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赤い夜に、魔女は泣く  作者: 与瀬啓一
第10章~森を訪ねて~
135/177

135.母の実家へ~3~

 絨毯を下降させたところは家の外で、柵にかろうじてついているボロボロの門を通る必要があった。そこから距離が割と離れていて、足で地面を踏みしめるたびにその家の敷地の広さを感じた。


「ごめんください」


 家の玄関と(おぼ)しき扉を三回ノックしてから声を掛ける。


 誰も出てこなければあと三回か四回呼びかけて別の手段をとろうと思ったが、そんな思いはすぐに消え去ることとなった。


「誰だ?」


 扉の向こう側からそんな言葉が聞こえた。女性の声だ。


「旅の者だ。今夜一晩、この家に泊めていただきたいのだが」


「……旅人は泊めるつもりはない。酷なことを言うがお引き取り願いたいな」


 返ってきたのは予想通りの言葉だった。誰だって見ず知らずの人間を家に泊めたいとは思わないだろう。しかし僕自身もこの家とは無関係な人間ではないのだ。


「この家は母の実家らしいんだ。今はあなたの家かもしれないが、一晩泊まることはできないだろうか?」


「……何?」


 扉の向こうの女性の声音が変わった、気がした。


「……名前を聞いても構わないかね?」


 普段ならその質問は濁した返答をしていたが、今回ばかりは正直に答えるべきだと僕は判断した。


 少し息を吸い込んでから、自分の名前を言うべくゆっくりと口を開いた。


「エル・ヴァイヤーだ。母は『草原の魔女』コレット。僕はコレット・ヴァイヤーの息子だ」


 僕が名前を告げると扉がゆっくりと開き、その向こう側から一人の女性が顔を覗かせた。


 白と黒の入り混じった長い髪。細く鋭い目からは赤くくすんだ瞳がこちらを見つめている。



――魔女だ。



 その瞳を見た時僕はそう思った。


 僕の名前を聞いてから扉を開けたところを見ると、母の知り合いだろうか。


「とりあえず中に入るといい。お茶でも入れるからゆっくり話そうじゃないか」


 それだけ言い残すとその女性は扉を開け放ったまま、長い髪をなびかせて奥の方に消えていった。


 僕は無言で中に入るとその女性が歩いて行った奥に向かった。ジャスミンも僕についてくるようにして玄関に入る。


 奥に進むとそこにはこじんまりとした部屋があった。壁際には小さいキッチンが置かれていて、部屋の中央にはテーブルと四つの椅子が並べられていた。


「とりあえず座りたまえ。あらかた、ネーヴェ王国から来たのだろう。長旅で疲れているだろうからな、今お茶を淹れてやる」


 キッチンの下の戸棚から円柱状の容器を出しながら女性が言う。ありがとうございますと言って僕は四つある椅子のうちの一つに腰を掛けた。その隣の椅子にジャスミンも同じように座る。


「晩飯は食べたか?」


「いえ……」


 そう言えばもうそんな時間だなと思いながら短く答える。


「そうか。今主人が狩りに行っていてな、もう直帰ってくるだろうから何かもてなしてやろう」


 なんとも至れり尽くせりだ。やはり母の知り合いとみて間違いないだろう。


「あの、あなたは……」


 何者ですかと尋ねようとしたとき、女性が振り向き唇に人差し指を当てる仕草を見て、僕は口を(つぐ)んだ。


「詳しい話はお茶を飲みながらと言っただろう? なに、そう()くな」


 落ち着いた声音で話す女性に、僕は口を閉じることにした。確かに急いで確認することもないだろう。どうやら彼女も自分の素性について話すつもりのようだし、こちらからわざわざ聞くこともないのかもしれない。


「さあ、飲むといい。クエロルの茶葉ではないが、まあそこは我慢してくれ」


 女性がお盆に三つのティーカップを乗せてそう言いながら僕たちの座るテーブルまで来ると、ちょうど僕の正面に座ってから、お盆に乗ったティーカップを僕とジャスミンの前に丁寧に置いた。


