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赤い夜に、魔女は泣く  作者: 与瀬啓一
第8章~真っ赤な音色~
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111.ヴァイオリンの音色~3~

 ジャスミンとの買い出し全般から帰ってきた後に僕は、一人でもう一度町に繰り出していた。


 というのも、一つ思いついたことがあって、それに必要な物を買いに行っていたのだった。


「ふぃー」


 両手に荷物を提げながら、宿の自室の扉を押し開ける。ベッドに座りながら、歩いて足に溜まった疲れを、そんな息と一緒に吐き捨てる。


 ジャスミンは丁度風呂に入っている頃だろうか。宿に帰った途端に、「お風呂行ってくる!」の一言と一緒に、瞬く間に浴場の方に向かって行った。


 もしかしたらそろそろ風呂から上がっているかもなと思いつつ、時計に目を向ける。今の時刻は八時を少し過ぎたぐらいだった。


 明日以降の予定について話すためにジャスミンに九時に僕の部屋に来るように言ってはあるが、それまで一時間弱ある。


 その間の時間で、僕が唐突に思いついたことをやろうと思っていたのだ。


「さて、作るか」


 そう言って僕は右手に提げていた鞄から白い花を咲かせた植物を取り出した。


 メツァヒケキアの花だ。割とどこにでも売っている花で、茎をすり潰して胃薬として用いられることが多い植物だ。


 これ単体だと、それこそ胃薬としての効果しかないし、一般的に知られているのもその用途だ。


 しかしそれを一転させる調合を、僕の母は見つけていた。


 左手に提げていた鞄から顔を覗かせている藍色の花弁の小さな花。ラノアという観賞用の花だ。その小さく愛らしい形から、よく家の玄関やらでよく見かける。


 もちろん、ラノア自体には何の効果も効能もない。口に入れるのはおすすめはしないが、口に入れたからと言って体に特別な害があるわけではない。そう、それ単体なら。



 僕は荷物の中からコップと水筒を取り出し、僕自身の道具入れから小さなすり鉢とすり棒も一緒に出した。そこにメツァヒケキアの花の茎の部分を細かめに切って、すり鉢に入れる。


 それをすり棒で形がなくなるまですり潰す。


 コップには水を張ってラノアの小さな花弁を中に入れる。すると花弁から藍色が滲むように染み出てくる。


 その中にすり潰したメツァヒケキアの花の茎を入れて三十分ぐらい放置しておけば、麻痺毒の完成である。


 自分の身は自分で守ることを思っての行動だった。ジャスミンがハンメルンの時のように、面倒ごとに首を突っ込もうとするものなら、僕自身の身の危険も増す。そうなったときのための保険に過ぎないが、無いよりはましだろうと思ってこの麻痺毒を作ったのだ。


 毒物自体作るのは初めてだったが、作り方は親の研究誌を見て知っていたし、手順も綴られた通りにやったからしっかりと麻痺毒になっているはずだ。


 時計に目を向けると時刻は八時半前。九時までの残りの時間をどう使おうかと思い、鞄の中に何かないかと思い、荷物の中を漁る。


「おっ」


 詰め込んでいた食料の下から首を出したのは、僕が使っている応用薬学の本と、紙を束ねて作ったノートだった。


 どうやら旅に出る前の僕は旅の最中でもしっかり勉強しようと思っていたらしい。すっかり忘れていたが、ここしばらく勉強をしていなかったことを思い出す。


 三十分そこらでどれほどできるか分からないが、暇つぶしにはちょうどいいだろうと思い、机に向かってペンを片手に本とノートを広げた。




§




 時計の針と、ペンの走る音だけが部屋の中の時間を進める。一体、ノートを広げてからどれくらいの時が立っているだろうか。


 何かに熱中すると時間を忘れるのは僕の昔からの悪い癖だ。直そうとは思いつつも、身に沁みついてしまった癖はなかなか洗い流せない。


 時計を見ると驚くことに九時を過ぎていた。九時十分。針はその時間を指し示していた。


 となると、ジャスミンはもうこの部屋に来ていてもおかしくはないのだが、まだ来ていない。扉が開く音もしなかったし、こっそり入ってきているなら気づかない僕を見て声をあげて笑っているはずだ。


 ジャスミンが意外にも律儀で礼儀正しい女の子であることはよく知っている。そのせいで彼女に風邪を引かせたこともあった。


 だからジャスミンが時間通りに来ないなんてことはあり得ないのだ。


 ジャスミンのことだ。どうせ自分から面倒ごとに首を突っ込んだか、首を突っ込まされたかのどちらかだろう。


 とりあえず、隣の部屋に行ってジャスミンがいるかどうかを確認せねばならない。居たら居たでいいのだが、いないとなると探し回る必要が出てくる。


 僕は出来たてほやほやの麻痺毒を、鞄から取り出した注射器の中に入れる。これは一応念のためだ。もし相当危ないやつが出てきたら、これの針を体のどこでもいいから刺して、麻痺毒を注入すればいい。


