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赤い夜に、魔女は泣く  作者: 与瀬啓一
第9章~出会い~
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126.悪夢の再来~1~

 ジャスミンに頼まれてお遣いに出た僕は、人の流れに沿うようにして露店街を歩いていた。


 それにしても、本当に人が多い。先ほど通った時よりは少なく見えるが、それでも身をよじらせなければ人と必ず肩がぶつかる。そんな感じだ。


 ひとまず、言われていた鶏肉を買っておいた。ほとんど売れていたようで、大した量を買えなかったが事情を話せばジャスミンも納得してくれるだろう。


 鮮度が落ちる前に帰ろうと思い、歩く足を速める。人の波の中、一人だけ少しだけ早くその波の中を駆け抜けた。


 そんな流れるような視界の中に、あるものが映った。


 それはこの露店街では少しだけ異質な、それでいて馴染んでいる店だった。



――本屋か。



 棚に並べられているのは本だった。


 その本たちに惹かれるように僕は人の流れからその身を脱すると、並べられた本を見下ろすようにして、露店の前に立った。


 露店の店主は起きているのか、それとも眠っているのか悟らせないようにしているのか、腕を組んで深く俯いている。


 フードに包まれた顔も確認できず、男性なのか女性なのかも分からないままだ。


 ちょうどいい機会だった。


 正直、絨毯での旅がここまで退屈だとは思わなかったのだ。勉強をしようにも揺れ動く絨毯の上ではどうにも集中力が欠けてしまう。そうなると、頭に入るものも入らなくなる。


 何か本を読みたいのだが、残念ながら持ってきている本はジャスミンに貸したマイクロフト・ワーカーの推理小説一冊きりだ。


 この際、新しい本でも買ってしまおうと品定めを始めたわけだ。


 しかしどうやら長い間この露店で売っているのか、表紙と背表紙の色が明らかに違っている。きっと日の光を浴びて色褪せてしまっているのだろう。


 著者も知らない名前ばかりだ。ジャンルも分からなければ、だれが書いたのかも分からない。


 品定めをするが馬鹿らしく感じて、僕は一番手前の本に手を伸ばそうとした。


 ふと、その横に置かれた本に目が飛びつく。


 残念ながら著者の名前は書かれていない。


 殺風景な表紙には書きなぐったような文字でタイトルが書かれているだけだ。


 乱雑に書かれたような文字は、その本に『花言葉大全』という名前を与えていた。



 花言葉自体に、興味がないわけでもなかった。植物のこととなれば知っておきたいのだが、花言葉なんてものは人間が花に当てはめただけの言葉でしかない。


 だから今まで自分から積極的に知ろうとしなかった。


 もちろん、有名な花の花言葉ぐらいは知っている。赤い薔薇は『情熱』、ガーベラは『希望』、カーネーションは『無垢で深い愛』。それぐらいしか知らないが。


 もしかしたら、母のブレスレットにあしらってあるアングレカムもそういった花言葉を意識しているのかもしれない。


 そういった僕の興味は、僕の意識とは関係なしにその本を掴んでいた。


「これを」


 項垂れている店主に本を突き出すと、しわがれた男のような女のような、年寄りの声が喧騒に交ざって聞こえた。


「銅貨一枚だよ」


 厚みのわりに随分と安いなと思いつつも、少し薄汚れている銅貨を一枚、差し出された掌に載せた。


 それを受け取った店主は急ぐように手を引っ込める。


「とっとと行きな」


 まるで追い払うかのようにそう告げた。


 元々そのつもりだった僕は、その言葉に何を感じるでもなく本を抱えて店を後にした。




§




 本を鞄にしまった僕は、そのまま身を翻して帰路についた。これ以上寄り道をする場所も目的もないし、何より肉の鮮度が落ちるのはまずい。


 また少し人が少なくなった露店街を少し足早に歩いた。それにしても、昼を過ぎるとこうも人が少なくなるのか。つい先ほどまでは避けるようにして歩かなければ、嫌でも肩がぶつかるぐらい人がいた。しかし今は普通に歩いていてもそんなことになるほど人がいない。


