11.赤い沼で、魔女は怯える
こんにちは、作者です。久々に前書きを書いております。とりあえず一つ注意点を。今回の話は少々グロテスクな描写になっておりますので、苦手な方はそっとタブを閉じるか、覚悟を決めてから読んでいただけると幸いです。
時は遡って一年前のことだ。
一人の少女、ミレイユは魔女になった。『鉱石の魔女』の名を母から引き継ぎ、それと同時に、彼女の家が営む、エーデルシュタイン鉱石店も継ぐことになった。
ミレイユが魔女になった日、彼女はせっせとあるものを作っていた。護石だ。悪除けの護石。悪意ある攻撃、行為、生物そのものを寄せ付けないようにするという強力な護石だ。
なぜミレイユがそんな強力な護石を作っていたか。
客に頼まれたからではない。今日は店は休みだ。客は来ない。
自分のためか。これは一番あり得ない。自分で作った護石は自分には使えないのだ。これは初代『鉱石の魔女』が定めたひとつの制約でもある。だから自分のために作るのはあり得ないのだ。
では誰のためか。
「お父さんとお母さん、喜んでくれるかな……?」
そう呟いてミレイユは頬を小さく緩めた。
ミレイユは悪除けの護石に使う赤い鉱石を二つ、三角形が描かれた魔法陣の上にコトン、と音を立てて置いた。この赤い鉱石、このためにミレイユが母の工房からくすねておいたものだ。
ミレイユは呪文を唱える。
「大地を輝かす精霊よ。この石に、悪除けの加護を与えたまえ」
現代語でそう言うと、魔法陣と赤い鉱石が白くが光りだす。
赤い鉱石の中に文字が浮かび上がる。古代文字だ。その文字が浮かびきると、魔法陣の光は徐々に消え、鉱石も元の状態に戻る。
「……できた」
ミレイユはそう呟くと二つの出来上がった護石を持って自分の部屋を飛び出す。
――両親は定休日は工房の中にいるはず。
少女はそう思い、工房へと向かう。
「お母さーん、お父さーん!」
少女は呼びかける。
しかしそれに応える声はなかった。
工房に両親がいないとき、大体は店の方に出ている。それを知っていたミレイユは工房を後にして店の方に向かう。
店の扉を開けて中を覗き込む。
「お母さーん、お父さーん?」
先と同じように呼びかけてみる、が返事はない。
どうやら二人とも出掛けているようだ。ミレイユは小さくため息をつき、諦めて店の扉にその手をかけた。
――カチャン。
音がした。
金属が硬いものと触れ合うような、そんな音だ。
両親だと思い振り返る。
「お母さん、お父さん?」
しかし呼びかける声に反応はなかった。
それと同時に一つのものが目に入った。
一つの人影。
身長が高く、黒っぽい衣服を纏っている。男のようだった。
その男が、少女のほうを向いてその口角を不気味に吊り上げる。男の足元には、赤黒い液体が何かから滝のように流れ出ていた。
反射的にそれが何なのか、ミレイユは分かった。
「おかあ……さん?」
無意識のうちに声が出る。声が出てしまったことに気づき、ミレイユは慌てて口元を抑える。
男の歪んだ顔に足がすくみ、ミレイユは床にペタンと座り込んだ。ブルブルと体を震わせる。
男が少しずつミレイユに近づいていく。
「君が『鉱石の魔女』カ?」
歩きながら男は静かに口を開く。
「……!?」
「そうカ……」
そう言いながら男はコツ、コツ、と音を立てながらジリジリと追い詰めるようにミレイユとの距離を詰めていく。
「こっ、来ないで!」
「……」
逃げようにも少女は腰が抜けてしまい、立ち上がることが出来ない。
少女が立ち上がろうとしている間にも男は近づいてくる。
「……!」
男は少女の目の前に立つと、小さく口を開き、
「君は良質な器ダ。しかし人間には感情があル。もちろんおまえにモ。その感情は、邪魔なのダ。必要なのはその器だケ」
そう言って男は小ぶりの鉈を振り上げた。
ミレイユは恐怖した。目の前の状況に。男が振り上げた鉈が振り下ろされれば自分が死んでしまうのは明白だ。
きっと痛いのだろう、苦しいのだろう、そう思うと余計に少女は恐怖に怯えた。
「いや……いや……死にたくない……」
少女が自分の無意識の発言に気づいたのは鉈が振り下ろされる直前だった。
少女は静かに目を閉じ、鉈が振り下ろされるのを待った。
――。
――――。
――――――え?
いつまでたっても鉈が振り下ろされることはなかった。
少女は少しずつその堅く閉ざしていた目を開いた。
目の前に男の姿はなかった。
床には血にまみれた鉈が一振りだけ。
それに加えて、床は血の海と化している。天井も同様に赤く染め上げられ、ポタリ、ポタリと赤い雫がしたたり落ちていた。
少女はこの状況を理解できなかった。誰がどう見ても自分が死ぬはずだった状況で、自分がまだ生きている。いや、自分しかいない、この状況が分からなかった。
そのわけの分からない状況を理解しようと、ミレイユは自然とその目を首と一緒に動かしていた。
真っ赤な天井、真っ赤な商品棚、真っ赤な床。
上から順番にその状況を観察する。
最後に目に入ったのは真っ赤に染め上げられた自分の衣服。
「何……これ……」
――ふと自分の正面の壁に掛けられた鏡と目が合った。
赤いのだ。床や天井だけではない。自分自身が赤い。それを視覚として認識した瞬間、自分の身体中にべったりとまとわりつくような感覚をミレイユは感じた。
赤い。赤い赤い。赤い赤い赤い。赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い。ーー赤い。
まるで世界がその色に支配されているのでは、という感覚に陥るようだった。
「ミレイユ・エーデルシュタイン」
赤色に塗りつぶされて混乱している頭にその声が鮮明に響く。
「誰!?」
「君の目の前にいた者、と言えば分かってもらえるかナ」
「どういう……こと?」
「自分でやっておいて気付いていないのカ」
男を名乗るその声は、そう言って一つため息をついた。
「君が殺したんだヨ」
「わた……しが……?」
「そう、君ガ」
訳が分からないまま、ミレイユはその声とやりとりをする。
「どうやって……」
「その護石ダ。誰からもらったものか知らないが、やってくれたものダ。危うく魂までもが消されるところだっタ」
そう聞いて護石を握っていた手を開いてみる。
確かに二つの護石はきれいに砕けていた。
「でも、これは……」
自分で作ったものだから発動するはずがない、そう言おうとしたが、それを男が遮った。
「とりあえず、君は以前の君ではなイ。不完全ではあるが器の蓋は開いタ。器を完全に空にするところまでは至らなかったが、まあ時間の問題だろウ。君がこちら側に来てくれるのを楽しみにしているヨ。ミレイユ・エーデルシュタイン」
「何の……こと?」
少女はそう尋ねたが、それに応える声はなく、血が滴る音だけが室内に居座り続けるだけだった。