10.暗い穿孔で、魔女は考える~2~
牢屋の中は薄暗く、ジメジメしていた。ベッドや簡易的な便所など、設備自体は備わっていたのでそこは良かったと思う。
「四日後に裁判を執り行うとのことだ。それまでそこでおとなしくしていろ」
私とミレイユを牢に放り込んだ兵士が言う。
裁判まで四日。ということは脱出が可能なのはあと四日だけということになる。
地下牢という時点でかなり絶望的だが……おそらく『傀儡の魔女』アルルなら何か考えついているのかもしれない。
ところでその肝心のアルルが見当たらない。探すつもりであたりを見渡してみる。
全体的に薄暗く、少し先までしか視認することができない。蝋燭は立っているがかなり間隔が広く、必要最低限しか蝋燭を灯していない、といった感じだ。
地面と壁はすべて土でできていて、牢屋の柵はごく一般的な鉄でできている。いかにもなデザインの地下牢である。
隣の牢には私と一緒に牢に放り込まれたミレイユ、周辺の牢には人気がないように感じる。遠くのほうで唸り声や怒鳴り声が聞こえるのが普通に怖い。
アルルがいないとなるとそれはそれで困る。いや、無事に逃げてくれているのなら捕まっていないのは喜ぶべきことなのだが。
ため息をつきながら正面を向く。
何かが、視界に入る。
赤い目の何かがこちらをじっと見つめてくる。その目が少しだけ閉じる。そしてまた大きく開く。何かの魔物だろうか。地下牢には変わった生き物もいるんだな、なんてことを考える。
「お前……もしかしてコレットか?」
「え?」
確かに声がした。私の名前を呼ぶ、聞き覚えのある声が。
「アルルさんですか? どこにいるんですか?」
「ここだ、ここ」
「ここってどこなんですか。こんな時にふざけないでください」
声はするのだが肝心の居場所が分からない。それに声がしたところで牢獄内で反響して正確な位置がつかめないのだ。
「正面を見ろ、正面を」
言われた通り正面に目を向ける。しかしそこにあるのは二つの赤い点だけだ。
「嘘言ってないで早く教えてくださいよ。どこにいるんです」
そう言ってあたりを見回す。しかし見つからない。
「ああもう。何度も言わせるな。お前の、目の前にいる」
少しずつ視界が暗闇に慣れ始めたころ、その赤い目がついに姿を現す。その赤い目の周りに現れた色白の輪郭。
「えっと、アルルさん……だったんですね」
「私を何だと思っていたんだ」
魔物かと。
「それにしても、アルルさんの瞳ってそんな色でしたっけ? もうちょっと紫っぽい色じゃありませんでした?」
ふと疑問に思いそんなことを聞く。確か彼女の瞳はこんな色ではなかった。前に会ったときはくすんだ紫色をしていたはずだ。
「ああ、この目か。私にもわからん。ある日を境に突然瞳の色が変わった。痛みもなければ視力が落ちたわけでもないから大したことではないと思うが」
「既知の病気なら治す手立てはありますけど……瞳が変色する病気、ですか」
少し考える。私が覚えている限りそんな病気は見たこともないし聞いたこともない。
「それにしても久しいな。前に会ったのは確か……ええっと……」
アルルの声が思考を遮る。
「三年前ですね。私が魔女になったときお祝いに来てくれたじゃないですか」
「たしかそうだったな。うん。そんな気がする」
この反応は覚えていない。忘れていたけど言われて思い出したやつだ。いや、本当に思い出したかすらも怪しい反応だ。
「ところでそちらのかわいらしい金髪の女の子はどこのどちら様かな?」
そう言ってアルルは目線を私の左側に向ける。
「は、初めまして。『鉱石の魔女』のミレイユ・エーデルシュタインです。えっと、よ、よろしくお願いします?」
ミレイユの声が少し上ずっている。
「アルルさん。年下を怖がらせちゃだめですよ」
「そんなつもりはないのだが……」
アルルの目は切れ長で若干の怖さを持ってる。私も初めて見た時は怖がったものだ。
「それにしてもそうか。今は君が『鉱石の魔女』ということなのだな。エーデルシュタイン夫妻は今、どうしている? ここ数年連絡を取っていなかったのだが……」
「……した」
ぼそりとミレイユが呟く。そのか細い声は牢屋の中であるというのに全く響かず、まるで冷めた鉄のように冷たい声だった。
「すまない、聞き取れなかった」
そんな声がアルルも私同様上手く聞き取れなかったのだろう。少しだけ身を乗り出して尋ね返す。
「死にました。強盗に殺されて」
「え」
衝撃の事実を告げられた。私はあっけにとられて何も言うことができないままでいた。
一瞬の沈黙。
「そうだったか。それはすまないことを聞いた」
静寂に耐えかねたアルルが申し訳なさそうに口を開いた。
「いえ、大丈夫です。もう一年前のことですから」
こういう時、なんと言葉をかければいいのだろう。
大変だね、辛かったね、などということは簡単だ。しかしそれを口にしたとき、人は、本当にそう思っているのか。
そもそもの話、他人がどれほど傷つき、辛い思いをしたかなど、本人以外には分からないのだ。反応に困ったからとりあえずこう言っておこう、とかいう無責任なことはしたくないのだ。