 多くの人はここで買ったものを持ち帰って家で料理して食べている頃なのだろう。


 ジャスミンたちを待たせてはいけないと思い、もう少し足の回転を速めて走るようにして露店街を駆け抜けようとした。



「おい、大丈夫か?」



 そんな声がふと後ろの方から届く。


 その声に反射的に振り返った。


 僕の目に映ったのは一人の男性の後姿。男性は少しおろおろしながら、不安げに足元を見つめている。


 その視線の先。男性が見つめる先に僕は視線を移す。


 そこにいたのは人だった。人が、体をピクピクと震わせながら倒れていた。


 その様子を見てか、周囲にも人が集まりだす。


 僕も何が起きているのかと気になり、自然と身を捻って足をそちらの方に向かわせていた。


 人だかりの向こう側に、倒れている人の足元が見える。



――何かの病気だろうか。



 そう思ったときには、僕の目はすでに倒れて震えている体の観察を始めていた。


 まず、この震え。その震え方から痙攣(けいれん)であることは明白だ。ただ、それは足元を見てだけの判断だ。


 その人物がどのような状態でいるのか確認すべく、僕は人垣の間に手を入れた。


「ちょっとどいてください」


 草を分けるようにして、人垣を退ける。


 分けてできた細い通路に体をねじ込んで倒れている人物のもとに向かう。


 足元しか見えていなかったその人物の全貌が、徐々に(あら)わになる。どうやら男性のようで――。


「なっ……」


 一瞬だけ頭が真っ白になった。その直後に僕はその光景に目を疑った。それと同時に畏怖した。目の前に広がる光景を知っていたからだ。


 何度本で読んだだろうか。何度人から話を聞いただろうか。


 まるで夢物語だと、そんな恐ろしい症状なわけがないと、誰かが話を盛っているのだと、そう思っていた。


「ウィケヴントの――毒……!」


 正確に言うと少し違う。しかしこの症状は〝ウィケヴントの毒〟という名称でネーヴェ王国には広がっている。


 その実態はウィケヴントの種による毒と、ズベミナという植物の根から取れる薬を混ぜたもの。


 顔が(ただ)れたように赤くなり、両腕に斑点、そして前身は痙攣し呼吸困難に陥る。


 最悪の場合死に至る毒だ。


 思考がそこまで至ったときには、僕は倒れている人のもとへ駆けつけていた。


 こういう場合を想定して、ヴァイヤー診療所にある薬全種を本当に小さな薬指の第一関節ぐらいの小瓶に入れて持ってきた。もちろん、それとは別でウィケヴントの毒の薬はジャスミンの旅の目的も踏まえて多めに持ってきていた。


 処置を行う上での必要な道具も必要最低限は揃っている。


「おい、どうしちまったんだ、こいつ……」


「なんて恐ろしい顔なの」


「気味悪いな。もう見てらんねぇよ……」


 そんな言葉が四方八方から届く中、僕は肩に掛けている鞄の中から薬の入った小瓶を取り出す。


 道具は揃っていると言ったが、この毒に関しては薬を飲ませるだけでいい。だからこの小瓶の中のウィケヴントの毒の解毒剤を飲ませればそれで発作は治まるはずだ。


「……誰か医者を呼んでくれ」


 僕は周囲で野次馬のようになっている人々に言う。


 誰でもいいのだ。誰か一人でも医者を呼びに行ってくれれば。


 しかし、僕の言葉に対する返事も、焦るようにして駆けていく足音も聞こえなかった。


 振り返ると先ほどと全く変わらない顔ぶれが、物珍しそうに僕と、もがき苦しむ男性を見下ろしているだけだ。


――誰も動こうとしない。



「いいから早く呼んでこい! この事態に対処できる人間が必要なんだよッ!」


 あまりにも動きの悪い人々に、僕は苛立ちを隠しきれず叫んだ。


 なぜ、目の前で人が倒れているのに動こうとしない。なぜ誰も助けようとしない。そういった感情が怒りとなって口から飛び出したのだ。


 僕の叫び声が効いたのか男性が一人、焦るようにどこかに走っていった。


 彼が呼びに行ってくれていることを祈りつつ、僕は取り出した瓶のふたを開けて、薬の上に乗るようにして浮いている油と一緒に、半開きになっている男性の口に流し込んだ。


 未だブルブルと体を痙攣(けいれん)させているが、これでしばらくすれば痙攣(けいれん)も治まり、顔の赤みも引いて腕の斑点も消えるはずだ。


 ただ、この毒による症状を発現した者がいるとなると――。


「きゃぁぁぁぁぁぁっ!」


 悲鳴のする方に振り向く。


 そこには同じように体を痙攣(けいれん)させて倒れる人影。


 そこから逃げるようにして離れていく人々。



 母やエフォード医師らの話によると、毒は空から振り撒かれた可能性があるらしい。それを呼吸器から吸い込んで毒が身体中に回った。そういう話を聞いた。


――もし。


 仮にもしもこの毒をばら撒いた人物が同じであれば、まったく同じ手法をとるはずだ。そうなると毒による発作を起こす人もこの町で続々と現れることになる。


「クソッたれ……!」


 悪態をつくようにして出たのはその言葉だった。


 本当にクソッたれだ。こんな面倒ごとにだけは巻き込まれたくなかったのに。


「そこを退いてくれ! 僕が治療する!」


 治療とは言っても薬を飲ませるだけだ。しかし薬の扱いはかなりシビアなものになる。一般人に任せていいものではない。


 僕は先ほどと同じようにして鞄の中から薬の入っている瓶を取り出すと、口を大きく開けて呼吸にもならない呼吸をしながら、白目をむく勢いで体を痙攣(けいれん)させている女性の口に薬を流し込んだ。