「それで、まずは私が君の質問に答えよう」


 その言葉の後にお茶を一口飲んでから女性は口を開いた。


「私が何者か、だな。私はアルル・イリ―、人形師だ。瞳の色で分かるやもしれんが、『元』魔女だ」


「魔女……」


 ジャスミンが女性――アルルの言葉を聞いてぽつりと呟く。


「母とはどのような関係で?」


「コレットは……そうだな、知人の孫、私の年の離れた妹ぐらいの認識で構わん。彼女は……元気にしているか?」


 その言葉に僕は無言で頷いた。するとアルルはどこかほっとしたような表情を見せてティーカップを口元に近づけた。


「そうか、それなら良かった」


 その言葉の後にずずずと音を立ててお茶を啜る。アルルはティーカップをテーブルの上に置くと、その細い目を今度はジャスミンに向けた。


「お嬢さんの名前をまだ聞いていなかったな。君は?」


「えっと、ジャスミン・カチェルアです。母が魔女で……」


 アルルの質問にジャスミンは若干顔を強張らせながら答えた。


「何、それほど緊張するな。目つきが鋭いのは昔からでな。前も君のようなうら若い少女を怯えさせたことがあったな」


 ジャスミンは「あ、はい……」と未だに硬い口調でアルルの言葉に頷く。たしかにこの女性は目つきが鋭くて少し怖い。おまけに瞼の奥の赤い瞳が不気味に輝いているせいで余計に恐怖心を与えているのだろう。意外と人見知りなジャスミンは固くなって当然だ。


「それで、君らはどうしてネーヴェ王国からこの大森林まで来たんだ? 親の故郷に行ってみたかっただとか、そういう単純な理由ではないのだろう?」


 真っ直ぐとした視線をこちらに向けて話すアルルに僕も真っ直ぐな視線を返して口を開いた。


「実は――」




§




「なるほどな」


 事の顛末を話すと、アルルは納得したように一度だけ頷いた。全てを話した。ローイラの花のことはもちろん、ウィケヴントの毒のことからハンメルンでのことまで全て。毒のことやハンメルンでのことはなかなか信じがたい話だと僕自身も思うのだが、アルルは黙って話を聞いていた。


「そういうことならいつまででもこの家にいるといい。だいたい、この家は君の母親の実家だ。遠慮はいらん。好きに(くつろ)いでくれ」


 そう言って立ち上がると空になったティーカップを三つお盆の上に乗せた。


「そろそろ主人が帰って来るからな。そうしたら晩飯にしよう」


 お盆を両手で持って台所に向かう。その後姿に僕は若干の違和感を覚えた。


「……足が悪いんですか?」


 同じことを思ったのか、ジャスミンがアルルに尋ねる。


 アルルの歩き方はまるで左足を引きずるようだ。いや、実際引きずっているのだろうが、その音が硬いものと硬いものをすり合わせるような音なのだ。


「義足でな。人形を作る片手間で作ったんだ。昔は魔術で自由に動かせたんだが、今となっては呪いのせいで(ろく)に魔術も使えん。ついでに言うと右腕も義手だ。こっちはまだかろうじて動くが、もうじき動かせなくなるだろう」


 振り返って、まるで自分を嘲笑うように言う。


 よくその右腕を見てみると、お盆を持っていたように見えたそれはただ添えているだけのものだった。


「呪いの事、知っているんですね」


 僕がそう尋ねるとアルルは「ああ」と言って頷いた。


 この魔術が使えなくなる呪い、『原初の呪い』はネーヴェ王国でその呪いの効果が発見もしくは発現したものだ。国外でそのことに気づく魔女がいるとは思っていなかった。


「私もこの呪いについて分かったのはつい最近だ。君らの国ではもうとっくに分かっている事実だろうが、この国にはそう言ったことに詳しい人間がいなくてな。自分で一から調べ上げたんだ」


 アルルは流し台まで歩きづらそうに移動すると、お盆を流しの横に丁寧に置いた。


「魔術が使えなくなるって、怖くないですか?」


 ジャスミンが尋ねる。


「初めは怖かったさ。なんせ魔女という存在は魔術ありきだからな。だが、よくよく考えると魔女という存在そのものが随分と異質だ。だとしたら魔女が魔術を使えなくなるのはもしかしたらごく自然なことなのかもしれない。『原初の魔女』ユースティアが何を思ってこの呪いを生んだかはよく分からないが」