だからこそ分からない。
こういう時、どう声をかけるのが正しいのか。
「そういえばお前たちはどうする?」
ぼんやりと思案する私の思考を遮るようにアルルが尋ねてくる。
「どうって……」
「逃げるのか、逃げないのか」
そのことか。もちろん逃げる。こんなところで死んではいられない。ミレイユとの約束のこともある。
「もちろん逃げますけど……」
「肝心の脱出方法が分からないんです」
ミレイユが付け加える。
「なるほど。確かにここは地下だし、脱出するには上に上がらなきゃいけない。それにまずこの牢屋を出る必要もある。ふむ、そうか」
「それでアルルさんの知恵をお借りしようかと」
「君たちが逃げたいのであれば私は協力しよう。私自身は正直逃げなくてもいいが」
「逃げないんですか?」
ミレイユが疑問を浮かべる。
「ああ。もうずいぶんと生きたからな」
ずいぶんと生きた、なんて言っているが、まだこの人は三十代だ。
「どうしても一緒に逃げてほしい、というのなら共に逃げるが」
「……逃げましょう。みんなで」
「君がそう言うなら私も逃げよう。脱出するにしてもまずはこの地下を知る必要がある」
そう言ってアルルは左手を地面につけた。
「地面の土はかなり良質だな。これならいいものが作れそうだ」
「何をするんですか? アルルさん」
ミレイユが質問する。そういえばミレイユは人が魔術を使うところをほとんど見たことがないと言っていた。
それもそうかもしれない。そもそもこの国に今現在魔女は私を含めて五人しかいないらしいのだ。
「見てれば分かるよ、ミレイユちゃん」
私は、アルルの使う魔術を見たことがある。彼女はもともと人形師なのだ。だとすれば何をしようとしているのかは明白だ。
アルルのはめる手袋。その手袋に描かれている魔法陣が淡い紫色の光を放つ。それに呼応するように少しずつ地面が盛り上がる。
そして、その土はあるものの形を形成した。
「これって……蜘蛛ですか?」
ミレイユがキラキラと目を輝かせる。
「そうだ。人形を作る技術の応用みたいなものだ。大したことはない」
「すごい! こんな魔術初めて見ました。コレットさんといいアルルさんといい、お二人ともすごい魔女なのですね!」
さらにミレイユが目を輝かせる。
「私なんてまだまだだ。世界中を探せば私程度の魔女なんてそこら中にいる。君にはもっと広い世界を見てほしい。そのためにも君を無事に逃がしてやらなくてはな」
アルルはやさしくそう答える。
「とりあえずこの蜘蛛にこの地下牢獄を見てきてもらう。もしかしたら脱出の手がかりがあるかもしれない」
そう言ってアルルは蜘蛛を牢屋の隙間から外に出す。
「この地下牢獄を見てきてくれないか?」
アルルがそう言うと蜘蛛はどこかへ走り去っていった。
「どれくらいで戻ってくるんです?」
私は疑問に思いアルルに尋ねた。
「一日あれば戻ってくるはずだ。念のためもう一匹放っておくか」
そう言ってまた蜘蛛を作り出す。
「そういえば逃げた後のことは考えているのか?」
蜘蛛を放しながらアルルが言う。
「とりあえず南の大森林に向かおうと思います。あそこには祖母の家がありますし、それに普通はあそこに入ることはできません。ある詠唱が必要なのは知ってますよね? 私とアルルさんだけが知ってる。ですからまず、安全は確保できると思います」
静かにアルルがうなずく。
「ほかに身の安全を確保できる場所と言ったら……北のネーヴェ王国くらいだろうか。あそこは魔術大国だからな。魔女だと告げれば保護ぐらいはしてくれるだろう」
ネーヴェ王国というのはこの国の北側に接している比較的小さな国だ。なんでも、国を治めている女王自身が魔女だとか魔女じゃないとか。
「でもここから出て直接ネーヴェ王国に行くには少し遠い気がします。大森林に向かうべきかと……」
そう言いながらミレイユはアルルに目線を向ける。
「確かにその通りだ。ではとりあえず、ここを出たら大森林に向かうということでいいか?」
全員が静かにうなずく。
「よし、決まりだな。じゃあ後は蜘蛛の帰りを待つだけだ。それまで各自しっかり休むこと。いいな?」
まるで先生のようだ。そういえばアルルには何人か教え子の魔女見習いがいたと聞いたことがあるが、どうしたのだろう。
「そういえばアルルさん、教え子さんがいませんでしたっけ?」
「ああ。だが、魔女狩りの知らせが来てから直ぐに国外へ逃がした。新しい芽を摘ませるわけにはいかんだろう?」
そうだったのか。やはり私も早めに逃げるべきだっただろうか。
「いいから今日は休め。解散だ、解散。もうすぐ見回りが来るからな」
そう言ってアルルは牢屋の奥に引っ込んでいった。
「それじゃあ私も失礼しますね」
ミレイユも牢屋の闇の中へと吸い込まれるように消えていった。
私もそろそろ休もう。幸いベッドがあるわけだから、休養はしっかりとれる。
そう思い、ベッドに横たわる。地下牢獄がジメジメしているせいか、布団が湿っていて寝心地は悪い。しかし疲れていたこともあり、すぐに瞼が落ちてくる。
そして意識は闇の中へと溶け込んでいった。