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行き遅れ令嬢の婚約  作者:
終章
47/50

苦手*

監視と同じ時間帯のノエル視点です。

 友人兼婚約者が最近心配でならない。


 姫に薬を盛られた後だというのに、彼女に会いに行こうとする。病み上がりで、しかも夜に城内を徘徊する。仕事を休ませようとすると無理にでも登城しようとする。

 私の心休まる時がない。

 そもそも貴族街ではなく、城下町に家を借りていること自体、問題だ。


 せめてもの譲歩で、実家の邸宅に仮住まいしてもらい、馬車で送り迎えするようにしたが、そうするとこちらの時間も圧迫される。

 それならいっそ、私も邸宅に住めばいいのではないか、と思ったのはつい先日の話で、その手続きのために王太子に話を通しにきた。


「それにしても、よっぽど好きなんだな」

「何がですか?」


 寮を引き払うに従って、なるべく、当直勤務が入らないように融通してもらうため、隊長だけでなく護衛対象にもそれとなく伝えておく。

 すると、護衛対象からやにやとなぜか嫌な笑みを浮かべられた。


「決まってるじゃないか。婚約者殿のことだ」

「当たり前です」


 そういうと驚いたように目を丸くした。


「認めるとは思わなかった。前日まで頑なに否定していただろ」

「思うところがあったのですよ」


 マリオンが目が覚めないかもしれないと思ったその時、堪らない虚無感が胸を覆った。

 それまでは、ただただ優しい友人が大切だから、煩わしい女性関係で悩むのも嫌だから、婚約を了承したつもりだった。

 ただの仲のいい友達なら、無力感や犯人に怒りは感じても、心の中が空っぽになるような気持ちは味わわないのではないか、と思うのだ。

 この気持ちが恋なのか。それとも違うものかは分からない。

 だが、友情よりもよっぽど重い気持ちが、自分の中で育っていることだけは分かった。


「ふーん。まあ、一歩前進か。あ、これ、あのバカに渡して来てくれ。そしたら、今日は直帰していいから」


 ひらりと手渡された紙を見て眉を顰めた。


「わざわざ式典を開くのですか?」

「あれは無かったことになってるからな。それに、恩は売れる時に売る主義だ」


 紙には隣国の王弟と姫を見送るために催される式典について記載されていた。

 マリオンや向こうの従者関係のごたごたを国際的に追求しないかわり、この国の方針としては隣国に恩を売りつけたいのだろう。

 と、なると平常時のおもてなしをしなければならないわけで、……私としてはかなり思うところがあるのだ。


「すまないな」


 そう言われると、臣下である私に拒否権はない。

 だが、承服しかねる気持ちは確かにあるため、返事をしないことで、ささやかな不満を表し、その場を辞した。




「そちらにおられるのは、マーフィー様ではないですか?」


 姫の部屋に向かう途中、回廊の柱の影から声がかかった。

 そちらを見ると、隣国の国王の異母弟である従者がいた。


「殿下……。ご無沙汰しております」

「殿下など、あなた様に呼ばれるような生まれは持ち合わせておりません。セルジオとお呼びください」

「セルジオ殿、もう体調はいいのか?」


 控えめな態度でそう言うセルジオ殿に頷き、言葉を崩す。

 あの姫様もこれくらい謙虚さがあれば、煩わされずに済むのだが、世の中はままならないものだ。


「お気遣いありがとうございます。煙を少し吸い込んだだけですので、翌日には全快しておりましたよ」

「そうだったのか、よかった」


 あの日以来、私は姫の護衛を外されている。おそらく、王太子の配慮によるものだろう。

 そのため、彼が回復していることにも気がつかなかった。


「それはそうと、ノエル様がこちらの棟にお越しになるとはお珍しい。何か用事でしょうか? フレア様に何か言伝があるようでしたら、私がお預かりいたしますが」

「いや、直接確認したいことがあるから遠慮する。ご厚意はありがたく受け取らせてもらおう」


 セルジオ殿は私と姫様の不仲を察知してか、なるべく接触しないように計らってくれる。


「左様ですか。では、私も部屋に戻るところでしたので、お伴してもよろしいでしょうか?」


 どちらかというと、私に配慮してというよりも、姫に配慮してという感じだな。


 王弟がお部屋に在室でない場合、姫様と二人っきりになる。

 私が、彼女に何か不敬を働くのではないかと、疑っているのだろうか。

 そこまで私は信用に値しないのか、と思うものの、致し方ないと思う部分もある。

 マリオンが倒れた原因が姫であるにもかかわらず、表面上無罪放免になっているのは気にくわない。それに、今までの迷惑の数々を考えたら、不敬のひとつも働きたくなると言うものだ。


