。会うことはこうして叶ったわけだが、話をしてくれるとは決まったわけではない。もしここで断られてしまえば、別の道筋で究明しなければならない。
「もちろんいいとも。お茶を飲みながらゆっくり話そうか。アスタ、紅茶を淹れてくれ」
「はい、先生」
ギルバートの言葉を快く受け入れると、アスタは駆け足で部屋を出て行った。
「さあ、ずっと突っ立っているのもあれだろう。四人とも腰かけたまえ」
「では失礼して」
まるでマイクロフトが座るのを合図にしているかのように、僕たちは彼に続いて椅子を引いて腰かけた。
「それで、まず何が聞きたいのかね?」
ギルバートは両肘をテーブルについて手の上に顎を乗せると、率直にその質問をした。
「〝アンネの灯火〟について、一から百まで教えていただきたい。あなたがこの宗教を開いた理由やその経緯から資金源まで」
「……洗いざらい吐いてもらう、といった感じかね」
「言い方を悪くするとそうなるね」
まるで一触即発というような空気があたりに充満する。僕もジャスミンも、ジークハルトでさえも固唾を飲んで身構えた。
「そこまで警戒しないでくれ。先に言っておくがここの〝アンネの灯火〟はハンメルンで子どもを誘拐した〝アンネの灯火〟とは別物だ」
「やはりそうか……」
「どういうことです?」
納得したように呟いたマイクロフトに僕は問いを投げかけた。
「簡単な話だ。単純に〝アンネの灯火〟は二つあるというだけの話だよ」
「ああ、なるほど……」
実に簡便な答えである。僕たちが擦り合わせた情報で一致しなかった〝アンネの灯火〟の存在。マイクロフトたちが持っていた「二十年前には既に存在していた」という情報は正確なものだという話だった。一方で僕たちが調査した結果、「一年ほど前にできた宗教団体」というのも紛れもない真実。どちらも正しいというわけの分からないことになっていたが、同じ名前の組織が二つあるのなら納得がいく話だ。
「続きを」
マイクロフトは短い言葉でギルバートに次の言葉を促した。ギルバートは頷くと顎鬚を一度撫でてから口を開いた。
「かつて私も〝アンネの灯火〟に所属していた。当時私は娘を亡くしていてね。ちょうど君ぐらいの年の元気な女の子だった」
ギルバートは視線をジャスミンに向ける。ジャスミンはギルバートの顔を見てビクリと一度だけ体を震わせた。
ジャスミンが怖がったのを察したのか、ギルバートはまた柔らかな微笑みをその顔に浮かべ、再度口を開く。
「娘を亡くしたところに、ある人物が現れのだ。名前も顔も思い出せないが、あれがきっと〝アンネの灯火〟を組織したのだろう。『かつて悲しみの中で自らの命を炎で燃やした魔女がいた。そんな風な哀れな少女を救いたいと思わないか』とそれは言った。娘を亡くして心を病んでいた私はその謎の宗教に縋ったよ。ただ、その選択は間違いだった」
ギルバートが口を閉じたちょうどそのとき、コンコンという軽いノック音と共に部屋の扉が開いた。
「お茶を持ってきました」
扉の向こうにはアスタの姿があった。お盆にティーカップが全部で六つ乗っている。慣れた手つきで「どうぞ」と言いながらそれらを僕たちの前に置くと、最後にギルバートの目の前において自分はその隣に腰かけた。
「……それで、間違いだったというのはどういう?」
話を再開させようと、マイクロフトが斬りこむ。
「〝アンネの灯火〟、あれは犯罪組織だ」
「ほう?」
「私は、自分の娘や、『想火の魔女』アンネ・ワルプルギスのような悲しき運命を背負わされた子どもを救おうと〝アンネの灯火〟に入った。だがその実態はどうだ。やっていることは子どもの誘拐で、成そうとするのは〝ワルプルギスの夜〟の再現だ。古い悲劇を繰り返そうというのだ」
そう言ってギルバートは眉間に皺を寄せた。その表情はまるで怒っているかのようだった。
「しかし、あなたを〝アンネの灯火〟に入れた人物は『少女を救いたいと思わないか』と言って誘ったのだろう? なぜ、そんな思い違いが起こる?」
「考え方の違いだ。幸せの定義が人それぞれ違うように、救いの定義も人によって異なるのだ。彼らの考えは一言で言ってしまえば『復讐』だ。三百年前、アンネという一人の少女を死に追いやったこの世への。
私の考えは彼女のような子どもを生まない世界を創ることだ。根本的に違うのだ。私は作ろうとし、彼らは壊そうとした。表と裏は絶対に交わることはない。私は、彼らの考えには賛同できなかった。宗教というのは人を救い導くものであって、決して人殺しの口実にしていいものではないのだ。考え方が違うのが人間だ。だから、気に入らないものはすべて排除するという考え方は間違っている。異を唱えるのはいい。それは至極当然のことだ。だがそれを理由に違う考えを根絶やしにしようというのは、私は好きではない。だから私はこうして一人で細々と孤児院をやることにしたのだ」
「それで、〝アンネの灯火〟を抜けて自ら新しい〝アンネの灯火〟を作った、と」
「そうだ」
ギルバートは深く頷くと、窓の外に目を向けた。窓の外では大勢の子どもたちがボール遊びや追いかけっこに興じている姿があった。
「あの子たちは隣の帝国で戦争孤児になった子や、幼い頃に両親を亡くした身寄りのない子ども、親に虐待されたような過去を持つ子どもたちだ。あの子らが健やかに育つことのできる場所を作るのが私の使命なのだ」
「しかし、これだけ大勢の子どもたちの世話をするのは大変だろう」
「確かに大変だ。食べていくのもただではない」
「そういった資金源はどこから?」
