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赤い夜に、魔女は泣く  作者: 与瀬啓一
第11章~アンネの灯火~
145/177

145.その想いは誰も知らない

 目が覚めたツルカはベッドの柵を使いながら力の入りきらない腕を酷使して上体を起こした。


 たったそれだけの動作で酷く息切れしている。


 柵を掴んでいる手を放してぼんやりと見つめながら握ったり開いたりしてみる。


――動く。


 動きはするがなんというか、力は入っていない。動く速度もゆっくりでどうにも自由がきいていないような感覚だ。


 ふと窓の方に目を向けてみる。外は少しだけ暗く、厚い雲が空を覆っているのが見えた。


「天気……悪いわね」


 ぽつりと呟きつつ、口がしっかりと動くことを確認する。目の方にも何も支障はなく、その小さな鼻はベッドに染み付いた自分の臭いをしっかりと捉えていた。


 力が入らないのは首から下だけのようだ。


 ツルカが目を覚ましたこと、それが意味するところは彼女の中の精霊が活動する上での最低限の量に回復したということだ。


 ツルカ自身、コレットのように医学的な知識は無いがなんとなくそうなのだろうということは頭の片隅で理解していた。


 さて、ここからどうするかとツルカは考えた。


 誰かを呼ぶのがいいのだろうが、今の憔悴している体で無理は禁物だ。かといってここで待っているのもどこか落ち着かない。


 とりあえず、体に力が入らない今の状態ではベッドから出ることもままならない。つまるところ、今のツルカにできることはなかった。


 ただその頭の中で何かを考えること以外。



 夢の中で、最愛の人に会った。それはもう、何十年と夢に見てきた光景だった。あの世に旅立った彼をもう一度この瞳に映す。夢なんてただの幻想にすぎないが、それは叶ったのだ。


 しかし彼――アーロントは幾つか妙なことを言っていた。


 彼の言葉を信じるのであれば、テレーズは速やかに葬らねばならない。もともと、ツルカはテレーズを殺すつもりだったのだから目的が変わったわけではないが、彼女を殺すことに新たに意味が加わった。


 アーロントの言葉を借りると、テレーズは〝怪物〟だ。死んでいるのに生きている、肉体を持った動く怨念。それがテレーズ・ゼラティーゼだ。


 人の(ことわり)を外れてしまった哀れな少女をツルカも救おうと思っていた。ツルカ自身も己の魔術で年を取らない体、つまりは人をやめた。


 だからこそ、テレーズの心の苦悩だとか、負の感情だとか、理解しているつもりになっていた。理解しているつもりになって後回しにしていた。その結果、彼女は取り返しのつかない状態にまで至ってしまったのだ。


 そんな彼女を唯一救うツルカが考えた方法が〝死〟だった。


 彼女は危険な存在だ。その真っ黒な瞳が、いつ憎しみの炎を生み出すか分からない。そしてテレーズほどの魔女が仮に〝ワルプルギスの夜〟を引き起こそうものなら、どれだけの被害が出るのかは想像に容易だ。


 だからそうなる前に、彼女を本当の意味で眠らせてやる必要があった。


 ただ、アーロントが言ったテレーズの危険性はそれとは少し異なっているように思えた。



「彼女はまだ不完全だ。だから混ざってしまう前に片方を殺さなくては」



 アーロントのその言葉はツルカの脳裏にひどく焼き付いていた。というのも、あまりにも謎が多すぎるその文言を忘れることができなかった。


 この言葉に出てくる〝彼女〟というのはおそらくテレーズのことだ。不完全というのは〝ワルプルギスの夜〟の器として、だろうか。彼女の状態を不完全というのなら完全とはいったい何なのかとツルカは思ったが、魔女という存在も不確実な部分が多く残っているのだ。何が完全かなんてものは誰にも分からない。


 そして引っかかるのは〝片方〟という単語だ。


「片方……って、なんなのかしら」


 片方と言うからにはテレーズの片割れ的な存在のことだろう。だとするならばコレットのことだとツルカは思ったが、その考えが出た瞬間に首を横に振ってその考えを切り離した。


 コレットは一度〝負の感情の呪い〟を発現させたものの、今となってはそんな予兆はまるでない。


 それが今になって……などと言う話をツルカは信じられなかった。


 だとしたら、一体誰なのか。


「私……なわけないわよね」


 一瞬その可能性を考えてからすぐに否定した。かくいうツルカも〝負の感情の呪い〟に少しだが侵された身だ。もしかしたらその可能性があったかもしれないのも事実だが、今となってはその可能性は完全に消えてなくなった。