「よし」


 準備を整えた僕は、自分の部屋を出てすぐ隣の、ジャスミンが泊っている部屋の扉をノックした。


「ジャスミン、いるか?」


 その呼びかけに答える声はない。


 となると、部屋の中にいないのだろうか。


 そう思い、扉の取っ手に手をかけて、


「開けるぞ」


 そうひと言断りを入れてから、扉を押すように開けた。


 開けた瞬間、僕の目に飛び込んだのは、床に伏しているジャスミンの姿だった。


「……ジャスミン?」


 ぼそりと彼女の名を口にする。その直後。


「おヤ? 結界は張っていたはずなのニ……」


 そんな聞き覚えのある声に、僕はジャスミンの方に落としていた視線と一緒に首をあげた。


「ヘンリック?」


「これはこれハ。ほとんど話したこともないのに名前を憶えていただけて光栄デス」


 そこにあった姿は昼間の行き倒れヴァイオリン弾きだった。ニタニタとした表情を浮かべながら、だらりと下ろした腕にヴァイオリンをぶら下げている。


 状況から察するに、彼がジャスミンを現在の状況に追い込んでいることはすぐに分かった。


「あんた、何が目的だ」


 尋ねるとヘンリックはそのニタニタ顔をさらに歪ませ、不気味に笑った。


「うーん、あなたに教えるほどのことではないんですけド。まぁ見られたからにはジャスミンさん同様、あなたも連れて行きましょうかネ。拷問でもすれば、あなたも“アンネの灯火”が照らす道を歩くことができるでしょうかラ」


 そう言ってヘンリックはだらりとぶら下げた左手に持つヴァイオリンを構えた。


 僕自身、魔術の知識は無い。皆無と言っていい。ただそれでも、言葉の繋がりからしてあのヴァイオリンが何らかの力を持っていることは感じ取れた。


 ヘンリックは僕を連れて行くと言った。その直後にヴァイオリンを構えたという事は、そのヴァイオリンを弾くことで、僕を連れて行ける、もしくは連れて行きやすくなるという事だ。しかもこの男、どうやら床で伏しているジャスミンも連れて行こうという魂胆らしい。


 そこまで分かれば僕がとるべき行動は決まっていた。


 注射器を持つ手に力を入れ、ヘンリックの傍まで駆け込む。注射器の針を彼のどこかに刺せばいい。さして、少しでもピストンを押して中の麻痺毒を彼の体に注入できればいい。


 それだけを考えて、僕は一心不乱に彼の懐に駆け込んだ。


「何ヲ……」


 突然の僕の挙動に、ヘンリックも驚いているようだった。


 部屋はそれほど広くない。ヘンリックのその言葉が僕の耳に届いたときには、僕は彼の太ももに注射器の針を突き立てていた。


「痛ッ……!?」


 突き立てた瞬間、間髪入れずにピストンを思いっきり押し込む。中の液体が、ヘンリックの体に流れ込む。


「ッ……! 何をしタッ!!」


 痛みによろけるヘンリックの左手を鷲掴みにして、ヴァイオリンを引き剥がしながら答える。


「麻痺毒だ。全部注入したからな。あんたは三十分は身動き一つとれないはずだ。……安心しろ。手足が動かなくなる程度だ。別に、呼吸が苦しくなったりすることはない」


 バタリ、と音を立てて倒れるヘンリック。おそらく、もう毒が回り始めているだろう。倒れてしまった後の様子から、手足は痺れを感じ始めているはずだ。


「それで質問なんだが、ジャスミンをどうする気だった? お前の目的はなんだ?」


 ヘンリックの顔の横にしゃがみ込み、冷や汗を流す彼の顔を覗き込む。


「教えると思っているんですカ?」


「まあ、教えてくれないだろうなとは思ったよ。あんた、口が堅そうだからな。けれど、この後僕は警吏を呼ぶ。あんたを不審者として突き出す。そうなったらどちらにしろあんたはこのことに関して話さなくちゃいけない。早いか遅いかの違いだ」


「……残念ですけド、主人の命令で言えないのでネ。……ああ、別に命令されて口を噤んでいるわけではないですヨ。本当の意味で言えないのデス」


「どういうことだ?」


「それを言えたら苦労はしませんヨ。とりあえず、私は何も言いませんし何も言えませン。諦めてくださいナ」


 どうやら、ヘンリックは本当に何も言わないようだった。


 ぐっ、と口に蓋をして、息すら漏らすまいという勢いで黙り込んだ。


 これでは、何も聞き出せそうもないだろう。さっさと警吏を呼んで、彼を連れてってもらった方がいいかもしれない。


 そう思った僕は、しゃがんでいた状態から足を延ばして立ち上がる。


 ヘンリックには見向きもせずに背を向けると、警吏を呼ぶために部屋を出て行った。


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