「ゼラティーゼ王国の西に貴族の住まう都市がある。そこに私に賛同してくれるものがいてな。資金源はそこだ。それと、最近ではアスタが町まで働きに出てくれている」
「ふむ……」
マイクロフトはその問答を終えると口元を押さえた。そのまま外で遊ぶ子どもたちに目を向け、納得したかのように一度だけ頷いた。
「ありがとう、ギルバート氏。とても面白い話が聞けたよ」
「それはよかった」
ギルバートの話を要約すると、ハンメルンで誘拐事件を起こしたのは彼の所属しないもう一つの〝アンネの灯火〟で、ヘンリックが所属しているのがそこだった。ギルバートはそんな考えを認められず、組織を抜けて別の〝アンネの灯火〟を結成した、ということだ。
つまり、僕たちが追うべきなのは。
「もう一つの〝アンネの灯火〟……」
「ああ、私たちが追うべきはそちらだエル君」
マイクロフトが言葉を繋ぐ。
「その、もう一つの〝アンネの灯火〟がどこにいるのかって分かりますか?」
ジャスミンがおずおずと手を挙げながら尋ねる。
「ハンメルンの地下に根城があったと思うが」
「既に調査済みだ。僕たちが行ったときはすでにもぬけの殻だった。おそらくあの場所はもう用済みなのだろう」
腕を組み直しながらジークハルトがそう答える。ジークハルトとマイクロフトはハンメルンに立ち寄ったとの話だ。そこで僕たちのことを耳にして追いかけたのだという。そのときに、ハンメルンの地下とやらの調査も行ったのだろう。
「そうか……」
ギルバートは少し考えてから、「ならば分からぬな……」と付け足した。
「私も知っている、いや、知っていなければならないのだが、どうにも記憶に靄がかかったようになって思い出せん。……小説家殿であればどのように推理する?」
「そうだな……」
マイクロフトは片手で口元を覆うようにして机に肘をつく。
「地下というのは使い勝手がいい。見つかる可能性は低いし、出入り口が限られるから見張りもしやすい。ついでに地下となると大体が町の排水路だとかそういうものだ。それなりにその場所に見慣れていなければ迷うだろう。となると組織単位でどこかに身を隠すならやはり地下だと思う。その考え自体はハンメルンが物語っている。
私はこのゼラティーゼ王国には詳しくないが、そういった地下はあるのか?」
そう言って横のジークハルトに首を向けた。突然問いを投げかけられたジークハルトは多少動揺しながらも首を小さく縦に振った。
「犯罪者を捉えておく地下牢獄が王都の、城の地下にある。かなり広い。王都全体に張り巡らされているぐらいには広さがある。僕が兵士をしているときでさえその全貌を把握している人はいなかった。……そういう組織が根城にしていたとしてもおかしくはない」
そこまで広い牢獄が必要なのか、とも思ったがゼラティーゼ王国は帝国と争っていた大国だ。人口が多ければ自然と犯罪者の数も犯罪件数も増えるのだろう。
「だとするならば、その地下牢獄に行けば真実が分かるみたいだね。ジーク、ちょっと罪を犯してくれないか」
マイクロフトのその言葉に、何を言い出すんだと言わんばかりの僕やジャスミン、ギルバートの視線がマイクロフトに刺さる。その中でも一段と怪訝そうな顔をしていたのは他ならぬジークハルトだった。
「お前の頭はお花畑か?」
「いつになく辛辣だね」
飄々とそう返す。「さすがに冗談だよ」と笑って見せるが、若干棒読みなその言葉と少し腑抜けている表情からは、そんな冗談など微塵も感じられなかった。
「……しかしそうなるとどうやって地下に入る? 兵士に偽装でもするか?」
「それは……」
ジークハルトが言葉を詰まらせる。確かに、マイクロフトの言葉は間違いではない。現実的に見れば変装をして入るより何らかの犯罪者になってしまったほうが入れる確率は高くなる。だが、その行為自体が危険なものだ。罪を犯すということは、この国で罪人の一人に数えられる事になるのだ。それで何も収穫が得られなかったらそれこそ無駄骨だ。
「あの」
ここはひとまず――。
「とりあえず今日はこのぐらいにしませんか? さすがにここ数日で大きく動きすぎです。休養も必要かと……」
僕が進言するとマイクロフトは「そうだね」と小さく相槌を打った。
「さすがは『草原の魔女』の子。至極真っ当な意見だ。確かにここしばらく大移動を繰り返しているからね。ここで少し休むのも悪くはないだろう。ギルバート氏、ここで今夜一晩泊めてもらうことは可能かね?」
マイクロフトがギルバートに視線を向けると、ギルバートは笑顔で大きく頷いた。
「もちろんだとも。好きなだけ泊っていくといい。子どもたちも喜ぶ。……アスタ、彼らに部屋の手配を」
「分かりました」
アスタは「僕についてきてください」と一言いうと、部屋を出て行った。僕やマイクロフトはお互いに顔を見合わせるとお互いの意志を確認して、席を立ってからアスタについていくように部屋を出ようとした。
「小説家殿」
そんな呼び声がマイクロフトを呼び止める。
「なにかな? ギルバート氏」
「昼食はとったかね?」
「いや」
「なら、もう少ししたら昼食ができる。君たちも子どもたちと一緒に食事をするといい」
「心遣い、痛み入るよ」
マイクロフトはそう述べると、小さくお辞儀をして最後に部屋を出た。
「二階に二部屋空き部屋がありますので、そちらにご案内します」
アスタは全員が部屋から出たのを確認すると、それだけ言って左手にある階段を上っていく。その後姿を追うように僕たちも階段に足を踏み入れた。