101.真実に近い何か~1~
朝の喫茶店は昼間の喫茶店とは違って、人が少ないこともあってか少しだけ涼しく感じた。
「ホットコーヒーを一つ」
そんな注文をジークハルトはマスターに伝えると、マスターはその強面に花を咲かせたようににこやかに笑った。
最近、よくこの喫茶店に訪れる。常連が増えて嬉しいのだろう。
そしてもう一人、ここの喫茶店の常連になった者がいる。
「やあジーク、有益な情報は掴めたか?」
そう言って、マイクロフト・ワーカーは喫茶店の扉の鈴を軽やかに鳴らして入ってくる。
「マイクの方はどうなんだ? 何か掴めたのか?」
「それはもう、ものすごい情報を持ってきたよ」
自信満々にマイクロフトは答える。
その笑顔から察するに、よっぽど良い情報を手に入れたのだろう。早く話したくてうずうずしているようだった。
「さて、それじゃあお互いに情報を開示しようじゃないか。まずは君からだよ、ジーク」
席に着きながらマイクロフトが言うと、いつ頼んだのかも知らないホットコーヒーがジークハルトの目の前だけでなく、マイクロフトの前にも置かれた。
上を見上げると強面マスターが片目を閉じてウインクをしていた。
マイクロフトは有名人だ。顔を覚えられていても不思議ではないだろう。
「それじゃあ、僕が集めた情報を開示しよう。とは言っても大した情報ではないが」
ジークハルトがそう切り出すと、マイクロフトは身を乗り出してこう言った。
「さあ、君の面白い話を、私にどんどん聞かせてくれ」
§
「なるほど、君はウィケヴントの毒事件について嗅ぎまわっていたのか」
空になったコーヒーカップに目を落としながらマイクロフトは呟いた。
「ウィケヴントの毒事件とトカリナ誘拐事件は無関係ではない、毒は殺すことが目的ではなかった、謎の危険人物、アンネの灯火……君が得た情報はこんなところか」
「ああ」
全てヴァイヤー診療所での収穫だ。一週間でたったのこれだけしか集まらなかったとも言い換えられるだろう。
真実かもしれない何かには近づいているかもしれないが、見えてきたとはとてもではないが言いきれない。
しかも、ウィケヴントの毒事件とトカリナ誘拐事件が無関係ではないというのは事実でも何でもない、ただのジークハルトの憶測だ。
これがもし無関係であれば捜査は行き詰まることとなる。
「それで、マイクロフトはどういう情報を集めてきたんだ? 随分と有用な情報を集めてきたようだが」
ジークハルトが尋ねるとマイクロフトが先ほどよりも真剣な表情を顔に浮かべ、ゆっくりと口を開いた。
「……これは、私の近所に住むラスネッタという女性から聞いた話だ」
「何を聞いたんだ?」
「二十年前、ウィケヴントの毒事件が起きる少し前に、空を飛ぶ黒い影を見たようだ。まるでカラスのような黒い影を」
普通に聞けば、だから何だと言われてもおかしくない言葉だったが、今この状況で、マイクロフトの言葉は特別な意味を持っている。
「黒い、影?」
「またある人は空飛ぶ宝石を見たという。紫水晶の大きな宝石だったそうだ。別の人は本が空を飛んでいたと言った。ごく普通の形をしているのだが、これもやはり大きな本だったらしい」
「……どういうことだ、何が言いたい」
ジークハルトの問いにマイクロフトは答えることなく続ける。
「林檎が飛んでいると言っていた者もいたな。その話を知人にしたそうだが、林檎が飛ぶわけないだろうと、信じてもらえなかったそうだ。まだまだあるぞ……箪笥、時計、剣、猫、馬、馬車、槍、家、犬……数えだしたら限がないが、ウィケヴントの毒事件が起きる前に、空飛ぶそれらを見たという人がたくさんいたんだ」
「それは全て事実か?」
「仮にもし、ジークが空を見上げた時にテーブルが空を飛んでいる光景を見たとしたら、それを忘れられるか?」
そう例えられ、頭の中でその光景を思い浮かべる。
青い空に白い雲。その中に混ざってテーブルが飛んでいる……明らかに異質だ。そんな光景、見てしまえばこの目に焼き付いて離れはしないだろう。
「ではマイク、お前はその事実を繋ぎ合わせて、どんな“真実かもしれない何か”を導き出したんだ?」
ジークハルトの質問に、マイクロフトは口角を吊り上げ、笑って答えた。
「ウィケヴントの毒事件の犯人は“魔女”だ。この事件は、“魔女”が“魔女”の国を襲った事件なんだよ」