119.響く想い~3~
――勝った。
その瞬間テレーズはそう思った。
自分を侮っていた小さな女王に一発喰わせてやったと、これでツルカの身体は自分のものになると、そう思っていた。
「なん、で」
確実に不意を突いたはずだった。その殺気にツルカは動揺していたし、焦った表情を見せていた。そのおかげか、テレーズ自身の身体を固着させる魔術も解けていた。
――それなのに。
「なんで……なんでまだそこに立っているのよ……!」
テレーズが見つめる先、そこにはツルカの姿があった。
ツルカは右上半身を捻るようにして後ろに向けて、顔も心なしか右後ろを向いていた。
その右手が伸びる先に、テレーズはありえない光景をその黒い瞳に移した。
「冷えた鉄の味はどう? 美味しいでしょう?」
ツルカがそう口にした直後、ツルカの後ろにいた大きな狼――アセナは部屋を震わすほどの咆哮を上げて、大きく口を開いてから後ろに飛び退いた。
「アセナっ!?」
アセナの身に起きている異変にテレーズはいち早く気がついた。まるで血肉を食らっているかのようにその口に血の海を溜め込んで、鋭い牙と牙の隙間から赤い糸を垂らしている。
鼻の上には大きな刺し傷が窺えた。
「あなた、アセナに……私のお友達に何をしたのよッ!!」
「別に何も特別なことはしていないわ。ただ剣を刺しただけだから」
「け、ん……?」
まるでそれが何か分からない子供のように断片的にその単語を口にする。
いや、別に知らないわけではない。剣という鉄で作られた武器があることはテレーズも知っているし、そんなもの常識の範囲内だ。
信じられないのは――。
「そんなもの、どこに隠し持って……」
ツルカは剣を持っていなかった。腰に提げるでも、背に掛けているわけでも、ましてや懐に忍ばせるように持っていたわけでもない。
それなのに彼女の右手には一振りの小汚い剣が握られていた。遠目からでも分かるぐらいに刃毀れがひどく、それなのに鍔に埋め込まれた青い宝石が爛々と輝いている。
「もう一つ、私とあなたで違うところがあったわね」
「……!?」
うずくまるアセナを背に、彼女の身には不釣り合いな大きさの剣を引きずらないように地面から少し持ち上げて、右後ろに流すように片手で持ちながら音もたてずにテレーズに歩み寄る。
「それはね、国民からの信頼よ」
剣を真っ直ぐテレーズの首元にあてて、ツルカはその剣と同じような鋭い声で言い放った。
「あなたは国民を殺して生きていたわね。その治世は恐怖によるものだった。でも私は違う。常に国民に寄り添い、共に歩み、そして彼らを照らす光になる。常に国民のことを考え、国を治めた。それが私とあなたの差よ。国から信頼されている私と、国を見捨てたあなたの、ね」
「そんな……」
そんなことがあってたまるかと、テレーズは言い返したかった。
「あなたが敵に回したのは『氷の魔女』ツルカ・フォン・ネーヴェではないわ。あなたが敵に回したのはこのネーヴェ王国そのものよ。この国に住むすべての魔女の英知が私に集まっている。あなたが相手しているのは一人の魔女ではなく、無数の腕のある魔女達と同義よ」
テレーズは言葉を失った。それと同時に察した。絶対に勝てない、と。
「だからもう、諦めなさい、テレーズ・ゼラティーゼ。あなたはここでお終いよ。
……これから使うのは初めて使う魔術だから、しっかり詠唱しなくちゃね。それじゃあさようなら、テレーズ」
静かな、冷たい声音でツルカはそう言うと、すうっ、と息を吸う。
「その命を糧として輝け、彼の剣よ」
ツルカがそう呪文を唱えた時だった。
「――――――ッ!!」
声にならない雄叫びを上げながら、ツルカの遥か後方にいたアセナは飛ぶようにしてテレーズのもとまで来ると、テレーズを乱雑に前足で吹き飛ばした。
「アセナ、何してっ……!」
ツルカとテレーズの間に入ったアセナは大きく咆哮するとツルカの方を睨みつけ、直後に大きく口を開けてツルカに襲い掛かった。
「元気がいいわね……!」
仄かに青白く光る剣を前に伸ばして、先ほどと同じようにアセナの口の中に垂直になるように剣を突き出した。
案の定、その剣はアセナの口にすっぽりと収まり、先ほどよりも深くアセナの上顎に突き刺さった。
「アアアアアアァァァァァッ!!」
その痛みに耐えながら、アセナは先ほどよりも大きく、痺れるような大きさでその空気を震わせた。
少しずつ凍り付く手足に精一杯の力を入れて、その咆哮で空気を震わせ続ける。
「何を足掻いて……」
ツルカはそこまで言うと、何かに気づいたように目を大きく開き、その後に歯を食いしばってから、
「凍てつけッ!!」
そう叫ぶ。
直後、アセナを覆う霜の広がりが加速する。
「――――――」
アセナは声をあげることなく、唯一動く首を後ろに向けて、テレーズに視線を送った。
その視線を受け取って、涙でぼやける視線を送り返したテレーズは、飛ぶようにして、いや、実際に飛びながら逃げるように部屋を出て行った。
「逃がすわけには!」
そのとき、ツルカは自分の身体に異変を感じた。
ずるりと中身が抜け落ちるような脱力感。
「あれ?」
ふらりとふらつく体。
直後に、ツルカはその小さな体で冷たい床を抱きしめるように倒れていた。
アセナの方はというと、完全に凍り付き、事切れていた。口を開けたまま、左後ろに目線を流した状態で氷像のようになっていた。
「テレーズの言葉は……案外、間違っていなかったのかもしれないわね……」
薄れゆく意識の中、聞こえてきたのは金属をまき散らしているかのような足音。
「ツルカ様! ご無事ですか、ツルカ様!!」
「アウリール、ね……。私は、大……丈夫よ。でも少し、失敗したわ」
途切れそうな意識を繋ぎ留めながら、伝えるべき言葉を自身の一番の従者に向けて紡ぐ。
「テレーズに、逃げられたわ。私もどうやら、魂とやらを……少し喰われたみたい……。死ぬことはない……と、思うけど、ごめんなさい。……少し疲れちゃった。少しだけ、休ま……せ、て……」
ぐったりとしたツルカは、そのまま眠りについた。
「ツルカ様!!」
アウリールは咄嗟に口に手を当て、呼吸があるのを確認してから、手首に指をあてて脈が安定していることを確認した。
眠るツルカを抱えて立ち上がったアウリールは、後ろの狼の氷像に見向きもせずに、少し駆け足で玉座の間を後にした。
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