125.友達
中に入ったところはジャスミンの予想していた通り台所で、かなり綺麗に使われている様子だった。
それもそうかもしれない。客室なんかとは違って台所は毎日のように使う場所だ。埃がたくさん溜まるわけでもないし、食事を作る手前しっかりと掃除がなされているのだろう。
「とりあえず、これとこれを着けてください」
そう言ってリルがジャスミンに手渡したのは、彼女が身に付けているのと同じようなエプロンと三角巾。
「ありがとうございます」
ジャスミンはそう言いながらその二つを受け取ると、慣れた手つきでエプロンを小さな体に掛けて、三角巾でその茶髪を覆った。
ジャスミンも立派な女の子だ。ファッションに興味はあまりないが、女の子らしく料理ぐらいはする。
「何を作るんですか?」
三角巾の両端を頭の後ろで結びながら、振り返ってリルに尋ねる。
「えっと、家で採ってるお野菜と、それから……」
うーんと唸りながらリルは何を作ろっかなどと呟きながら辺りを見回し、何かないかと言わんばかりに食材になりそうなものを探している。
「サラダと……それからスープくらいしか作れないですけど、それでいいですか?」
苦笑いを浮かべてリルが言う。
見ると調理台の上には彼女が言った通り、いくつかの野菜が乱雑に置かれているだけだ。
「私は全然いいですよ」
「でも、あれですね。お肉が欲しいですね……」
「エルに買わせてきましょうか? どうせあの人部屋で勉強してるんで」
エルのことだ。どうせまた薬学の本でも引っ張り出して勉強しているに違いない。そのあたりの真面目さは尊敬できなくもないが。
「勉強……ですか?」
「ええ。ちょっと呼んできますね」
そう言うとジャスミンは台所から出て自分たちの泊る部屋、エルがいると思われる一〇五号室に向かった。
ミシミシと音を立てる階段に少しだけ怯えながらも、一歩一歩慎重に上る。
「エル、いるかしら?」
古ぼけた扉を三度ほどノックすると耳に障る音を立てて扉が開き、中からエルが顔を覗かせた。
「なんだ、ジャスミン」
「ちょっとお遣い行ってきて」
「断る」
「じゃあ今日のご飯はエルだけ無しになるわよ」
ジャスミンがそう言うと、エルは黙り込んだ。
「……何を買って来ればいいんだ?」
「鶏肉を買ってきてちょうだい」
「分かったよ……というよりお前がご飯作るのか。大丈夫なのか?」
心配そうに言いながらエルは部屋の方に向き直って、自分の荷物を置いている部屋の隅に歩み寄る。
「前にも言ったけど、これでも料理はできる方なのよ。リルさんもいるし、エルに心配される筋合いはないわ」
「それならいいんだが」
少々疑いを含む言い方をしながらエルは荷物を持って立ち上がる。
「私とリルさんは一階の台所にいるから、買ってきたら持ってきてちょうだい」
「はいはい」
そんな適当な返事を返しながら、エルは今にも壊れそうな階段を下りていった。ジャスミンはその後姿をしばらくぼんやりと見つめる。
エルの姿が見えなくなってからしばらくして、玄関扉の金具の悲鳴が聞こえる。
廊下の奥の小窓からエルが露店街の方に向かったのを確認するとジャスミンはゆっくりと階段を下りて台所に戻った。
台所では、リルがすでに調理の準備を始めていた。
つい先ほどまで調理台の上に乱雑に置かれていた食材は端に退けられ、空いた場所にはまな板と包丁が置かれていた。
ジャスミンの存在に気づいたのか、ジャガイモを洗っていたリルが振り返る。
「あっ、ジャスミンさん。ごめんなさい、ジャスミンさんに手伝ってもらうのにエルさんにもお遣いに行かせてしまって……」
「いいんですよ、私がやりたくてやってることですから」
リルの隣まで歩み寄ると、ジャスミンはまだ土を被っているジャガイモを一つ手に取り蛇口に近づけた。
蛇口から溢れる冷たい水がこびりついた土を洗い流す。
「ジャスミンさんとエルさんはご兄妹ですか?」
「ふぇ?」
リルに突然そんなことを聞かれ、ジャガイモの表面を擦る手が止まる。顔を上げて、首を少しだけリルの方に向ける。