 ティーカップを三つ洗いながらアルルはそう答えた。


 僕も詳しい話は分からないが、ジャスミンの話によるとこの呪いを生んだのはこの世で最初に魔女となった人物、ユースティアという人が生んだらしい。ただ、その人物の詳細はよく分かっておらず、文献には異端者として火で炙られた、としか記されていないとのことだ。


 もしかしたらそれが原因で呪いを残したのかもしれないが、なぜ呪いは魔女にしかかかっていないのかがよく分からない。呪いであるならば自分を殺した人間にかけるものではないのだろうか?


「さ、湿気た話は終わりだ。それと、あまりかしこまって話す必要はない。私はどこかの国の女王でもなければ名の知れた魔女でもない。そもそも今の私は『元』魔女のただの人形師だ。そう思って接してくれると私も嬉しい」


 そう言って鋭い目をさらに細めて微笑んだ。


 確かに、いつになくかしこまってしまった。僕自身そんなつもりは全くなかったのだが、顔か言葉にそれが滲み出ていたのかもしれない。


「それじゃあ、そうさせてもらうよ」


「そうしてくれ。……やはり君は敬語で話すよりもそっちのほうが似合っている。……確認だが、君の父親はレヴォルという男で間違いないか?」


 その言葉に僕は間髪入れずに立ち上がって反応した。


「父を知っているのか?」


「もちろんだとも。何か聞きたいことでも?」


 アルルはまるで不思議そうな顔をした。


「父のことをあまり詳しく知らないんだ。聞いてもなかなか教えてくれなくて……」


 僕のその言葉にアルルは大きなため息を()いた。


「コレットめ、詳しく話していなかったのか。……心して聞いてくれ、エル。君の父親は――」



「ただいま帰りましたよ」



 アルルの言葉はその言葉にかき消された。玄関の方から聞こえたその声に僕を含めてアルルとジャスミンもそちらに顔を向けた。


「この話はまた今度だ。主人が帰ってきたようだ。晩飯にするとしようじゃないか」


 アルルは洗ったティーカップを流しの横の水切りかごに手早く置くと、少し駆け足で玄関に向かって行った。


「どうだ、何か獲れたか?」


「見ての通りシカが二匹獲れました。大きい方は干し肉にでもして、小さい方は今日と明日で食べきりましょうか」


「残念ながら小さい方は今晩中になくなりそうだ。来客がいてな――」


「おや、そうでしたか。それはなんとも……ご挨拶をしなければなりませんね」


 そんな一連の会話が玄関の方から耳に届く。会話の内容から察するに、今夜の夕食はシカの肉になるようだ。


「シカの肉って私食べた事ないのよね」


「僕もだ」


 ジャスミンの言葉に短く同意すると、アルルが出ていった扉を見つめる。


 会話が聞こえなくなってからほんの少しして、アルルが戻ってくる。


「今シカを(さば)いているのでな。もう少ししたらカゴに入った肉と一緒に帰ってくるだろう。それまで適当に(くつろ)いで待っていたまえ。何か注文があれば聞くが、食べたいものはないか?」


 そう尋ねられ、僕とジャスミンは顔を見合わせた。僕たちはシカ料理を食べたことがないのだ。注文する意図がないことを、視線を交わしてお互いに確認する。


「注文は特にない。あなたに任せるよ」


 僕がアルルに伝えると、ジャスミンもコクコクと首を縦に振った。


「そうか、なら適当にこちらで作らせてもらおう。……ああ、そうだ。どうせなら部屋で(くつろ)いでいてもらおうか。階段を上って左側にコレットが昔使っていた部屋が空いているんだ。今夜の寝床もそこで間に合うだろう」


 彼女なりの気づかいなのだろうか、それとも料理を振舞う相手の前で食事を作るのが気恥ずかしいのか、アルルは僕たちに別の部屋へ行くことを提案した。


 僕もジャスミンもそれに異を唱えるつもりはなく、言われた通りに母が昔使っていたという部屋に行くことにした。


「それじゃあ、お言葉に甘えて」


 その言葉と一緒に僕たちは部屋を後にした。


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