1.プロローグ:誕生日
深い森の中に、一軒の家が佇んでいる。深緑に囲まれ、木漏れ日に照らされるその家の中で――。
少女は読んでいた本をパタンと閉じた。
「ねぇ、おばあちゃん。おばあちゃんは悪い人?」
白髪の少女はふとそう思い部屋の隅で裁縫をしている一人の老婆に聞いた。
「どうしてそんなことを聞くんだい?」
老婆は手を止めて眼鏡を持ち上げると、真っ直ぐな眼差しを向けてくる少女にその視線を返す。
「だって、この絵本の魔女は悪い人だったよ? ほら、この絵本にも。だったら魔女のおばあちゃんは悪い人?」
そう言いながら、少女は床に広げられた何冊もの絵本を指さしながら尋ねる。開かれている絵本の頁にはそれはそれは不気味な顔立ちの老婆だったり、いかにも悪事を働いていそうなドレス姿の女性だったり、いろいろだ。
「コレット。あんたも将来魔女になるんだからそろそろ教えなきゃならないねぇ」
「私が魔女に?」
「そうさ。だから教えておかなくちゃならない。魔女はね、人を助けるのが仕事なんだ」
少女は不思議そうな顔をする。九歳の少女には難しかっただろうか。
「人を助ける?」
「ああ」
老婆が小さく頷く。
「今のコレットのまま十五歳になったら、きっと優しい魔女になれるよ」
「おばあちゃんみたいな?」
「そうだねぇ。おばあちゃんみたいに他人のことを思えるような魔女になってくれたらおばあちゃんは嬉しいよ」
すると少女は安堵の表情を浮かべながら、しかしどこか不安そうな声で老婆に聞いた。
「私でもおばあちゃんみたいな魔女になれる?」
「もちろんなれるとも。そんなに不安に思わなくても大丈夫。今日はもう遅いから……おやすみ」
老婆は立ち上がると、首を力なく右へ左へ傾げ始めている少女の元へ歩み寄った。肩と膝の裏に手を回して抱き上げる。
「おやすみ、おばあちゃん。私、すごい魔女になるために……頑張る、ね……」
その言葉を最後に、少女は老婆の腕の中で深い眠りについた。燭台の炎が揺らめく薄暗い室内で、少女の微かな寝息だけが静かに響く。
「愛しているよ。コレット。私の可愛い孫よ」
老婆は少女の顔を見て微笑む。そのまま窓際のベッドに移動して少女をベッドの上に横たえる。布団を優しく包むように掛けると、老婆は先ほどまで裁縫をしていた机まで移動し、よっこいしょと言いながら椅子に腰かけた。
§
しばらくすると、老婆は裁縫をするしわだらけの手を止めた。
出来上がったそれを自分の目の前に持ち上げてピンと伸ばす。そして裏返したり袖から中を確認したり。
「我ながらいい出来じゃないか」
完成したのは、黒い、ローブ。
「あとは帽子だねぇ」
老婆は立ち上がり、その黒いローブを持ったまま部屋を出て行った。
§
朝方、まだ外が暗いころ、少女のベッドに近づく一つの影。
少女が熟睡しているのを確認し、そっと枕元にきれいに包装された箱を置く。
「十歳の誕生日おめでとう。コレット」
影はそう呟いて去っていく。
数時間後、少女は目を覚ます。
「おばあちゃん! 見てこれ!」
嬉々とした表情で少女は老婆が料理をしている台所へ向かう。
「今朝ね、目が覚めたらね、枕元にこれが置いてあったの! これを用意してくれたの、もしかしておばあちゃん?」
少し困った表情で老婆は答える。
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないよ」
「開けていい?」
まるで聞いちゃいない。自由奔放ゆえか、はたまたこの少女がガサツなのか、綺麗な包装紙をびりびりと破り始める。
非常に雑な開け方だ。老婆が少し悲しそうな顔をしている。
包装を破り箱から中身を取り出すと、少女の嬉々とした表情がさらに輝き始める。
「かわいい!」
少女の手には黒いローブと黒い帽子。
「着てみていい?」
聞くや否や袖に腕を通し始める。
随分とせっかちな少女だ。
ローブを着終わった少女は最後に自分の頭に帽子を乗せて、鏡の前まで駆け寄る。
全体的にダボっとしている。少女には少し大きいように見える。
だが鏡に写った自分の姿を見て、満足げな表情を浮かべた。
「おばあちゃんありがとう! 大切にするね!」
振り返り、満面の笑みで少女は言った。
老婆は自分で作ったことを隠すのを諦めたのか、
「そう言ってもらえておばあちゃんもうれしいよ。頑張って作った甲斐があったってもんだ」
「わたし、明日からこの格好で魔術の勉強をする!」
少女はそう意気込み老婆に尋ねた。
「ねえ、おばあちゃん。今日は何の魔術を教えてくれるの?」
そうして少女は学んでいく。
それから五年、少女は魔女になる。