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赤い夜に、魔女は泣く  作者: 与瀬啓一
第8章~真っ赤な音色~
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114.冷たい足音

「テレーズ女王陛下、お食事の準備ができました……」


 その声に呼び起こされるようにして、テレーズ・ゼラティーゼはその瞼を重たそうに開いた。ウサギや猫のぬいぐるみに埋もれた体を起こして、顔を声のした方に向ける。


 そこにいたのはゼラティーゼ王国の鎧に身を包んだ兵士と、その兵士に後ろで腕を組まされている若い娘だった。


 恐怖に慄くその表情を見て、テレーズは気だるげにため息をついた。


「そこに置いておいてちょうだい」


 そう言ってもう一度ふかふかのベッドに倒れこんだ。


「承知いたしました……」


 兵士は娘から手を離すと、静かに扉を開けて部屋を出て行った。


「……そこのあなた、こっちに来ない?」


 横たわった状態でテレーズは扉の前で立ち尽くしている娘に声をかけた。


「はっ、はい……」


 声を震わせる娘は、一歩一歩、まるで壊れかけの吊橋を渡るようにテレーズの声がするベッドの方に近づいた。


 ひんやりとした床を、娘の白い足がゆっくりと踏みしめる。


「あの、女王様、これは……」


 ベッドのそばまで来た娘は少し震えた声で尋ねる。


 その方に首を少しだけ向け、テレーズは自分の腕を伸ばして娘の腕をがしりと掴むと、思い切り自分のベッドに引きずり込んだ。


「きゃっ!?」


「ねぇ、あなた、ちょっと笑って見せて?」


 娘の意表を突かれた一声など意に介さず、テレーズは淡々とその言葉を口にした。


 娘の方は何が何だか分らず、目に涙を浮かべ、テレーズの不気味で妖艶な笑みを見つめているだけだった。


「あら、聞こえなかったかしら? 私に笑って見せて? ね?」


「ひっ!?」


 従わなければ殺される、そう娘は直感的に感じた。ここ最近、このゼラティーゼ王国が乱れ始めていることに、娘は気がついていた。


 女王がかなり乱心していることは噂には聞いていた。しかし、ここまで悪魔のような形相を浮かべることは、娘の思ってはいなかったのだ。


「こ、こう、ですか?」


 娘は笑って見せた。


 恐怖の上に笑顔を厚塗りして、恐怖がバレないように、けばけばしいぐらいの感情の厚化粧で、本心を隠そうとした。


 ただ、厚化粧というのは随分とわざとらしく見えてしまう。


「ああ、ダメよ。全然ダメ。それは心からの笑顔じゃないわ。偽物の笑顔。味に飽き飽きしていたから、たまには恐怖以外も食べてみたかったのだけれど、表面上は笑っていても、内面は今にも気を失いそうなほどに恐怖している。これじゃあ、いつもと変わらないじゃない。ね? アセナ」


 最後の呼び声に、獣の唸り声がする。


 女王が犬を飼っているらしいこと、それはゼラティーゼ王国の国民であれば皆知っていた。姿こそ見たことはないが、それこそ忠節で、賢く、愛くるしい犬なのだと、娘は思っていた。


「なに……これ……」


 そこにいたのは犬でも何でもなかった。黒い毛皮の、大きな化け物。犬のような形をしているが、目が四つあるのと、その大きさから犬でないことは明らかだった。


「アセナ、お食事の時間よ。ごめんなさいね、いつも似たような味ばかりで」


 ベッドの傍らで唸る獣に、テレーズは優しく声をかける。


「何を……」


 感情の厚化粧のはがれた娘は、もう顔を繕おうとはしなかった。そんな余裕はどこにもなかった。


「それじゃあ、可愛いお嬢さん? あなたの命を、(わたくし)にちょうだい?」


 直後には、テレーズのベッドの布団たちがアセナの口から零れ落ちた赤い血を、まるでそれを欲していたかのように吸い取っていた。


「やっぱり、つまらない味ね」


 テレーズは味に飽きていた。毎日のように同じ味の食事。同じ表情(かお)の食事。この国の人間は皆、テレーズを前にすると恐怖に顔を歪ませる。


 最初はそれがテレーズにとってはご馳走だった。


 けれど今となってはその表情は胸やけを起こしそうで、飽き飽きしていた。


「この国の人間ではダメね。みんな怖がってしまうから。……私が女王だからかしら? 位の高い人間を前にして皆が肝を抜かれているのね。

 ……だったら、同じ地位の人間なら、別の味がするのかしら? どこかの国の女王なら」


 そう考えるものの、自分と同じように国を治めている女王に心当たりが――


「あら?」


 一つだけ。テレーズは一つだけ女王が治めている国を知っている。かつて、名前も思い出せない兄に教わったことがあった。


 隣のネーヴェ王国。その国を治めている者が女王であると、そう聞いたことがあった。


「名前は、たしか……ツルカ・フォン・ネーヴェ……」


 その名前を口にした瞬間、胃袋がきゅっ、と閉まるのを感じる。それと一緒に腹の虫が産声を上げたがごとく鳴き出した。


「アセナ、次のご飯が決まったわ。少し遠いけど、ネーヴェ王国に行きましょう。きっと私たちを満たしてくれるはずよ」


 ベッドに顎を乗せて甘えてくる獣の鼻を撫でながら、テレーズは優しく言った。それに返事をするように、獣はその大きな鼻を鳴らした。


「それじゃあ、行きましょうか」


 そう言ってテレーズはベッドから這い出ると、ひたひたと音を立てて冷えた床を踏みしめて、自分の寝室を後にした。


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