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赤い夜に、魔女は泣く  作者: 与瀬啓一
第10章~森を訪ねて~
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142.花を探して~2~

 エルと別れてどれくらい経っただろうか。


 ジャスミンはローイラの花の入った麻袋を覗き込みながらふとそんなことを思った。


 袋の中はピンク色の可愛らしい花が袋の大体八割ぐらい、ぎっしりと詰まっている。それにしてもこのローイラの花、一つ群生地を見つけるとその近くにも同じような群生地があるという話だったが、全然近くではなかった。一つ目の群生地から随分と歩いてから二つ目の群生地を見つけたのだ。


 幸い、目印にした明かりが後方に見えているため迷うことはないと思うがこれ以上離れるのはさすがに危険だろう。


「よいしょ、っと」


 最後の一本を摘み終えると、ジャスミンは立ち上がった。


 ジャスミンがエルから預かった麻袋は一つだ。いっぱいになりつつある袋に目を落として、そろそろ切り上げるべきかと考える。


 これで、エルの目的は達成できたと言える。しかし、このまま真っ直ぐネーヴェ王国に帰ろうなどとは思ってなどいなかった。



(〝アンネの灯火〟……)



 つい先日からその単語が頭にこびりついて離れなかった。まるで喉に魚の骨でも刺さったかのように居座り続けている。


 それだけではない。


 ジャスミンのもとの旅の目的は〝ウィケヴントの毒事件〟の犯人探しだ。情報不足のせいで後回しにすることにしたが、これを解決するまではネーヴェ王国に帰るわけにはいかない。


 しかしまあ、今考えてもしょうがないことではある。


「戻ろうかな……」


 ぽつりと呟き、ジャスミンは目印のある光の方に足を向ける。



 ふと、視界の端にあるものが映った。


 暗い森の中で放たれる異様な鮮やかさ。


 足を止めて、気の向こうに隠れているそれを覗き込む。


 森を抜ける風になびくそれは布だった。もっと正確に言うと真っ赤なワンピース。


「誰か……いるんですか?」


 恐る恐る声を掛ける。少しだけ近づいて、様子を窺うように少しずつ覗き込む。幽霊とかだったら嫌だな、などと思いつつも好奇心に負けてジャスミンは足を動かす。


 ジャスミンの翡翠色の瞳が捕えたのは一人の女性だった。


 赤いワンピースを着ていて、頭の上にはボロボロの布切れを被っている。その布切れから顔を覗かせているのはこの森よりもさらに暗い、真っ黒な髪だ。


 膝をついて、手を合わせて拝んでいる……ように見える。その女性の膝元には握りこぶしぐらいの石が置いてある。


「お友達が……亡くなったの」


 女性の冷たい声がジャスミンの耳に届く。


(わたくし)の唯一のお友達、理解してくれる子だったのに……死なせてしまった」


 俯いたまま女性が言う。その俯かせた視線の先にあるのは例の石だ。おそらく墓石なのだろうとジャスミンは察した。


「あの……えっと」


 反応に困り、口籠る。


「……ごめんなさい。変な話をしてしまったわ。忘れてちょうだい」


 名前も分からない赤いワンピースの女性はそう言うと立ち上がった。


 その直後。


「ジャスミン、花は集め終わったか?」


 声に振り向くと、そこには口の閉じた袋を両脇に抱えているエルの姿があった。


「あ、エル。ええ、まあ、大体集まったわよ。それで今……」


 そこまで言うと視線を赤いワンピースの女性に向ける。いつの間にかその女性は体の向きを変え、布切れに隠れた顔をエルの方に向けて視線を注いでいる。布でしっかりと確認はできないが、そういう風にジャスミンには見えた。


「……えっと?」


 エルもそれに気づいたようで、女性が向ける不思議な視線に首を傾げている。


「……あ、ごめんなさい。(わたくし)の好きだった人と似ていたものだから、つい……」


「そう、ですか」


 いつになくかしこまった口調でエルが返す。


 不気味だとジャスミンは感じた。理由らしい理由はない。ただ、状況を切り取ると、自然とそう思えてくるのだ。


 まずこんな森の中に女性が一人でいるということ。そしてその出で立ち。赤いワンピースは森の仲であるというのになぜか糸が(ほつ)れていない。足首まで丈があるのだから、どこかで引っかけてしまってもおかしくはないのだが。


