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赤い夜に、魔女は泣く  作者: 与瀬啓一
第9章~出会い~
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127.悪夢の再来~2~

 宿に帰ると僕は真っ直ぐに台所へ向かった。


 少しだけ遅れてしまった手前、急いで買ってきた肉をジャスミンたちに渡そうと思ったのだ。


 さすがに遅れておいてのうのうと登場するわけにはいかない。


「ジャスミン、すまない、遅れた」


 そう言いながら僕は台所に入った。


「実は――」


 言い訳として用意していた言葉を言おうとした時だった。


 姿が見えないのだ。ジャスミンの姿も、この宿を営むリルの姿も、どこにもいない。台所はもぬけの殻で、作りかけの料理が寂しそうに調理台の上に立ち並んでいる。


 さらに中に進んでみると床には包丁が力なく落ちていて、皮が剥きかけてあるジャガイモが転がっていた。


 その状況だけを見て、僕は僕がいない間にこの宿で何が起きたのかを悟った。


 町の人は〝ウィヴントの毒〟の発作を発症していた。それはこの宿を営むリル・リヴィエールとて例外ではない。


 ジャスミンは無事なはずだ。僕もジャスミンもこの町に着いたのはついさっきだ。さすがに毒に体を犯されているとは思えない。現に僕は今もこうしてピンピンしている。


 だとしたらこの落ちている包丁は――。皮を剥きかけたジャガイモは――。


「……そういうことか」


 僕は呟くと買ってきた荷物を全部放り投げて台所を急いで後にした。


 今にも壊れそうに悲鳴を上げる階段を駆け上がるとジャスミンと宿泊することになっている部屋の扉を勢い良く開ける。


「ジャスミン!」


 叫びながらノックもせずに盛大に扉を開ける。壊れる勢いで開いた扉は、本当に壊れたのではないかと思うほどの悲鳴とも思える音を上げた。


 中には想像通り、顔を焼け(ただ)れさせたかのような真っ赤な顔で全身をブルブルと震えさせているリルがベッドに横たわっていた。呼吸は荒く、腕には斑点が出ていた。


「エル……私……」


 そんな斑点だらけの手をその小さな手でジャスミンは握りこんで床にへたりと座り込んでいた。


 リルの額に濡れた布巾が乗せられていることを見ると、おおかた冷やした方がいいと判断したのだろう。ジャスミンの傍らには氷がたくさん入った水が桶の中にあった。


「それは〝ウィケヴントの毒〟だ。冷やしたところで何にもならない」


「あ……」


 僕はリルの傍まで近づくと町で発作を起こした人にやったのと同じように半分ほど開いた彼女の口に取り出した瓶の中身を流し込んだ。


「それって……」


「母さんが作った〝ウィケヴントの毒〟の解毒剤だ。これで顔の赤みも引くし呼吸も落ち着くはずだ」


「そっか……良かった……」


 僕の言葉を聞いた後、ジャスミンはリルの少しだけ赤みの引いた顔を見て、安堵の表情を浮かべた。


 かなり気を張っていたのか、随分と疲れたような表情に見えた。


「大体状況は把握してるけど、何があったか詳しく教えてくれ」


 僕が尋ねると、ジャスミンはゆっくりと口を開いた。


「リルが急に倒れちゃって、それでびっくりして急いでここに運んだんだけど、どうしていいか分からなくて……」


 確かに、これにはそれなりの知識と経験が無ければ対処はできないだろう。僕だってこれが〝ウィケヴントの毒〟だと分かってから一瞬だがその(おぞ)ましい症状に(おのの)いた。


「ごめんなさい。私なんにもできなかった」


「別に謝るような事じゃない。こうして彼女も助かっているし、何よりもこんな事態、経験と知識がないと対処のしようがない。だからそんなに気を落とすな。お前にはお前のできる事があるだろ?」


「私の、できる事?」


「料理、得意なんだろ? 目が覚めたら何か温かい物でも作ってやってくれ」


 励ますように言うと、ジャスミンは小さく頷いた。


「分かったわ。とりあえず、私は台所片づけて……少し、外を歩いてくるわ」


 暗い室内から見える眩しいぐらいの外を見て、ジャスミンはそう言った。


 外の空気でも吸いたくなったのだろう。確かに、リルには悪いがこの宿はそれほど居心地がいい場所でもない。湿気が多いし、若干カビ臭い。おまけにジャスミンは〝ウィケヴントの毒〟の症状を見たばかりなのだ。あんなものを見れば、誰だって外の空気を吸いたくなるはずだ。


「ああ。気分が晴れるまで外の空気を吸ってくるといい」


 僕がそう言うと、ジャスミンは無言で立ち上がって部屋の扉を少しだけ開けると、まるで体を滑らせるようにして扉から部屋の外へ出て行った。



 カビ臭い部屋には、僕と、ベッドに横たわるリルだけが取り残された。


 リルの容態も傍から見るとかなり安定してきているように見えた。顔の赤みも引いているし、腕の斑点も無くなっている。呼吸にも乱れはなく、一定のリズムを保っていた。


 穏やかに眠る彼女を観察するようにして眺めながら、今回の騒動の、もっと言えば二十年前の〝ウィケヴントの毒事件〟についていつの間にか考えてしまっていた。


 それぐらい、僕自身とはすでに切っても切り離せない縁のような何かで繋がってしまっているように思えた。


 犯人はきっと、今回も二十年前も同じだ。〝ウィケヴントの毒〟の製法を知っているのは僕の母とネーヴェ王国の二つの病院の院長であるエフォード医師と、もう一人は会った事は無いのだが、シーヴ医師という人物と犯人だけのはずだ。


 仮にもし犯人が複数人いるのであればこの仮説は否定されるが、そうだとしても犯人たちには繋がりがある。


 今回も二十年前もまるで様子が同じなのだ。仮に犯人が別人であったとしてもさして問題はないだろう。


 毒の体内への侵入経路についても、母がすでに一つの結論を出していた。二十年前のネーヴェ王国での〝ウィケヴントの毒〟事件はどうやら国内全域で起きたらしく、どう考えても食物に混入しただとか、井戸水にばら撒かれただとか、そういった可能性は考えられなかった。


 もっと広範囲に毒を行きわたらせる。その方法として、毒を霧状にしてばら撒いたというものらしい。それを吸ってしまった人が発作を起こしたのだと母は言っていた。今回も同じとは言い切れないが。


 分からないのはその動機だ。なぜ、この毒を振りまく必要があるのか。〝ウィケヴントの毒〟はわざわざ薬を混ぜてその致死性を下げている。なぜそんなことをする必要があるのか。大量に殺したいのであれば完全に本末転倒だ。意味がない。


 実際、ネーヴェ王国での〝ウィケヴントの毒事件〟では死者は出なかったし、今回のこの〝無名の町〟での騒動もキーリングス医師が上手くやれば死人などでることはない。



――一体何が。



「一体何が目的なんだ?」



 疑問が言葉となって湿った空気を震わせた。


 その質問は誰の耳に届くでもなく、寂しげに虚空を舞うだけだった。


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