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赤い夜に、魔女は泣く  作者: 与瀬啓一
第10章~森を訪ねて~
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141.花を探して~1~

 翌朝、目が覚めた僕はジャスミンが起きる前に着替えて部屋を出た。もちろん、ベッドを使ったのはジャスミンで床で寝たのは僕だった。宿でそうしたのとは違い、布団を床に敷いて寝たからまだよかったが、次にこういう場面が訪れたら何が何でもベッド使用の権利を奪い取ってやろうと思う。


 部屋を出て階段を降りる。


 昨晩夕食をとった部屋に赴くと、そこでは朝食の支度をしているアルルの姿があった。


「おはよう、エル。いい朝だな」


「おはよう、アルルさん」


 振り返って挨拶をするアルルに僕は機械的にそう返した。


 香ばしい香りを漂わせる室内を見回す。


「ローランさんは?」


「昨日仕掛けたらしい罠を見に行った。何か掛かっているといいんだがな」


「ローランさんは普段から家を空けていることが多いのか?」


「そうでもないな。狩りに行った次の日は基本的に家にいる。まあ、今日みたいに罠を見に行くこともあるが、昼頃には帰って来るさ」


 今思えば騎士であった人物が今ではこうして弓を携えて狩りに向かっているというのも不思議な話である。ネーヴェ王国の騎士といえば、剣術のみならず体術、槍術や弓術までも会得しているという話だ。もしかしたらローランもそういった武術に才のある人物なのかもしれない。


