150.メルテルン教会へ
予定通りの時間に、マイクロフトとジークハルトは喫茶店にやってきた。どうやら彼らは馬車で移動しているようで、どうにもそれを置いてフィルラント市に向かうことができないらしい。
初めは四人そろって絨毯で移動するものだとばかり思っていたが、馬の足音を聞きながら揺られることになりそうだ。
そして、結局何だったのか。
今朝、ジャスミンが謝ってきた。そのとき、詳しく聞かなかったが、ジャスミンが僕に平手打ちを食らわせた。
そうなってしまったこと自体に僕は自分が悪いとばかり思っていたのだが、どうやらそうでもないようで。
今朝のことは全部自分が悪いのだと、ジャスミンが頭を下げた。
とりあえず、自分が彼女を怒らせたわけではないと安心したと同時に、申し訳なさそうな彼女の顔を見て、どこか違和感を覚えてしまった。
もしかしたらこれが初めてじゃないのかもしれないが、どうもこの少女には謝り癖があるように思えた。
まあ、自分に非がある場合、謝るのは当然なのだが、彼女に至っては少し謝りすぎというかなんというか。
今朝だけで「ごめんなさい」の言葉を三度も聞くはめになるとはだれが思うだろうか。
それに、無名の町でリルが倒れたときも、この少女は自分を責めるように「ごめんなさい」と言ったのだ。
普段の図々しい態度をとるジャスミンにはどこか似合わないその表情に、僕は柄にも合わず「笑え」などと上から目線で言ってしまった。
まあ、最終的には彼女の「ありがとう」の一言で丸く収まったわけだが、結局――。
「何が原因だったんだ?」
横を見て、少し上機嫌なジャスミンに問いを投げかけた。
「恥ずかしいから教えない」
少し顔を赤くしてそっぽを向いた。
これはあれだ。絶対に教えてくれないやつだ。
「なんだ? 何か面白い話かね?」
後ろを振り向いて食いついてきたのはかの有名な推理小説家、マイクロフト・ワーカーである。
依然信じられないが、自分の好きな小説を書いている作家が目の前にいる。というより本当に本人なのか。
「別に、大したことではないと思います」
「そう言ってあしらわれると余計に気になるね。ジークもそう思うだろう?」
マイクロフトは首を横に促して隣を歩く壮年の男性に同意を求めた。
「若い者にあんまり詰め寄るな。そういう年頃なんだから」
というのがジークと呼ばれた壮年の男性――ジークハルトの意見である。いや、そもそもそういう年頃だからといって、何かあるわけではない。
互いに意識しているわけではないと言ったら真っ赤な大嘘になってしまうが、少なくとも本に出てくるような、同じぐらいの年頃の男女が行うようなことは何一つとしてやっていない。
「別に何もないですよ」
「それはないだろう。若い男女二人で旅をしておいて、そういうことがないわけがないだろう!?」
作家は変人が多いといつだったか父が言っていた。どこの情報なのだろうと思ったし、物語を紡ぎだせるのだから至極真っ当な人ばかりだろうとそのときは思ったのだが、今になって父の言葉の意味が理解できた。
要約すると、このマイクロフト・ワーカーという人物、若干鬱陶しい。
「エル君。顔に出ているぞ」
ジークハルトが苦笑いを浮かべる。
どうやら、鬱陶しいという思いが顔に出ていたらしい。口元を押さえて、表情を無理矢理変えんとするように揉みほぐす。
「……ジークハルトさんに質問なんですけど」
口元に手を当てたまま、話を逸らすようにそう切り出す。
「ジークで構わん。何が聞きたいんだ?」
「〝アンネの灯火〟が二十年前に既に存在していたって言える証拠って何ですか?」
昨晩のジャスミンとの会話で出てきた疑問をそのままジークハルトにぶつけた。
「二十年前の〝トカリナ誘拐事件〟は迷宮入りした事件だ。もちろん犯人も捕まっていないし、不可解な点が多すぎる事件だ。だからその事件に関する事項は全て極秘としてご丁寧にしまわれていたんだ」
「それをジークは漁って、事件の捜査資料を見つけた。それこそ二十年前に書かれた資料だ」
乗っ取るようにしてマイクロフトが口を開く。
「その二十年前の資料に、〝アンネの灯火〟という単語が出てくる。それが証拠だ」
となると、彼らの情報は正確なものだ。間違いである確率は相当低い。しかし、僕たちの握る「一年前にアンネの灯火ができた」という情報も確かなものだ。
「昨日もお話ししましたが、僕たちの情報では〝アンネの灯火〟は一年前にできています。それは間違いない情報です」
「その証拠は?」
ジークハルトの問いに、僕は視線を動かすことで答えた。視線の先にはずっと黙って話を聞いていたジャスミンがいる。
「……なるほど、魔術でその真偽を測ったのか」
「はい」
「その正確さは?」
ジークハルトは次にジャスミンに質問した。
「精霊は、魔術を行使した者には絶対に嘘は言いません。精霊の混線や欠乏がない限り、彼らは絶対に魔術に応えてくれます」
「ふむ、そうか」
一度頷いて、今度はマイクロフトに向き直った。
「マイクの考えは?」
「うーん、そうだな……どちらも間違いないというのなら、どちらも正解なのだろう。まあ、今からその真実を確認しに行くんだ。そう急ぐこともない」
確かに、彼の言う通りである。
今からフィルラント市にいるアンネの灯火の教祖、ギルバート・ダークを尋ねる。彼に会うことができて、話を聞くことができるのであれば、この疑問も解決する。
「それで、正確な場所は分かるのか?」
尋ねるジークハルトに、僕は鞄の中から地図をとって差し出した。
