贈物①
最近の日課はノエルと朝食と夕食を共にする事だ。
当直がある日は別々だが、極力同時に摂るようにしている。今だって、目の前で朝餉を共にしているのだ。
まだ早い時間、というか夜といっても差し支えのない時間。窓から入ってくる光源は月明かりくらいで、室内もテーブルの上にある燭台に火を灯しているだけなのに、彼のクリーム色の髪はなぜかはっきりと見えた。
わたしの髪色は茶色だから、きっと薄暗い色に埋没して普段より黒っぽく見えているんだろうな。
「食欲がないのか?」
ぼんやりしていると、ノエルが手に持った紅茶を置いて、聞いてきた。
いつもより二刻も早いからお腹がまだ寝ている。本調子じゃない。
でも、いつも通りでも、目の前のノエルほどは食べられまい。
なぜ、朝っぱらからスープ、前菜のサラダ、主菜である肉料理、パンのフルコースが入るのか。
わたしは普段だって、パンとコーヒーか紅茶だけで、たまにビスコッティをパン代わりにして終了させるくらいなのに。
運動量の違いだろうか?
ノエルの質問に、手に持っていたパンを置いて答えた。
「ちょっと、まだ胃腸が起きてないの」
「無理して、来なくてもいい」
「でも、明日にはフレア様、帰られるんでしょう? 話す機会なんて、もうなくなるじゃない」
「来るな」
ノエルはむすっとした表情で言葉を重ねてきた。
その表情は初めて会った頃に比べてとても豊かになったと思う。そのことに笑みがこぼれた。
でも、これは譲れない。
「行くよ。これはノエルに指図されることじゃないからね。友達の見送りくらい誰に憚ることもないんだから」
「友達って姫様は、マリオン、君に」
「承知の上で言っているの」
言葉に被せるようにして言った。
ノエルは尚も何か言いたそうにしていたが、諦めたように溜息をついた。
「会う時は声をかけてくれ。心配なんだ」
「もう最近そればっかり。わたしは子どもじゃないって、もう何度言わせる……」
ノエルの方を見て、ぴたりと言葉を止める。
「なんて顔してるの」
苦虫を噛み潰したような表情。それはフレア様の話題を出す時は大抵そうなるから、物珍しくはない。
だが、今日はわずかな苛立ちと苦悩も綯い交ぜにしたような複雑な表情をしていた。
「君も何度言わせたら気が済むんだ。私は君が子どもっぽいから心配しているわけではない。マリオンだから、心配しているんだ」
そこまで言うと、ノエルは白い肌をほんのり朱色に色付けて、目を合わせてくれなくなった。
恋する乙女の如き可憐さだ。
少しがたいが良いが、容姿が中性的だから違和感はない。
男によく間違えられるわたしと、どちらの方が女の子っぽいんだろう……。考えると虚しくなりそうだから、やめておこう。
それにしても今の言葉の意味はなんだろうか。
わたしがそこらの子どもよりもそそっかしいと言いたいのか。
それとも、友人という近しい仲だから、危険人物と思わしき人に会わせるのが嫌なのか。
それとも、保護欲と友情以外の感情があるのか。
できればわたしと同じ気持ちが少しでもあれば良いと思う。
期待はできないが……。
想いが通じあった婚約者なら、一つ屋根の下で暮らしていて、全く清い関係のままなのはないだろう。と言うか、口付けひとつしたことがない。
手を繋いだのも、ずっと前に行ったデートだけだ。
これは女として見られてないと判断せざるをえない。
ただ、そう感じ取るたび虚しくなるのも常で、……、どうしたら気持ちを向けさせることができるのか、それが目下の悩みである。
無言のままご飯を食べ終えて、共に王城に向かった。
「園長、頼んでたものできてます?」
「ほらよ。エブリーに頑張ってもらった。礼を言っておけよ」
薄紫に透ける小瓶を握りしめて、こくりと頷いた。
これを頼んだ時に、エブリーに話が行くことは想定済みだ。
振ってしまったのに、手伝ってくれたのだろう彼には頭が上がらない。
「すぐに行きます。それと、式典って明日の何時に始まりますか?」
正城門の方向では式典の用意が急ピッチで進められていた。ノエルも今夜ばかりは泊まり込みだそうだ。
「それくらい婚約者に確認しとけ」
「すっかり抜けてました」
「普段の始業時刻の半刻後からだ。昼にパレードの中、出立される」
ということは、朝は忙しいだろうが、今晩なら時間は空いているだろう。
どうせノエルも泊まりなのだから、終業後に声をかけに行けばいいか。
大体の配置場所は聞いているから、問題はない。
それまでは薬草園に顔を出そう。ついでに、エブリーにもお礼を言わないと。
植物園を出て薬草園の方に向かった。
そういえば、最近はほとんど残業なしで過ごせているし、なんなら休みが増えている。
フレア様のところに行っている間に、エブリーひとりで大体のことは出来るようになったみたいだ。
子どもは巣立つというけど、それにしても早過ぎる。基本動作とはいえ、半年経たずで一人前になるとは、物覚えが良すぎる。わたしの時はもっとこう……、ゆっくりだったのに。断じて物覚えが悪かったわけじゃないはずだ。
つらつら考えていたら、目的地に着いた。
まだエブリーは来ていない。
「それもそうか」
まだ日の出直後だ。
上司殿がいたことの方がおかしい。彼はいつか過労死するのではないか?
