120.好きな花
僕たちは王都での買い物を済ませて、すでに魔法の絨毯の上で寛いでいた。ついさっき買ったばかりの甘い菓子パンを頬張りながら、ぼんやりと地図を眺める。
「次はいよいよ名前のない町ね」
ジャスミンの言葉に、僕は顔を上げずに「そうだな」とぼそぼそと口を動かして相槌を打った。
「元気ないじゃない、どうしたの?」
「別に、そんなことはないけど」
そう見えただろうか。元気がないなんて事はない。ただ一つ、不安なことがあるだけだ。
それは本当に“名前のない町”があるのかという事。地図に町の位置はあるのに名前が書かれていないというのが何よりもおかしいし、もしかしたら地図の作成者――ツルカの手違いで存在しない町を地図に書いてしまっているのではないかと考えてしまう。
「大丈夫よ、食料はたくさん買ったし、もしその町が存在しなかったらそのまま大森林まで向かえばいいだけの話よ。幸い、王都から大森林までは直線の一本道だし」
前々からそれが心配な要素であることをジャスミンに話していたためか、そんな風に彼女は不安を払い除けようとした。
「――それもそうだな。
それにしても、父さんと母さんの話に聞いていたよりも、王都っていう割には随分と静かな印象だったな」
「そうね」
二日ほどこのゼラティーゼ王国の王都に僕とジャスミンは滞在した。そこで見る光景はどうにも目を見張るほどの輝かしさはなかった。
身振り手振りを使って王都の賑わいを父と母は表していたが、その話しぶりからは想像もできないほど閑散としていた。
いや、別にハンメルンのように死んでいたわけではない。活気はあるし人もいた。ただ、国の中心都市にしては賑わいが足りないように思えたのだ。
「なんだか、クエロルの方が賑やかだった気がするわ」
「僕もそう思う」
これは感覚の問題かもしれないが、そう感じたのだ。もしかしたら王都の方がお金も回っていて、人も多いのかもしれない。それでも人々の声や、顔からして、クエロルの方が明るさがあった気がする。
「ところでなんだけど」
四つん這いになってふわふわと不安定な絨毯の上を移動して僕の方に近づいてくるジャスミンが話題を切り出した。
「なんだ?」
「エルが取りに行こうとしてる花……なんだっけ?」
「ローイラの花」
「そう、それ。そのローイラの花ってどれぐらい持って帰るつもりなの?」
「そうだな……」
はて、どれくらいだろうか。ローイラの花はわざわざ薬草として栽培されるぐらいにはよく使われる植物だ。
とは言っても、ローイラの花自体が何かの病気に効いたりとか、傷口に塗ると治ったりとか、そういうものでもない。
ローイラの花の役割は薬の効能の底上げだ。調合することでその効能を倍か、それ以上にできる。しかも様々な薬と合わせられるのが最大の特徴だ。沢山あって困ることはない。
「採れるだけ採って帰る」
「つまり採る量なんて考えていなかったってことね」
そうとも言うかもしれない。しかし、こういったことが実際に起きているのだ。もしまたこういうことが起きた時に対応できるように、数は多い方がいい。
「まぁ、それ用の袋も五つぐらい持ってきてるんだ。それに詰められるだけ詰めて帰るよ。そんなに大きい花じゃないし」
僕がそう言うと、「へぇ」と気のない相槌が横から聞こえた。
こういう反応をジャスミンはよくする。話に興味を持っているのか持っていないのかよく分からない反応だ。
「ローイラの花はどんな花なの?」
「……何でそんなことを聞くんだ?」
「花集め、手伝ってあげるって言ってるの」
「ああ……」
なんだそんなことか、と思う。
別に手伝ってもらうつもりなんてなかったが、手伝ってもらえるのであれば是非お願いしたい。人出が多いのはいいことだ。
「桃色の小さい花だ。ランタンみたいな形の花を吊り下げるみたいに咲いてる」
「可愛いお花ね」
「人によっては生け花にしてる人もいるらしいぞ」
「そうなのね。今度やってみようかな」
「やめとけ、似合わないから」
ローイラの花はどちらかというと女の子らしさのある人が好きなイメージだ。とてもではないが、このお転婆少女に似合うとは思わない。
「お前は名前のままでいいだろ」
ジャスミンの花も白くて綺麗な花ではあるが、女の子らしいかと聞かれると、僕はどうだろうと思う。
女の子はもっと華やかな、桃色や赤や黄色い花が好きだろう。
「えっ、あ、ありがと」
なぜそこで赤面する。
別に褒めたつもりも貶したつもりもない。照れ隠しや辱めで顔を染める必要もないだろうに。
「……エルは好きな花とかあるの?」
「好きな花?」
聞き返すとジャスミンは無言で小さく頷いた。
「考えた事もなかったな……」
頷きに答えるように、ぼそりと呟く。
花は好きだ。散っていくことを知りながら懸命にその花を咲かせ、人生を彩ろうとするその姿が好きだ。
その姿はどんな花だろうと差異はない。どんな花だって懸命に生きて命を繋ごうとしているのだ。
だから正直、一つの種について特別気に入っているだとか、そういった感情は抱いたことはなかった。
「あえていうなら、そうだな……」
口元に手を当て、考える。
花はどれも綺麗だ。そこを切り取ってしまえば決めることはできないだろう。
「アングレカム……って花、知っているか?」
「なにそれ?」
「……星みたいな形の白い花だ。母さんが好きなんだ。理由は聞いたことはないけど」
母がアングレカムの花が好きなのは小さい頃から知っていた。母が身に付けているブレスレットにそれを模した白い宝石があしらってある。
「そんな花があるのね」
ふーん、と鼻を鳴らしながらそんなことを言う。
アングレカムはメジャーな花ではない。知名度はそれほど高くないのだろう。
もしかしたら、僕はそういう花が好きなのかもしれない。バラやカーネーション、今回取りに行くローイラのような華やかで人気のある花よりも、あまり有名ではない、白くてあまり飾り気のない花が好きなのかもしれない。
「なんでそんなことを急に聞いてくるんだ?」
「ただの興味本位よ。気になることは解消しておきたいの」
なぜそんなことが気になるのだろう。別に僕が何の花が好きだってジャスミンには関係ないではないか。
「エルって、本当に植物に詳しいのね」
「まぁ、そりゃあな……」
「私も女の子として花の名前とかたくさん知ってた方がいいのかな?」
どうだろう。女の子だからといって花に詳しくないといけないわけではない。僕の場合は身を置いている環境が少々特殊なだけだ。
ネーヴェ王国に住んでいる女性がどれほど花に関心を持ち、知識を蓄えているのか知らないが、知っているに越したことはないだろう。別に、知らなくても困らないと思うが。
「もしジャスミンが花に興味があるんだったら教えてあげるけど」
横を見ると、ジャスミンが少しだけ目を輝かせていた。
「いいの?」
「いいも何も、僕が教えてやるって言ってるんだ」
するとジャスミンはさらに目を輝かせて、いや、顔を輝かせて大きく頷いた。
「エルの知ってること、私にもたくさん教えて!」
満面の笑みでそう言う彼女に、僕も自然と笑みが零れた。