「フィルラント市は大きい都市ですけど、端の方には小さい森が広がっています。それでここの……」
ジークハルトの横まで移動すると、ジークハルトの持つ地図の赤い丸が書いている部分を指さす。
「メルテルン教会という誰もいなくなった教会を改修して孤児院にしているみたいです」
「なるほど……」
そう呟いて、舐めるように地図を見ているジークハルトに、今度はマイクロフトが疑問を挟み込んだ。
「ジーク、道は分かるかい?」
「まあ、なんとなくは」
と言いつつ、ここをこう行こうか、いやしかしこっちの道が……と悩んでいる様子である。
僕もジャスミンももちろんこの国に来るのは初めてだし、おそらくマイクロフトもこのゼラティーゼ王国の土地勘はないだろう。となると、この場ではジークハルトが最もこの地に詳しいはずだ。
彼はかつてこの国で兵士をやっていた人物だ。国内の道だとかそういうものには詳しいはずだ。
しかしそれでも、二十年前の記憶というのは曖昧らしく。
「……どの道を行こうか」
うーんと唸りながらそう言った。
ジークハルトがそう言ってしまってはどうしようもない。彼以外の、僕を含む三人はこの土地に詳しくはないのだ。
「あの、だったら絨毯に道案内してもらいません?」
ずっと後ろで黙りこけていたジャスミンが唐突に口を開いた。
絨毯、というと僕とジャスミンがつい昨日まで移動に使っていた魔法道具だ。目的地を言えば乗せていってもらえる、という優れもので――。
「なるほど、小さくしてある状態で目的地だけ指定するのか」
「うん」
魔法の絨毯は文字通り絨毯だ。元の大きさはかなりのもので、持ち運ぶ際はジャスミンが魔術で大きさを縮めている。その状態で行先だけを絨毯に伝えるつもりなのだろう。
「君たちが移動に使っていた絨毯か?」
「はい。多分、道に沿って案内してくれると思います」
マイクロフトの問いにそう答えると、ジャスミンはふとことから小さな長方形の布を取り出した。
「それが、絨毯?」
ジークハルトの疑問に無言で頷く。
絨毯の中央には黄色い宝石と、地図が埋め込まれているらしい。これがどうやら本体のようで、あまり詳しくはないがこの石に精霊とやらが宿っているとかなんとか。
「とりあえず、馬車まで移動しないと……」
「ああ、馬車ならあれだよ。見えるだろう?」
マイクロフトの指さす先に、二頭の馬と木製の馬車がある。どうやら旅人用の停留所のような場所があったらしく、そこの管理人らしき男が二匹の馬車に干し草を与えていた。
ジークハルトは慣れた手つきで硬貨をその男性に渡すと、馭者席に乗り込んだ。
「その絨毯が先行してくれるのか?」
ジャスミンの掌の小さい絨毯を指さしながらジークハルトが疑問を口にする。
「先行してくれるというか、多分握ってると引っ張ってくれる感じです」
「……なるほど?」
「えと、百聞は一見に如かずです」
ジャスミンはそう言うと絨毯を握りこむように両手を合わせた。
「私たちをメルテルン教会まで連れて行って?」
目を瞑り、どこか祈るようにして手の中の絨毯に念じている。その様子をぼんやりと見つめる僕に、後ろからマイクロフトが「僕たちは先に乗っていようか」と促した。
「これを握っていてください。多分結構強く引っ張られます」
「分かった。ジャスミンも後ろに乗っていなさい。前だと危ないから」
乗り込んだ後、そんな会話が僕の耳に届く。
その直後、ジャスミンが馬車に手をかけて「よいしょ」と言いながら乗り込んでくる。
「さて、真相を確かめに行こうじゃないか。ジーク、鞭を打つんだ、出発するぞ」
マイクロフトが前の馭者席にいるジークハルトに声を掛けると、「ああ」と呟く声の直後にぺちんと盛大に鞭を打つ音。その直後にヒヒンと馬の嘶く声。
そうして僕たちはギルバート・ダークがいると言われたメルテルン教会に向かった。
もちろん、「おお、すごいな」とジークハルトが感嘆の声をぽつりと漏らしたのは言うまでもない。
§
趣味は種蒔きだ。
たくさんたくさん、種を蒔いた。しかしそれが芽吹き、花を咲かせ、綺麗に散ったのはただの一度きりだった。
約三百年前の大火災。あれは本当に綺麗だったものだ、と。黒い髪の女は微笑む。
けれど、ここ最近はどうも不発ばかりである。つい最近のトカリナも、散りはしたがそれは綺麗ではなかった。
しかし。
「ジャスミン・カチェルア、ね。ヘンリックがちゃんとやってくれたら、面倒くさい手段をとらずに済んだのかもしれないのに」
良質な器を見つけた。もちろん、まだ不完全だが、魔女にして種を蒔けば必ず芽吹いて大きな花を咲かせて、美しく散ってくれるだろう。
ただ、問題が残っていた。いつも、彼女の前には必ずと言っていいほど邪魔ものが現れる。
それが今回は自分が蒔いた種だったという点。
「うーん、テレーズはどうしましょう。あれはきっと綺麗には散ってくれないし、あの子もジャスミンに目をつけているから。でもまあ、まだ動き出す気配はないし、放置でいいかしら」
障害になりえるものはそれだけではなかった。
「アーロントも、面倒なことをしてくれたわね。あの女王だけはあのまま眠っていてほしかったのに。まあ、いいわ。あれは私がどうこうできるものでもないし」
溜息をつきながら、机の上で頬杖をつく。
「さて、三百年ぶりに張り切っちゃおうかしら。たくさんたくさん殺すから、天国で見ていてね、ユースティア」
女は、生涯ただ一人の友の名を呼ぶと、口角を吊り上げて不敵に微笑んだ。