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赤い夜に、魔女は泣く  作者: 与瀬啓一
第10章~森を訪ねて~
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139.女同士の大事な話

 白い湯気が立ち上る湯船の中――。


「もう……嫌になっちゃう……」


 ジャスミンは自分に嫌気がさしていた。



 つい先ほどのことだ。


 アルルが風呂に入るといい、という提案をした。ジャスミンはもちろん、エルもその提案を飲んだのだが、問題がここで発生した。


 どちらが先に入るか、だ。もちろんジャスミンとしては先ほどのベッドのこともあってエルに先にお風呂に入って疲れを流してほしかった、のだが。


「なんで言葉にできないのかしら……」


 水面に映る自分の顔を見て、深いため息を()く。


 食事が終わったあの席で、「先に入っていいわよ」と言おうとした。だが、なぜか言葉を絞り出すことは叶わず、ただただ彼の顔を見つめるだけになった。


 エルがそんなジャスミンの様子を見かねてか、先に風呂に入ることをジャスミンに譲ったのが数分前のこと。


 ジャスミン自身も思ってもいなかった展開に、何も言えなかった自分に、酷く動揺していた。


「なにか悩み事かね?」


「悩みというか、なんというか……」


「君はエルのことを好いているのか」


「まあ、たぶ……ん……」


 水面とにらめっこをしていた視線を外し、顔を持ち上げる。


「……」


「……」


 目の前に広がる光景に、言葉を失っていた。いや、正確にはいつから彼女がそこにいたのか、全く分からなかったのだ。


 ちゃぽん、と雫の垂れる音で我に返ると――。


「いっ、いつからいたんですか!?」


 大きな声をあげて立ち上がった。


「君が『もう……嫌になっちゃう……』と言ったあたりからだ」


「繰り返さなくていいですから……」


 ジャスミンは、自分の目の前で彼女と同じように肩まで湯船につかっている女性――アルルの言葉に恥ずかしさのあまり顔を覆い隠した。


「惚れた腫れたの話だろう。そういうのは私の大好物だぞ」


他人(ひと)の悩みをまるで食べ物みたいに言わないでください」


 そう言って口を尖らせる。するとアルルは小さく笑って「すまんすまん」と繰り返すように言った。


「いや、なに、君が随分と可愛らしく見えてね。ついからかってしまったのだよ」


 そう言いながら、アルルは未だに小さく笑って――、いや、笑うのを(こら)えている。


「それで、悩みがあるのだろう? 任せたまえ、恋愛の知識も経験も大してないが人生経験は豊富だぞ、多分」


 アルルのその言葉に重みも何も感じなかったが、「人生経験は豊富」の一言には妙に説得力を感じた。


「……アルルさんは旦那さんのどこが好きですか?」


「ローランのか?」


「はい」


 こくりとジャスミンは小さく頷く。


 一方でアルルの方は「そうだな……」と言ってから眉間にしわを寄せている。


「まあ、全部が好きと言ってしまえばそれまでなんだが」


「それじゃあ何も解決しないですよ……」


「だろうな」


 ジャスミンは聞く相手を間違えたと思った。先ほどアルル本人も恋愛の経験は大してないと言っていた。だとしたらこの質問は彼女には分不相応だったかもしれない。


「こういう時は惚れた瞬間を思い出せばいいな。そうだな……」


 アルルはその細い目を閉じてまた眉間にしわを寄せる。


 どうやら真剣に考えているらしく、ぽちゃり、ぽちゃりと水滴の(したた)る音だけが浴室に響き渡る。


「……腕、だな」


「腕、ですか?」


 あまりにも予想外な回答に、ジャスミンは思わず聞き返した。


「腕……もっと言えば手だな。エルには話したが、私は魔女狩りに遭ったときに一度死にかけてな。そのときに彼の腕に抱かれて何とか逃げ(おお)せたんだ。そのときのローランの腕が印象に残ったのだろうな」


「その一度きりで?」


「まさか」


 アルルは首をぶんぶんと横に振ると、どこか懐かしげな表情を浮かべ、思い出すように語りだした。


「腕や手は体の中で一番複雑な動きができる場所だ。何かを掴んだり放したり、何かに触れようと手を伸ばしたり、逆に触れたくなくて手を引っ込めたり。またある時は何かを抱き寄せたり、突き放したり。

腕や手は顔と同じくらい表情豊かなんだ。ローランはそんな表情を私にたくさん見せてくれた。それできっと、満たされていたのだろう」


「満たされていた……?」


 あまり聞き慣れない感情表現に、ジャスミンは首を(かし)げた。


「ああ。私の欠けた部分を埋めてくれるのはこの男性(ひと)しかいないと、そう思ったんだ。それまでだって色々な男性と交流を持ったさ。けれど誰もかれも、似たような手の動かし方しかしなかった」


「えっと……?」


 アルルの言葉選びのせいか、はたまた自身の読解力がないせいか、ジャスミンにとってアルルの言葉は疑問符を浮かべずにはいられなかった。


「まあ、あれだ。ローランが私にとって魅力的に見えただけのことだ。それ以上でもそれ以下でもない。エルにも君にとってのそういう部分があるんだろう?」


「エルの……そういう部分……」


 鼻の少し下まで浸かってからエルとのことを思い出す。



 そもそもなぜ自分はあんないけ好かないやつと旅をしているのだろう、と。


 態度は悪いし、口も悪い。いつまでも子ども扱いしてくるし、正直なことを言って全くもって魅力的ではない。


 それではなぜ、自分はエルと旅をして、彼に惹かれているのか。



「……私、先にあがります」


 ジャスミンはそれだけ言って湯船を出ると、少し足早に浴室を後にした。


 出て行くジャスミンをどことなく眺めながら、「もう少し私は浸かっていようか」と言って腕を上に伸ばして伸びをする。


「まったく――」


 そして少し微笑みながら。


「初々しいな」


 動かなくなりつつ義手の右腕を持ち上げて見つめながらそんな言葉を漏らした。


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