「……エル、もうこの森を出るのよね?」


 嫌な悪寒を感じたジャスミンは視線をエルに移すと少し口早に尋ねる。


「そうだな。もうこの森を出るよ」


 エルの言葉を聞くとジャスミンは深く頷いた。


「それじゃあ、私たちはこれで……」


 ジャスミンは女性にそう告げると小さく頭を下げた。エルもそれに倣って同じように頭を下げる。


 女性は口をぽかりと開けて、「ええ、そうね」などと呟いてから森の中へふらふらと消えていった。



§



「誰だ? さっきの」


「さあ……」


 エルの問いにそんな風に答える。どこか不思議な雰囲気を漂わせる女性だったなとは思う。しかし、それだけではなかった。


「なんか……幽霊みたいな人だったわね」


 ジャスミン自身、幽霊の類は苦手だ。信じているのかと聞かれたら「いるんじゃない?」と答えるぐらいには存在していると思っている。


 別に、見たことがあるわけではない。ただ、その女性を見たとき、失礼ではあるが幽霊がいたらこんな感じなのだろうと思ったのだ。


「本当に幽霊だったりしてな」


 エルが笑いながら言う。


「やめてよ、洒落にならないわ」


 本当に幽霊だったら嫌だなぁ、と思う。だとしたら自分は幽霊と少しだけだが会話したことになるのだ。なんというか、身の毛がよだつ。


「それで、森を出たらどこに向かうの?」


「リルのいる宿に向かおう。来たときの逆算だ。今まで通った道を帰るだけだ」


 エルが懐から地図を取り出すと、指先を〝無名の町〟のある場所に置いた。


「それで王都に向かって、次はクエロルだ。ハンメルンは……あったら立ち寄る」


 エルの言葉を聞いて、ハンメルンでの出来事を思い出す。


 ブレンに逃げるように忠告はした。しかしジャスミンが彼に伝えたのは「逃げて」の一言だ。それ以上のことは何も伝えていない。


 だから、自分の言葉を本当にブレンが信じてくれているのかが不安だった。信じてくれているなら何も問題はない。あの夜に見た赤黒い瞳の魔女がたとえ〝ワルプルギスの夜〟を引き起こしたとしても逃げてくれているはずだ。


 しかし、もし信じてくれていないとしたら――。


「ブレンさんたち……無事だといいわね……」


「そうだな……」


 二人して声音が沈む。


「……とりあえず、森を抜けましょ。じゃないと絨毯も広げられないわ」


「ああ。このまま北に向かって歩けば森を抜けられるはずだ。とっととこんな薄暗い所から出よう」


「何? 怖いの?」


 エルの言葉に少しだけからかってみる。


「ジャスミンが怖そうにしてるからだ」


 こういうことをさらりと言ってしまうのがエルの怖い所だと改めて思う。


「……行くわよ」


 ふいっと顔を逸らしつつ、ジャスミンは北に向かって歩を進めた。


「否定はしないんだな……」


 後ろからそんなエルの声が聞こえたが無視した。いちいち反応しているとそれこそまたからかわれてしまいそうだ。


 そんな会話をしながら、二人は森を抜けるべく北へ向かう。



§



 大切なものを失った。


 大切な、友達だ。苦しいときも、悲しいときも、嬉しいときも、ずっと一緒にいてくれた友達を、死なせてしまった。



 テレーズ・ゼラティーゼは南の大森林の中に一人、佇んでいた。


 この大森林は彼女の友達の、フォレストウルフであるアセナの生まれ故郷だった。


 テレーズはアセナの友達として、最期を看取った者として、彼女を弔うべく、この森を訪れた。


 遺体はない。


 しかしそれでも、誰かが安らかに眠らせてあげるべきだと、テレーズは思ったのだ。


「安らかに眠って。私の大切なお友達」


 握りこぶし程度の大きさの石の前で両手を合わせる。


 命が消えることには慣れているつもりだった。なんせ自分で他人の命を消費してきたのだ。今更魔物の命が消えるぐらいで、そう思っていたというのに。


「涙が……涙が止まらないわ、アセナ。どうしてあなたも(わたくし)を置いていくの……?」



「誰か……いるんですか?」


 その声にテレーズはビクリと体を震わせる。その澄んだ川のように綺麗な声に少しだけ振り向いてその姿を確認する。


 そこにいたのは珍しい茶色い髪色をした翡翠色の瞳の少女だった。


「お友達が……亡くなったの」


 なぜ自分がその少女に口を開いたのかは分からない。誰かにこれを見られたくはなかった。みっともなく敗れて逃げ延びてきた醜態を晒したくはなかったのだ。それなのに、なぜかテレーズは少女に話しかけていた。


(わたくし)の唯一のお友達、理解してくれる子だったのに……死なせてしまった」


「あの……えっと」


 戸惑っている様子だった。無理もない。誰だって知らない人物に話しかけられれば反応に困るものだ。


 自分が同じ立場なら、まったく同じ反応をするだろうとテレーズも思う。


「……ごめんなさい。変な話をしてしまったわ。忘れてちょうだい」


 この少女がなぜこの大森林にいるのかテレーズには分からなかったが、少なくともネーヴェ王国の、あの忌まわしき小さな魔女とは無関係だろう。


 そう思ったテレーズは小さな声で断りを入れた。



「ジャスミン、花は集め終わったか?」


 直後、耳に届いた声を聞いてテレーズは体を硬直させた。


 どこかで聞いたことのあるような声。声のした方に視線を向ける。


 そして自分の黒い瞳に映ったその姿に、テレーズは驚愕した。


 白い髪に青い瞳。そこだけ切り取ればどこにでもいる普通の男の子のそれだ。ただその顔立ちを、テレーズは片時も忘れたことがなかった。


 そっくりなのだ。自身が愛した兄、レヴォル・ゼラティーゼに。


「あ、エル。ええ、まあ、大体集まったわよ。それで今……」


「……えっと?」


 エルと呼ばれたその少年の困った顔を見て、自分が少年を凝視していたことに気づく。


「……あ、ごめんなさい。(わたくし)の好きだった人と似ていたものだから、つい……」


「そう、ですか」


 依然、困った表情を変えることなく少年が言う。


「……エル、もうこの森を出るのよね?」


「そうだな。もうこの森を出るよ」


「それじゃあ、私たちはこれで……」


 そう言って立ち去ろうとするその男女二人をぼんやりと眺めながら「ええ、そうね」と一言だけテレーズは呟いた。


 その瞳に映っているのは未だにその白髪の少年だった。


 追いかけようか迷ったが、立ち上がった足は彼らの後を追おうとはしなかった。少年はテレーズのことを知らないようだった。


 だとしたら追いかければ警戒させてしまうだろうと思ったのだ。


 テレーズは踵を返して彼らとは逆の方向に歩みだした。


「エル……エル……レヴォル……」


 先ほど聞いた名前と、古い記憶に残る最愛の人の名前を呟きながら。


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