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赤い夜に、魔女は泣く  作者: 与瀬啓一
第8章~真っ赤な音色~
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112.ヴァイオリンの音色~4~

 そこには、見渡す限りの暗闇が広がっていた。


 ジャスミンはふと自分の足元に目を落とす。その足元はどこかをしっかりと踏みつけて立っているようだったが、地面らしい感触はなく、何もない所に立っているような感覚だった。



――ここ、どこ?



 そんな思考が頭をよぎる。


 少しだけ、前に歩いてみる。


 すると驚くことに何もない場所をしっかりと踏みしめて、前に進んでいるような感覚がした。


 その真っ暗な空間に、ジャスミンはえもいわれぬ不安感に駆られた。この真っ暗なだだっ広い空間に一人だけ。


「エル……? どこにいるの……?」


 歩く足を速め、息をあげながら、出口らしき場所を探して走った。


 しかしそれでも、周りの風景が変わることはなく、延々と黒い世界が続いているだけだった。


 ふと、自分の左手に温もりを感じた。


 その左手をぼんやりと眺め、握りこんでみたり開いてみたり。なにも異常がないことを確認しながら、視界の端に映った白い光の方に顔を持ち上げた。


 ちょうどジャスミンの正面。


 その光は徐々に大きく、広がっていき、やがてその真っ暗な空間ごとジャスミンを飲み込んだ。



 気がつくと、ジャスミンの体はベッドの上に横たわっていた。開いた目に映るのは木目の走った茶色い天井。


「目が覚めたか?」


 その声がしたのは、ジャスミンのちょうど左側からだった。


 ジャスミンがそちらに首を向けてみると部屋の隅で揺れている蝋燭の炎に照らされた、エルの横顔が目に入った。


 エルはジャスミンのいる方に背を向けて、ベッドのちょうど真ん中あたりに腰かけていた。


「……エル?」


 自分がなぜこうなったのか、一つ一つ思い出そうとする。



――確か、髪を乾かそうとしたらヘンリックさんが部屋に入ってきて……。



「そうだ、エル。ヘンリックさんはどうなったの……?」


 その姿がないことを確認してからエルに尋ねる。


「警吏に連れて行ってもらった。不審者ってことで」


「そっか……」


 静かな声で喋るエルからは、どこか怒っているような雰囲気をジャスミンは感じた。


「まったく、護衛でついてきたやつが助けられてどうする」


「……ごめんなさい」


 やはりエルが怒っていたのだと再認識したジャスミンは、小さな消え入りそうな声で謝った。


 それと同時に、そうだったな、と思い出す。


 コレットが機転を利かせて、エルの護衛という形で、こうして旅をしていることを今の今までジャスミンは忘れていた。


「すまん、怒っているつもりはないんだ。まあ、なんだ、無事でよかったよ」


 そんな言葉がエルの口から発せられることを、ジャスミンは予想できなかった。そっぽを向いて話すエルの顔をジャスミンは確認できなかったが、その様子を見て、本当に怒っていないらしいことにジャスミンは心の中で胸を撫で下ろした。


