121.容態
この日、コレットはネーヴェ王国王城、シュネーヴァイス城を訪れていた。
というのも、アウリールから緊急で連絡が来たのだ。
どうやらツルカの身に何かあったらしく、それを診てほしいという旨だった。
ベッドにぐったりとしたツルカの様子を見て、それが一目で良くないものであることは、コレットにとっては簡単に分かった。
以前、睡眠不足と栄養失調で風邪を引いたことがあったが、今回はどうやらそういうわけでもないらしい。
額に汗を滲ませ、その顔を辛そうに歪めている。呼吸はしているが、酷く不規則で安定していない。まるで悪夢に魘されている子供のようだ。
「どうして、こんなことに?」
コレットには、ツルカが突然こんな風に体調を崩すとはとてもではないが思えなかった。何かしらの原因があって、その結果今の状態にツルカはなっているのだと、コレットは思った。
「実は……テレーズ・ゼラティーゼの襲撃を受けました」
アウリールのその言葉に、コレットは自分の耳を疑った。
「え?」
――テレーズ・ゼラティーゼ。
それはコレットにとっては思い出したくもない過去そのものであり、きっと人生で一番怒りを感じたであろう相手の名前だった。
「番人を担う魔女達は全員殺され、ツルカ様もテレーズとの戦闘で現在の状態に……」
「この国の人たちはそのこと……」
「まだ知りません。これを今、公に晒せば確実に国民を混乱に招きます。そうなってしまっては、下手をすれば暴動が起きかねません」
アウリールの言い分は筋が通っていた。
確かに、今この状況でこの事実を国民に伝えるのは良くないだろう。この国の魔女が七人も殺され、剰え女王がテレーズの襲撃で深手を負っているとなれば、下手をすれば隣のゼラティーゼ王国に攻め入ろうなどと言いだす輩がいてもおかしくない。
「ひとまず、番人の仕事は後継ぎが用意されています。そのあたりは彼女らが上手くやってくれるでしょう。亡くなっていった者に関しては、事態の終息後に葬儀を行います。問題は……」
そこまで言うとアウリールはちらりとベッドに横たわるツルカを一瞥する。
依然、ツルカは苦しそうに息をして、額に掻いた汗を糊のようにして艶やかな金糸のような髪を貼りつかせている。
コレットはツルカの方に近づき、自分のポケットからコレットの纏うローブと黒色のハンカチを取り出し、ツルカの額の汗を拭きとった。
腰を屈め、ふき取ったばかりの彼女の額に、コレットは自分の額をくっつけた。
目を閉じて、小さく息を吸う。
「その身に宿りし精霊よ。汝らに巣くう悪魔を我へ示したまへ」
目を閉じたコレットの頭に流れ込んでくる濁流のような情報。その一つ一つがツルカの容態を表すものだった。文字のような、映像のような。抽象的な概念を感じながら、ツルカを現在のツルカたらしめている原因を探す。
体に損傷はない。妬ましくもその艶やかな肌は健在だ。体そのものにも大きな異常はみられない。熱はあるようだが、それでも普通より少し高いくらいだろう。そうしてみると、ツルカの体は健康体そのものだった。
ただ一つ、常人と明らかに違うところがあった。
「――なるほどね」
コレットはツルカの額から顔を遠ざけると、心配そうな表情を浮かべるアウリールの方に向き直った。
「ツルカ様は一体どのような状態でしょうか?」
「……魔術の原理ってご存知ですか?」
「魔術の原理……?」
コレットはこくりと首を縦に振った。
「魔術は、私たちのような魔女が行っているのではなく、正確には精霊たちが行っています。私たちは彼らに呪文や魔法陣という形で命令を送っているだけなんです。
精霊は、全てのモノに宿っています。火だったり、土だったり、水だったり。もちろん、植物や動物にも。そしてそれは、私たち人間も例外じゃないんです」
「つまり、どういうことでしょうか?」
「精霊は生き物にとっては生命力のようなものです。その体内には精霊が宿り、私たちを生かしている。逆に言うと私たちは精霊無くして生きることはできないんです。ツルカさんはその精霊が枯渇している状態なんです。普通の四割程度しかない」
コレットがそこまで言うと、アウリールは何かを思い出したように顔を少し上げる。
「ツルカ様は……お眠りになる前に『魂を喰われた』と仰いました。まさかそれが……」
「ええ。それが精霊の正体です」
「そんな……ではツルカ様は……」
アウリールは苦みのある表情をその手で押さえながら項垂れる。
「安心してください。精霊は自然に増殖します。ゼロにならない限り、宿主を生かそうと数を増やします。ですので、ツルカさんが死ぬことはありません。ただ、回復には時間を要します」
コレットは鞄の中から一つ、彼女の拳程度の大きさの瓶を取り出した。瓶の中には緑色の液体が入っており、その中を色とりどりの花弁が泳ぐように漂っている。
「それは?」
「栄養剤、のようなものです。この中にも精霊が宿っています。それをツルカさんの体に流し込んで、彼女の足りていない精霊を補填しつつ、増殖を助ける。それがこの緑色の液体です。
今は手持ちでこれしか持っていないんですけど、これを二日に一回飲ませてあげてください。後でもう少し持ってくるので」
コレットはアウリールの不安を払い除けるように小さく微笑んだ。
「何から何まで、ありがとうございます、コレット様。あなたのような方がこの国にいて本当に良かった」
アウリールの顔にも、すでに安堵の表情が浮かんでいた。それほどにツルカのことがアウリールにとっては大事なのだ。
誰よりもこの国のことを思う主君は、アウリールの道標であり、彼の人生を照らし出す灯りそのものでもあった。
「それじゃあ、私はいったん診療所に帰りますね。他にも必要な物を持ってきます」
コレットはアウリールに背を向けると、それだけ言い残して部屋を出て行った。
その背中を見送ると、アウリールは思いっきり自分の頬を両手で挟むようにして盛大な音を立てて叩いた。
「さて、私も仕事をしますかね。……後のことはお任せください、ツルカ様。今はどうぞ、ゆっくりお休みください」
じんじんと熱い頬の痛みを感じながら、アウリールもコレットが出て行った扉から同じように部屋を出て、自分の部屋――彼の仕事場に向かった。