 首を横に向けて、壁にかけられた姿見鏡に映る自分の顔を眺める。小さくすっきりとした目鼻立ちの幼げな顔がツルカを見つめ返す。


 その瞳の色――。


「青い瞳……」


 眠りから覚めるまで、ツルカの瞳はアメジストのような紫色をしていた。ツルカ自身もちょっぴりだがその綺麗な色を気に入っていたりしたのだが。


「もとに、戻っちゃったわね」


 その青い瞳は形容するならば深い海のような青だ。八十年ぶりに見る色合いに、まるで自分の顔を見ている気がしなかった。


 アーロントは自分自身のことを〝負の感情〟だと言った。そしてこれでお別れだとも。だとするならば、ツルカの心の中からは〝負の感情〟というものは消え去ったということだろうか。


 それ以外考えにくいのだが、そもそも八十年前、ツルカ自身の中に芽生えた負の感情というのは一体何だったのか。


 その答えなど、ツルカの瞳はもう写し出してなどくれなかった。


 謎は深まるばかりだが、ありがたいことにやるべきことは決まっている。



 そのとき、コンコンという軽いノック音と共にツルカの部屋の扉が優しげに開いた。


 そこから顔を覗かせた男性に、ツルカは微笑みながら話しかけた。


「あら、アウリール。元気そうで何よりだわ」


 そんな風に、強がって見せた。ただでさえ万全な状態ではないのだ。一国の女王たるツルカとて、少しぐらい強がりたくもなる。


「ツルカ、様……?」


 アウリールは手に持ったお盆をガランと音を立てて落とし、急ぐようにツルカの元まで駆け寄った。


「ツルカ様! お目覚めになられたのですね……!」


「ええ、おかげさまで。あなたにも心配をかけたわね、アウリール」


 ツルカの手をぎゅっと握りこむアウリールを見ながら微笑む。ツルカはアウリールの少しだけくしゃくしゃになった顔を伝う涙を指先で拭いながら、反対の手で頭の上をぽんぽんと優しく撫でるように叩いた。


「私、何日ぐらい眠っていた?」


「三日程です。なんだかとても……(うな)されている様子でおられました」


 ツルカの眠っている間の様子を説明するアウリールの表情はどこか不安げだった。


「……そんなに不安そうな顔をしなくても大丈夫よ。悪い夢を見ていたわけじゃないから」


「そう、ですか」


 ツルカの言葉を聞いても、アウリールは不安の表情を拭いきれていなかった。しかし、自分の信じる主君がそう告げるのであれば、それを素直に飲み込むべきだと判断したのだろう。


「それなら、何も心配はございません」


 そう言って首を一度だけ縦に振った。


「ところで、その瞳は……」


 当然の疑問だった。アウリールはツルカの瞳が青かった頃を知らない。目が変わればどうしても人の表情は変化したように見えてしまう。


「これは……呪いが解けたって解釈でいいのかしら? ごめんなさい。私もよく分からなくて……。けれど、心配するような事じゃないわ」


「さようでございますか。それなら私も安心できます。それにしても、美しい青色ですね」


 微笑み、彼女の瞳を見つめるアウリールにツルカは手を伸ばした。


「アウリール、あなたは、私のことが好き?」


 そっと頬に触れて、尋ねる。


 もちろん、ツルカにはその答えは分かっていた。


「当然でございます。貴方もこの国も愛しておりますよ」


「うん、あなたならそう答えると思っていたわ。けれどそうじゃなくって……」


 ツルカはアウリールにぐっと顔を近づけると、


「私を一人の女の子として好き?」


 もう一度聞き返した。


 するとアウリールは表情を引き締め、一度口を堅く結んでからゆっくりと開いた。


「……主君に恋情を抱くなど、そのようなことはありませんよ」


 アウリールのその言葉は、まるで自分に言い聞かせているようだった。もちろん、そうであることにツルカも気がついていた。


「あなたを私の騎士にしたのは、あなたが十七歳のときだったわよね。それから三十年、ずっと私に仕えてきてくれた。私の一番の理解者はあなただと思っているのよ、アウリール。でも、それは私も同じ。だから、あなたが私に思いを寄せているのはお見通しなのよ」


 アウリールはツルカの手を握る力を緩めると、少し項垂れるようにして口を開いた。


「……従者として、失格ですね。主君に色恋の感情を抱くなど」


「あら、何も不思議なことじゃないわよ。当時のあなたは十七歳。対して私は見た目も中身も十八歳のときのままなんだもの。私に恋心を抱いても不思議じゃないわ。まあ、実年齢はおばちゃんだけどね」