 薬を口にした女性は徐々に落ち着きを取り戻し、荒げていた呼吸も静まった。



「こっちです!」


 遠くから聞こえたその言葉に僕は顔を上げた。


 声のした方に目を向けると、いかにもな白衣姿の男性が腕を引かれて走ってくるのが見えた。


 腕を引くのは先ほど焦った顔で走り去っていった男性。


 どうやら医者を呼びに行ってくれていたようだ。そのことに少しだけ安心した。


「いったい、何の騒ぎだ?」


 少し困惑したような表情で、白衣を纏う男性は群がる民衆を見て、(いぶか)しげな表情を浮かべる。


「あなたがこの町の医者ですね?」


 僕は立ち上がると男性に歩み寄る。


「ええ、そうですが。……いったい何が?」


 戸惑う白衣の男性。無理もないだろう。突然連れ出されれば誰だってこんな顔になる。


 だとしても、彼にはこの状況に対処してもらわねばならない。こればっかりは僕一人で解決できる問題でもないのだ。


「とりあえず、病院の方で患者を受け入れられる体制をとっておいてください。この後、大量の患者が運び込まれます。絶対に。

 症状はほとんどの人が顔が焼け爛れたように赤くなり腕には斑点、全身の痙攣(けいれん)と呼吸困難。

 そんな症状の患者が大量に運び込まれるはずです」


「ちょっ、ちょっと待ってくれ。一体何の話だ? それに君は何者だ? さっきから何を言っている?」


 未だに状況を掴めていないのか、男性は怪訝そうな表情を浮かべている。


「僕はただの薬師(くすし)です。この町に、おそらく毒が振り撒かれている。それに対する解毒剤とその製法を僕は知っている。

 それをあなたに伝えておきたくて呼びました」


 男性はその訝しげな表情を真剣な表情に一変させると、一度だけ小さく頷いた。


「状況は分かった。私はこの町の医師、ヨシュア・キーリングスだ。君の話を聞く限り、ウィケヴントの種による毒だと思うのだが、違うのかね?」


 どうやらこの男性――キーリングス医師は状況を理解すると瞬時に僕の話から毒を推理したらしい。


「確かに、ウィケヴントの種も関係していますが、この毒はそれにズベミナの根から抽出される薬が調合されています」


「そんな毒が……」


 唖然とした様子でキーリングス医師は言う。


 無理もない。この毒の製法はそれほど知れ渡っているものではないはずだ。そもそも致死性の高いウィケヴントの種の毒に薬を混ぜてまるでその効果を薄める理由がないのだ。


「調合法は?」


「一般的なもので可能です。それと、十分と()たないうちに蒸発します。作り置きする場合は上に油を入れて蒸発しないようにしてください」


「承知した。

 ……ここで倒れている二人は症状が出ていないようだが、君が治療したという事で間違いないね?」


「ええ」


「分かった。君の言葉を信じよう。それと、君の名前を聞いておきたいんだが」


 名前。


 あまり言いたくはなかった。しかしここはネーヴェ王国の外、すなわち国外だ。国内で『ヴァイヤー』の名前を出した時のようなことは起きないだろう。


「エル・ヴァイヤーです」


「エル君、というのだね。君は来ないのか? 私としては君に来てもらえるとありがたいんだが」


 不安げな表情だった。確かに毒の正体について元から知っている僕がいた方がキーリングス医師も心強いかもしれないが、僕自身、彼について行くつもりなど毛頭なかった。


「生憎、人を待たせているので。それに僕はこの町の住民ではないですから、今後こういうことが起きた時はいないのであまり頼られたくはない」


 これは建前だ。本音を言えばこれ以上面倒ごとに巻き込まれたくないからだ。体調を崩している人間がいれば診察して治療ぐらいはするが、僕は母のように未曽有の毒物に対してそんなに主導して指示を出すような人間ではない。


「それもそうだね。分かった、ここは私と私の病院にいる看護師だけで対処しよう。小さい病院でどこまでできるか分からんがね」


 自嘲するようにキーリングス医師は言う。


「さて、それじゃあ私はこれにて失礼するよ。協力ありがとう、エル君。君がいなかったらもっと対処が遅れていた。

 さ、手の空いている人がいたらここで倒れている二人を私の病院まで運ぶのを手伝ってくれ」


 キーリングス医師は周りにいる民衆にそう指示を出すと、白衣を翻らせてやってきた方向へと帰っていった。


 その後姿が消えていくのを確認すると、僕も走って逃げるように宿に直行した。


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