103.考え方
ハンメルンの町は農村、商店街、観光地がこの小さな町に綺麗に揃っていた。町の中央には恋人同士が愛を誓えば結ばれる的な噴水があるし、商店街は今は閑散としているが、その規模からかなり栄えていたんだろうと思う。農村もハンメルンの町を取り囲むように存在していて、それが一挙に町の中心に運ばれるような形になっていた。
というのは僕が事前に仕入れていた情報だ。正直、ここまで枯れ果てた町になっているなど微塵も思っていなかったが。
こんな話を農村に向かう道中でしていると、「なんでそんなに知ってるの。ちょっと気持ち悪い」とジャスミンに言われてしまった。
それを言われて気がついたのだが、旅に出るという事で僕自身も浮かれていたようだった。
まさか自分がそんな感情を抱いているとは思わなかったが、そう自覚してしまったからにはそうなのだろう。
自分でも自分が気持ち悪い。
「本当にこんなにもらっていいんですか?」
両手に大きめの瓶を抱えたジャスミンが、顔にシミとしわのついた男に向かって、驚きを混ぜた表情で尋ねる。
「いいんだよ。俺だって自分が作った野菜を誰かが食べてくれるだけで嬉しいんだ。沢山持って行っておくれや」
ところどころ歯が抜け落ちているその口をニカリと笑わせて男が答える。
「それじゃあ、ありがたく頂こうか」
僕も自分の両手に抱えられた瓶に目を落とす。中には色とりどりの野菜が少し黄色がかった液体にその身を漬けている。
瓶にぎっしりと詰まった漬物はその鮮やかさから食欲を掻き立てるようだった。このまま農村としてやっていけるんじゃないかとさえ思う。
「お前、本当にこの町に残るのかい?」
「おうよ。俺は生まれてから死ぬまでこの町で生きるって決めてたからな。今はこんな町になっちまってるが、それでもここは俺の生まれ育ったハンメルンだ。今更捨てて出て行くわけにゃいかねぇさ」
ブレンが尋ねると、男はそう答えた。
「ブレンは出て行くんだったな? いつ出るんだ?」
「明日出るつもりだったが、やめるよ、俺もこの町に残る。お前の作る漬物が食えなくなるのはちと寂しいからな」
そんな会話を横目に見る僕の背中を、ジャスミンが指先でつつく。
「なんだ?」
「さっきの話なんだけど」
そういえば、話があるみたいなことを言っていたな、などと思い出す。まあ、何の話かあらかた予想はついているが。
「無関係だと思う?」
「何がだ」
「この町の誘拐事件と、ウィケヴントの毒事件」
「そんなこと、僕が知るかよ」
別に冗談で言った事じゃない。本当のことだ。第一この件に関して僕は関与しないつもりだ。探偵ごっこなら他所でやってほしい。
あえて一言答えるなら、限りなく無関係に近い、と思う。
ジャスミンは少し考えすぎ、気負いすぎだ。ウィケヴントの毒事件のことばかり考えてしまって、目先のことが全て繋がっているように思えているだけだ。
「どうにも、関係があるように思えて仕方がないのよね……」
「それはさすがに妄想だ。そもそも、二十年も前の事件が一年前の事件と関係があるわけがないだろう」
「でも、あの本にはそういう話あったわよ? 二十年越しの恨みを晴らすー、みたいな」
ジャスミンが言っているのは僕が貸した、マイクロフト・ワーカーという人物が書いた推理小説のことだろう。たしかに、あの小説にはそんな話も載っていたが。
「それは小説の話、物語の世界だろう。現実じゃないからあり得る話だ」
「でも、事実は小説より奇なり、って言うじゃない?」
「お前の人生でそんな珍しいことが起きたことがあるか?」
「……ないけど」
「つまりそういうことだ」
そう言ってはみたものの、ジャスミンはどうにも納得がいかないようだった。「絶対関係があると思うんだけど……」とぼそぼそと呟くばかりだ。
「さて、そろそろお暇するか」
ブレンが振り返り、こちらに視線を向ける。
それに応えるように僕は頷いた。
「お嬢さん、それ重たいでしょう。持ちますよ」
ブレンがジャスミンに歩み寄り、その重たそうに持っている瓶を受け取る。
「ありがとうございます」
「いいってことですよ。私にとっては、あなたたちは客ですからね」
笑みを浮かべるブレンを見て何か思うことがあったのか、ジャスミンが口を開いた。
「私も、あなたのお客さんになれてよかったです」
笑ってそう言った。
「それじゃあ、また来るよ」
ブレンが後ろにいる男にそう声をかける。それに反応するように男は茶色い畑の中でブンブンと両手を目いっぱい振っていた。
僕の中で、この町は勝手に死んだことになっていたが、これは考えを改めざるを得ない。
――生きているのだ。
確かに、街としての機能は失われているが、それでもこの町では未だこうして笑顔でいられる人がいる。
それだけで生きていると言えるではないか。
この町に立ち寄って良かったと心底思う。
普段見ない景色、空気、人柄。それらをひっくるめて体験できたのがこのハンメルンなのだ。
これが旅の醍醐味というヤツだろう。
「……エル、なんで笑ってるの? ちょっと珍しいわね」
そう言われて気がついた。
少しだけ、口角が上がっていたらしい。
「ああ、まあ。そういう日もある」
そう言ってはぐらかした。
きっとこれは知識を得たことへの喜びなのだろう。こんな体験、ネーヴェにいては絶対にできない。
人生経験としてこの町で見たものは積み重ねられるだろう。
例のネズミ退治をした楽士に関してはこの町の汚い部分が出てしまってはいるが、それでも、今日見たものは少なからず美しいと感じた。
人と人との繋がり。もしかしたらハンメルンは町としてではなく、村としてあった方が良かったんじゃないかとさえ思えてきた。
そんならしくないことを考えている自分に少し驚いたが、新鮮なものが人の考え方を変えることもあるのだろう。
「エル、さっきからニヤニヤしてほんとに気持ち悪い」
ジャスミンのその声は、まるで横から蹴り飛ばすように僕の思考を遮ったのだった。