いつも通り草を抜き、害虫を追い払う。草木に水をやっていると、土を踏む音がした。
「おはよう」
エブリーの方を見ずに声をかけた。
サクサクと足音が近付いてきて、湿った土に陰ができた。
「おはようございます。お早いですね」
「セルジオさん!」
とんだ人違いだ。恥ずかしい。
それにしても、セルジオさんとは久しぶりだ。あの日、フレア様と話した夜以降、一回も会っていない。
「お久しぶりです。明日、帰国されるそうですね」
「ええ、成人しましたから」
なんで、成人と帰国に関係あるのだろう。
それに、成人って、誰の成人?
「ああ、説明を省きすぎました。マーフィー様から、伺っているものだと思っておりました」
ノエルから入手できたフレア様関連の情報なんて、式典のことくらいだ。
しかも、本人が式典中の王太子様の警護を任されている関係上、夜勤があるために伝えられただけ。
きっと、そうでなかったら式典が始まってから、知ることになっただろう。
「まず、この国に滞在することになった大元の理由は私にあるのです」
「え?」
なんでお忍び旅行の理由が、従者?
意味がわからない。
「マリオン嬢にはお話ししましたよね、私が隣国の先代の王の庶子であったことは。隣国では成人後に身分が確定するのですが、私の場合、母親の身分が宮奴だったので、制度に則るならば下される身分は奴隷となります」
奴隷……。この国では、もう数代前の国王の時代に廃止されている制度だ。しかも、王族の血を引く奴隷なんて訳が分からない。
疎かに扱えば、青い血に祟られそうな気がする。
「いくらなんでも、それはあんまりではないですか?」
「ええ、そういう声が隣国でも殆どです。なので、平民の位を渡され市井に放逐されるのが、普通だと思います」
それも、やっぱり納得しかねる。いや、でも、他国には落胤とか言って市井にいる王族も居ると聞くからありなのだろうか?
いや、それよりも……。
「普通と言いますと、その例に漏れていらっしゃるのですか?」
「私の瞳の色は王家の誰よりも王族らしいそうで、下手に放逐して担ぎ上げられたらことだとお思いになられたのでしょう」
「誰が?」
「それを聞きますか?」
くすりと笑みを浮かべる表情はとても透き通って見えた。存在が揺らいでいるかのように、儚い笑みだ。
本当に兄弟に疎まれていたのか。
わたしの家は弱小貴族だったから、権力争いなどなかったし、家族仲はすこぶるよかった。だから、理解はできても、実感には乏しい。
「まあ、歳を取るに従い、実際に担ぎ上げようとするものや能力自体を利用しようとする人が増えました。危機感を持ったかの方はわたしを暗殺しようとするようになったのです」
「あんさつ……」
現実世界で暗殺なんて聞くとは思わなかった。
いや、フレア様や王弟殿下も毒殺などの危険性について仰っていたし、もしかして王族ではそれが普通なのか?
それとも、隣国が特別ドロドロしているだけ?
だめだ、王家の姫が降嫁したこともないような弱小貴族では理解不能だ。
しかも、そんな事を、何でもないことのようにさらっと言ってくるとか、怖すぎる。
「フレア様は、かの方からわたしを守るために行動して下さいました。この国にお忍び旅行に来たのもその一環です」
なるほど、セルジオさんにとってはやっぱりフレア様は救いの女神のようだ。
彼女の助力をもってしてセルジオさんは生きてきたのだろう。
でも、この話には矛盾がある。
「国に戻ればまた狙われるんじゃないですか?」
「成人を機に自分の息のかかった家の令嬢と婚姻関係を結ばせる、そうすれば反乱の目を摘み取れます」
「相手のご令嬢の成人を待ってすぐですか」
政略結婚とは家族間で行う時は家の繋がりを強固にするために使われる手段だったし、わたしの主観もそういうものだった。
でも、これは封じ込めではないか。
「いや、私の成人を待ってです」
「え、十代半ばには到底見えないですよ?」
二十歳を超えていそうな雰囲気だ。
どれほど若く見積もっても、エブリーと同じ歳には見えない。
「向こうでは、十八を超えてようやく成人と認められます。こちらはもう少し早いみたいですね」
十八か。それでも、微妙に納得できない。
これはアレか? 苦境が人を成長させた的な……、わたしの知る十八歳はもっとこう……、無鉄砲な感じだ。
でも、セルジオさんははっきり言って年上のわたしよりも落ち着きがある。老成していると言うのだろうか。
「どちらにしても、セルジオさんがわたしよりも歳下とは思いませんでした」
「子どものままではいられませんから」
外に長時間いると段々と体が冷えてきた。
息が凝る。寒さと静寂がひどく悲しい気持ちにさせた。
「婚姻すれば命の危険はないのですか?」
「おそらく、ぐっと減ります」
絶対になくなるわけではないらしい。
「出奔したりしないんですか?」
「流石に、私が目の届かないところにいては、かの方も恐ろしいでしょう。もう暗殺者を差し向けられたくありませんので」
出て行けば済む話ということでもないらしい。
話の内容が内容なのに優し気に微笑む姿は、薄ら寒さを感じる。
「達観してますね」
それだけ言うのが精一杯だった。
「人生最初で最後の休暇は楽しかったです。出立前に貴女と話せてよかった……、それと最後にひとつだけ、お願いをしてもよろしいでしょうか?」
「なんですか?」
成人祝いにできる範囲のことで、願いを叶えることは吝かではない。
それが友達の従者、いや、大切な家族なら尚のことだ。
「最後に義姉様に会ってくださいませんか?」
そう言ってわたしの手を取り、懇願する様は、とても臆病者に見えた。