「ジャスミンはどうした?」


「まだ寝ているよ。旅の疲れが出たんだろう」


 アルルから視線を逸らして答える。正直な話、ジャスミンのことを考えると昨日のやり取りだとか、そういうのを思い出してしまう。


「……何かあったのか」


 このアルルという人形師、随分と勘が鋭いようだ。そのくすんだ赤い瞳で全てを見透かしているようで、少々不気味に感じる。


「別に何も」


 表情を崩さず、そんな風に嘘を()いた。


「ならいいが」


 そう言いながらアルルが振り返る。そして左手にはパンの乗った皿が一枚。


「君の朝食だ。パンに昨日の鹿とレタスを挟んだだけだが、朝食はこんなもので充分だろう」


 差し出されたそれを、ありがとうと言って受け取る。キッチンの方に目を向けると、同じものがあと二つ、同じように皿の上に置いてあった。


「ジャスミンを起こしてこようか?」


 朝食が用意してあることを確認した僕はアルルに尋ねる。


「いや、私が起こしてくるからいい」


「そうか」


「……子供がいたら、こんな風なのだろうな」


 そんな呟きに、僕は何も反応を示さなかった。


 どこか寂しげな表情を浮かべてそう言うと、アルルは階段の方に向かっていった。


 彼女の事情も昨晩の話で聞いた部分しか知らないが、まあ、いろいろとあるのだろう。そういった部分に踏み込むような勇気を僕は持ち合わせてなどいなかった。


 上の階から聞こえるジャスミンを叩き起こそうとするアルルの声を聞きながらパンを一口かじる。



 ふと、窓の外に目を向ける。


 ここは静かな場所だ。市街地の喧騒から外れ、聞こえてくるのは木々のざわめき、鳥のさえずり、そして時々動物の哭く声。


 これほど煌々と朝日が照っているというのに、森の中は暗い。


「いい場所だな、ここは」


 そんな呟きが口から漏れだしていた。


 ネーヴェ王国にもそういった場所はあった。僕のお気に入りの場所であったあの小高い丘だ。


 少なくとも、町の喧騒からは離れているし、木々がないせいか鳥の囁きは聞こえないものの、丘を覆う青草が風になびいて互いに体を擦れ合わす音が非常に心地よかった。


 この場所は、雰囲気がどこかあの丘に似ている。



 どたどたと少し騒がしい足音に、階段の方に目を向ける。


「おはよう、エル」


 ジャスミンの声を聞いた瞬間、僕はなぜか顔を逸らした。


「……おはよう」


「ほら、ジャスミンも朝食をとりたまえ。今日一日森の中を歩き回るのだろう? しっかり食って栄養をつけねば」


 言葉と一緒にジャスミンの後ろからアルルが現れる。はいと返事をしてジャスミンは僕の隣に駆け寄って椅子を引いて腰かける。


「お花摘みの準備はできてるの?」


 ジャスミンがこちらに振り向きながら尋ねる。


「ああ、まあ」


 そう呟いて僕は足元に目線を落とした。それに釣られるようにジャスミンも視線を下に向ける。


 僕の足元には白い麻袋が三袋、力なく置いてある。ローイラの花を採取するために持ってきたものだ。三袋もあれば足りるだろう。


「私も手伝おうか?」


 向かいに座るアルルがパンを頬張りながら言う。


「いや、大丈夫だ。泊めてもらった上に食事もとらせてもらっているんだ。これ以上世話になるわけにはいかない」


「む、そうか」


「食べ終わったらもう行くのよね?」


「ああ」


 ようやくだ。ようやく僕個人の旅の目的を達成できる。いや、正確に言うと持って帰ってからが達成になるのだろうが。


 ジャスミンの犯人探しもそれほど障害にはならなかったし、おおむね予定通りだ。まあ、良からぬことに巻き込まれている気もするが。


「昼間の森だからといって、油断はするなよ。蜂も飛んでいるし熊とか魔物とかもいるからな」


「……気をつける」


「大丈夫よ、私があげた魔法道具使えばいいじゃない」


「そういう問題じゃないだろ」


 ジャスミンの言う通りなのだが、遭遇しないに越したことはないだろう。


 僕はパンの最期の一口を頬張ると立ち上がった。


 ゆっくり咀嚼して喉に流し込む。皿の横にあるカップをとって、中の黒い液体を流し込む。


「ふう」


 そして一息ついてから。


「行くぞ、ジャスミン」


 いつの間にか食べ終わっているジャスミンを横目に見ながら玄関に向かった。


「あ、うん」


 ガタリとジャスミンが立ち上がる音と、ごちそうさまと短く言う声を背中で聞きながら玄関の扉を開けた。


 振り返ると走ってくるジャスミンと、それとゆっくりとこちらに歩いてくるアルルの姿があった。


「忘れ物はないか? 来たときより随分と荷物が少ないように見えるが」


「ジャスミンが魔術で荷物を全部小さくしてくれているから問題ない。一晩だが世話になった。ありがとう」


「ああ。コレットやレヴォルにもよろしく伝えてくれ」


 アルルの言葉に頷くと、僕は玄関を出た。


「お世話になりました」


 ジャスミンも僕同様にそう述べると、僕について出てくる。


 玄関の扉が閉まる向こうで、アルルが微笑みながら手を振っているのが見えた。



§



 鬱蒼(うっそう)とした森の中はまるで迷路のようだった。


 乱雑に立ち並ぶ木々が景色を惑わせる。家のあった場所から離れるにつれて不気味さが増している。


 昼間だというのに夜のように暗く、そして不気味な(うめ)き声も聞こえてくる。


「早く集めて出ましょうよ……」


「そうは言ってもな……」


 怯えるジャスミンには申し訳ないが、もう少しこの森の中をふらつく必要がありそうだ。


 未だ、ローイラの花は発見できていない。ピンク色の鮮やかな花だからすぐに見つかると思っていたのだが。


「ローイラの花は結構固まって生えてるらしいから、一つ群生地を見つけたら近くにもあるはずだ」


 その群生地が見つからないわけだが。


「こんな太陽の光も届かないところで花なんて咲くの?」


「……母さんがあるって言ってるからあるんだろう、とは思うけど」


 正直、怪しい所だ。さすがに嘘を吹き込んでこんな場所まで向かわせたりはしないと思うが、これほど探して見つからないとなると疑わしくなってくる。


「ねえ、エル」


 少し前を歩くジャスミンの動きがぴたりと止まる。


「なんだ?」


「あれって……」


 立ち止まったジャスミンが指さす方向に視線を移す。


「あれは……」


 一本の木の根元。そこにまるで何か溢したかのように溢れているピンク色。


「ローイラの……花」


 ローイラの花は別に幻の花でも、ましてや架空の花でもない。森に行けば普通に生えていても何ら不思議ではない。ただ、市場にはなかなか出回らないらしいが。


「本当に可愛らしいお花ね」


 ローイラの花に駆け寄ると、ジャスミンはしゃがんでその花を一本だけ摘み取る。


「そうだな。さて、一つ群生地が見つかったってことは近くにも咲いている場所がある。ここからは手分けして探すぞ」


 何に遭遇するかも分からないこの暗い森で、僕は効率を選んだ。ジャスミンも早く出たいと言っていたし、それほど大きな花ではないのだ、二手に分かれた方が早く済むだろう。


「分かったわ。じゃあ、私はここにあるの摘んでおくから。袋一杯に集めればいいのよね?」


「ああ。僕はあっちの方に行くから。落ち合うのは、そうだな、ここで大丈夫か? 何か目印になるものがあるといいが」


「目印ね。任せなさいな」


 ジャスミンは立ち上がると、彼女の前に(そび)える一本の木に手を当てた。


「……暗いし、明かりを目印にした方がいいわよね。……輝け我が命(レンツェン・レーベ)


 ジャスミンが呪文を唱えると、彼女が手を当てた木の幹の部分が(まばゆ)く輝きだした。


「何をしたんだ?」


「この光は私の命の輝きよ。精霊を少しだけ体外に排出して、ここに留まってもらうの。精神魔術の一種ね」


「何でもアリだな……」


 実に便利なものである。僕とて魔術大国たるネーヴェの生まれだ。日常的に魔術は使われているはず、だが。


 実際にこうして目の当たりにすると非常に便利だと改めて思い知らされる。


「こういう時だと魔術のありがたみも分かってくるでしょう?」


「そうだな……」


「当たり前にあるものを当たり前だと思っちゃダメよ。ネーヴェでは当たり前のように日常に魔術が溢れているけど、魔術そのものが非日常の奇跡的現象であることを頭の片隅に入れておきなさいよね」


「何で僕が説教されてるんだ」


「説教のつもりはないわよ。ただ、そうね……なんでもないわ。それじゃあ二手に分かれましょ」


 何を言おうとしたのか気になったが、今はローイラの花採集が大事だ。


「そうだな。じゃあ、また後で」


「ええ、また」


 僕はジャスミンに背を向けると、真っ暗な森に似合わないピンク色を探して足を踏み出した。


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