「そう、見えますか?」
「違いましたか?」
「えっと、彼はそのなんというか……」
言葉に詰まる。
現状、ジャスミンには現在のエルとの関係性を表す言葉を知らない。旅仲間というには目的が異なっているし、友達という枠組みでもないだろう。
何度も間違われるが恋人なんてもってのほかだ。
「恋人ですか?」
「違いますっ!!」
勢い余って飛び出たのは否定の言葉だった。
「エルは私の旅について来てくれているだけで……」
「そうなんですか?」
こくこくと頷く。
「ちょっと色々あって、私について来てくれているんです。建前上は私がついて行ってる感じなんですけど……だから別に、恋人とかそういうのじゃないですし、エルの事ちょっと好きかなとかも思ってないですから!」
『恋人』という単語に動転して思いもしないことを口走ってしまっているとは露知らず、顔を少しずつ赤く染めながら焦るように言葉を吐き出す。
「あっ、なるほど」
そんなジャスミンの様子を見て、リルは何かを悟ったように頷いた。
「……ジャスミンさんはエルさんのことが好きなんですね」
「違いますってば!!」
より一層赤面させるジャスミン。
そんな自分の様子に、ジャスミンは気づいていないわけでもなかった。気づいている上で、認めるのが、言葉にするのが恥ずかしくて否定の言葉を出していた。
「どこが好きなんですか?」
ジャスミンの反応を見て確信を持ったリルは、自分の興味に惹かれるがままにさらに彼女の心中に踏み込む。
目を輝かせて尋ねるリルに、ジャスミンも気圧されたのかずっと否定してきた感情に蓋をした。
「エルって、ああ見えて優しいんですよ。文句言いながら助けてくれるし、文句言いながら心配してくれるし……。
あれ? 文句しか言ってない気がしてきた……」
思い返しても見れば、エルは口が悪い。非常に口が悪い。
言う必要のないことまで言ってきたりするのだ。今考えてみれば優しさの欠片も感じられない。
「そういうの、なんだか憧れちゃいます」
リルは視線を手元に落としたまま言う。
「憧れ……?」
「この町、私と年が近い子ってほとんどいないんです。この町に住んでるのはお年寄りやおじさんやおばさんばかりで。ジャスミンさんみたいな若い女の子もいなければ、エルさんみたいな男の子もいない。
だから、友達ができたりとか、恋したりとか、すごく、憧れます」
柔らかな微笑みを浮かべるリルに、ジャスミンは手を止めた。じっ、と彼女の顔を見つめて、心に浮かんだ言葉を、気持ちを紡ぎだす。
「友達になりません?」
「……え」
ジャスミンの申し出に、リルはきょとんとした表情に合わせて漏れるような吐息を口から漏らした。
「あっ、ごめんなさい。いきなり過ぎましたよね……」
まだ会って間もないのに失礼すぎただろうと思い、ジャスミンは笑って誤魔化した。ジャスミンもこんな台詞を口にするのは初めてだし、何より、ジャスミンも年の近い女の子と沢山話したことがあるわけではないのだ。
少し物悲しげに俯く。
「友達になってくれるんですか!?」
リルはジャガイモの皮を剥いていた手を止め、右手に持つ小さめのナイフをまな板の上に落とすように置くと、濡れた手でジャスミンの右腕を掴んで叫んだ。
「えっ、あっ、はい! リルさんと友達になりたいな、って思って」
「リルさんなんて……リルでいいですよ!」
ぐいぐいと迫るリルに少しだけ戸惑いつつも、ジャスミンはどこか安心した表情を浮かべた。
断られるとばかり思ったのだ。今までにもジャスミンは友達を作ろうと努力してきた。けれどどれも失敗した。いつの間にか自分の周りから人は離れ、まるで壁でも出来たかのように独りぼっちになっていた。それ以来、誰かに「友達になろう」なんて言うことを自分から遠ざけていた。
「じゃあ、えっとこれからよろしくね、リル」
自分の腕を掴んだリルの手にそっと左手を添えた。
「はい、仲良くしましょう、ジャスミンちゃん!!」
リルは添えられたジャスミンの左手に、彼女の右腕を掴んでいた手を放して、優しく握り返した。