「……なぜ、私を従者にしたのですか? 他に優秀なものはおりましたのに」


 なぜだろう、と昔のことを思い出す。


 アウリールに初めて会ったのは彼がまだ十五歳のとき、騎士訓練学校に視察に行ったときだった。あの時のアウリールの成績は芳しいものではなく、訓練のときはいつも泥だらけになっていた。


「うーん……弱かったから、かしら?」


 きっとその光景が、努力する姿が印象に残っていたのだろう。彼は頑張ることのできる人間だと、強くなれる人間だと、そう思ったのかもしれない。


 実際、彼を自分の騎士として指名する頃には成績上位者としてツルカの前に姿を現したのだ。


「弱かったから、ですか?」


「ええ。だってあなた、ずっと努力してたんだもの。泥だらけになってまで努力できるのは、自分の弱さを認めているからこそなのよ。自分を正当に評価し、力を注ぐことができる。それは他の場所でも生かせるはずよ。

 もっと簡単に言えば、自分とその周りをしっかりと把握する力を持っていたからなのかもしれないわね」


 ツルカの見立ては決して間違ってなどいなかった。アウリールは状況を把握し、的確に行動ができる。今までもそうやって業務をこなしてきたのだ。


 彼があたふたしたのは〝ウィケヴントの毒事件〟のときと、ツルカが熱を出したり体調を崩したりしたときぐらいだ。


「私は……そのようなことはありません。ただあなたの美しさに憧れて、がむしゃらに剣の腕を磨いただけの(つたな)い騎士にすぎません」


「それでも、あなたは私を支えてくれた。だからこれは、あなたの想いに応えられない私からのお詫び。きっとあなたの方が私よりうまく使えるわ。それに……」


 そう言って、ツルカは自分の右手薬指にはめられた指輪をとると、アウリールに差し出した。


「私も不死身じゃないから、形見の一つでもあった方がいいじゃない?」


「しかし、その指輪は……」


 ツルカの小さな掌の上に乗っていたのは彼女の瞳と同じような青色の宝石があしらわれた指輪だ。


「ええ、これはアーロントの剣よ」


「それは受け取ることはできません。その指輪は彼の、騎士アーロントの形見なのでしょう? 私はその人物に会ったことがありません。今となっては彼を知る人物はツルカ様だけです。あなたが持ち主に相応(ふさわ)しい。それに、形見などと……まるでこれから死にに行くようなことを言わないでください」


「念のためよ。あなただから頼んでるの、アウリール。この後、早急にゼラティーゼ王国に向かう準備をしてちょうだい。あなたと私だけでテレーズを殺しに行くわ。

 大丈夫、あなただけは必ず生きてこの国に返すから。もしものことがあったとき、この国はあなたに任せる。だから、そうね……この指輪を渡すのは私の意志をあなたに託したいから。私だって、誰でもいいわけじゃないの。私を一人の女の子として好いて、想い慕ってくれるあなただから、この指輪を託すの。受け取ってくれるかしら?」


 意地悪な言い方だな、とツルカは思った。自分に想いを馳せている相手に言っていい言葉ではないというのは分かっていた。だが、託すなら彼しかいないと直感的に思ったのだ。


 目が覚めて、テレーズを殺しに行くと決めたとき、自分はおそらく死ぬのだろうと予感した。


 意志というのは受け継がれていくものだ。次の世代へ、次の世代へと。だとするならばツルカはもう、意志を継いでいなければならないのだ。長く生きた彼女は未来ある若者でも、ましてや今を支える大人でもない。


「……それがツルカ様のご意志なら、このアウリール、心して引き継ぎましょう。この心は永遠にあなたの(もと)に……」


 跪くアウリールは指輪を握るツルカの手を取ると、そっと口づけした。


「ありがとう、アウリール。あなたが居てくれて、本当に良かった」


 ツルカの言葉の後にアウリールは立ち上がった。


「それでは私は出立の準備を行います。それと、コレット様をお呼びいたしますので、ツルカ様はもうしばらくここでお休みください」


 アウリールは小さくお辞儀をして、「では」と言うと部屋を後にした。


 その姿をツルカは見届けると、熱のせいか火照った顔に両手をあてて、


「もう少しだけ眠ろうかしらね」


 そう呟いてから頭の上から布団をばさりと覆い隠すように被った。


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