「それでジャスミン、いつまで僕の手を握っているんだ?」


「へっ?」


 その一言も、ジャスミンは予想していなかった。その一言を聞いた瞬間に、左手になにやら温もりのようなものを感じる。


 恐る恐る目線で自分の左腕をなぞる。


 その先。


 自分の手ががっしりとエルの左手を握りこんでいた。


「ひゃうあっ!?」


 悲鳴にも似た叫び声をあげて、その手をぱっ、と離すと同時に逃げるように体を起こす。


「わわわ私っ、手、握っ……!!」


 追いついてくる事実を口から吐き出して、どんどんと熱くなってくる頭の中を整理しようとする。


 それでも、口に出した現実はもう一度耳から入ってきて、まるでそれを再確認させようとするように頭の中に届く。


 それが追い打ちをかけて、真っ赤になっていた顔をさらに熱くさせた。


「ああ、いや。先に握ったのは僕からだから、気にしないでくれ。なんだか(うな)されてるみたいだったから……」


「そう、なの?」


 きょとんとした表情で、ジャスミンは未だにそっぽを向いているエルの後頭部をぼんやりと眺めて尋ねる。


 その頭が、静かに少しだけ縦に動く。


「……エル、何か変なものでも食べた?」


「食べてないよ、失礼な」


 その言葉を最後に、エルは驚くほど機敏な動きで立ち上がった。


「ジャスミンが目覚めたから僕は部屋に戻るよ。明日以降の説明は明日の朝する。それじゃあ、おやすみ」


 そう言って扉の方に向かって歩き出した。


「あ、うん、おやすみ……」


 そんな決まりきったような挨拶を反射的に返す。



――あれ、何か忘れてる気がする。



 何かを言っていない。何か、自分がエルに対していわなければならないことを言い忘れている。そんな気がして、目が覚めてからの若干恥ずかしい会話を思い出す。


「……あっ、待って、エル!」


 何を伝えていなかったのかを思い出したジャスミンは、扉を開けて今にも部屋から出ようとしているエルを引き留めた。


「エルが助けてくれたんでしょう? ありがとう。やっぱり私、あなたを選んで良かったわ」


 言いそびれていた感謝の言葉を述べる。エルはそれに反応することもなく、部屋の外へ出ていった。


 その閉まった扉をぼんやりと見つめながら、ジャスミンは胸に手を当てて、


「ふぅ」


 一度だけため息を漏らした。


 手に伝わる心臓の鼓動。少しだけ早く脈打ち、全身に血を巡らせて体を火照らせる。


 さっきまでのエルの言葉を一つ一つ文字にして頭に思い浮かべる。



――無事でよかった。



――先に握ったのは僕からだから。



 改めて考えると、本当にエルが言ったとは思えない台詞だ。


「本当に、優しいんだから」


 熱い体の真ん中の、ほんのりとした温もりを持った場所にあてた手を、きゅっと少しだけ握りこんで、そんな独り言を呟いた。


 その独り言を、部屋で揺れている蝋燭の炎だけが、意味を理解したようにゆらゆらと少し激しく揺れ動いていた。




§




――何を言っているんだ僕は。何をしているんだ僕は。



 僕は自分の部屋に戻ってから、ずっとその考えに頭の中を支配されていた。


 そんな考えが、頭の中でぐるぐる、ぐるぐると回って落ち着かない。


 まさか自分の口から、「無事でよかった」なんて言葉が出てきたのが、反吐が出るほど気持ち悪い。


 それに、あろうことか僕は(うな)されているジャスミンの手を握ってしまった。小さい頃、風邪を引いて寝込んでいるときに母がそうしてくれたのと同じように、安心するだろうと思って、気休め程度にはなるだろうと思って、握ったのだ。


 それがまさか、あそこまで安心するような顔をされてしまうと、なんだかいたたまれない気持ちになる。



 自分のことは自分が一番分かっているつもりだ。


「異性として意識したのか……あれを……」


 今まで、そういった感情に陥った事は無かった。そのことを母や父にも心配されたことがあるから、そのうち来るだろうと思ってほったらかしにしていた。


 それがまさか、あの幼げな少女に対して鼓動を速ませることになろうとは。


 折れてしまいそうなほど小さな手。頭ではジャスミンは女の子だと理解していたが、彼女の手を握ったときに初めて、心がそのことを理解したように脈打ち始めたのだ。


「まじか……」


 そんな驚きの言葉を静かに口にする。


 未だに信じられないし信じたくはないが、そういうことだ。


 しかしそれでも、これがきっかけでおとぎ話のような恋心に発展することはないだろう。まず、ああいうはちゃめちゃな思考回路の子どもは苦手だ。もうちょっと大人びていて落ち着きのある女性が……いや、そんなことはどうでもいいのだ。


 今回の僕の心境の変化は、単にジャスミンも一人の女の子であることを再認識した、それだけのことだ。


 それ以上でもそれ以下でもない。そうだ、だからこんなにも頭を悩ませる必要もない。今日の所はさっさと寝てしまおう。


 そう思った僕は、熱くなっている顔面をひた隠すように枕に押し付けうつ伏せになって、その上から毛布を全身にかけて目を閉じた。


 頭の中で薬草の名前を言いながら、睡魔が手を引いてくれるのを待つ。



 その日はどういうわけか、睡魔はなかなか僕のもとにはやってこなかった。


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