 だが、階級社会において、王族の命令は絶対。

 なかったことになってるものに対して、流石に、姫様に危害を加えるようなことはしない。

 ちくりと嫌味くらい言うかもしれないが。


「ええ、別に聞かれて困るようなこともないので。それに、従者であるセルジオ殿にも、警備の配置を知ってもらった方がいいだろう」


 二つ返事で了承すると姫様の部屋まで歩いた。




 部屋には王弟と姫様がふたりとも揃っていた。別で説明する手間が省ける。


「と、当日はこのような流れになる予定です」


 式典の説明と、警備体制など諸々の説明をした。


「私がしたことで、義兄様に恩が売れるのかは怪しいところだと思うのだけれど、そこのところはどう思ってらっしゃるの?」


 もちろん、貴女を縛り首にしていいなら、喜んでしますよ。心の中でそう呟く。

 だが、それを口に出してはことだ。

 そんなこと表情にさえ一片も出すことなく、しれっと答えた。


「このことについてなかったことになれば、先王の庶子について国民が知ることはないのではないかと、愚慮いたしました」


 一般人にとって王侯貴族は雲上人だ。

 その代の国王の名は覚えていても、その血縁や庶子まで把握している人はどれだけいるだろうか。

 それに、容姿ともなると国王夫妻くらいしか出回らない。

 セルジオ殿の紫色の瞳はきっと下々の者にまでは知れ渡っていないだろう。


 国の祖と同じ容姿を持つセルジオ殿の存在が知れ渡ったら、それは王にとって脅威とならないか。

 国民とは悲運の英雄を好みがちだ。

 国に不満を持った時、民がセルジオ殿を担ぎ出さないとも限らないのだ。


「遠回しな脅しなのね。ほんと、陰湿。でも、助かったわ」

「何についてでしょう」


 なかったことになったとはいえ、こちらはセルジオ殿の存在を認知した。

 もし、恩を仇で返すことがあれば、存在を明るみに出すこともできる。

 セルジオ殿の存在を他国が知ったら、そのことは圧力になるだろう。もしこれで、隣国に返した途端、変死体で見つかるようなことになれば、様々な憶測を生む。


 事件自体はなかったことになっているとは言え、この国の近衛兵のほとんどにセルジオ殿と隣国の王家との確執は知れ渡ってしまったのだから。


「あなたにいうのも癪だけど、ありがとうとお兄様に伝えておいて」

「かしこまりました」


 驚きすぎて、声が震えてしまいそうだった。

 姫の頭に謝罪や礼と言った言葉が入っていたとは……。

 いつも無表情と言われているこの顔が、今日ばかりは有難い。

 こんなことで動揺していると気取られるのは不快だ。


「それと、その式典にはマリオンさんもいらっしゃるの?」


 何言ってる。なぜ、危険人物と婚約者を会わせなければならない。

 だいたい、薬を盛った相手に会いたいなど、常軌を逸しているのではないか?


「難しいやもしれません。彼女は式典とはあまり関わらない部署に所属しておりますので」

「そうなの。それは残念だわ」


 嘘くさい。口調に重みも何も感じない。どうでもいいと思っていそうだ。

 だが、下手に引っ掻き回される事を考えれば、どうでもいいと思ってもらった方が好都合。


「ご容赦ください。では、お暇いたします」

「ウィスタリア。送って差し上げて」


 姫の部屋から出て、しばらく無言で歩いていたが、途中でセルジオ殿が立ち止まった。

 どうかしたのだろうかと、セルジオ殿を見ると、真剣な面持ちで、口を開いた。


「差しでがましいことと思いますが、一言、申し上げてもよろしいでしょうか?」

「何だ?」

「思いは言葉にして伝えた方が良いと思います。常人は口に出されていない言葉を正確に読み取ることはできませんので」

「セルジオ殿は違うだろう」


 対象に触れてさえいれば、どんなに隠していても、そのものの心を暴いてしまう化け物に言われたくない。

 私の皮肉を確かに感じ取ったのか、セルジオ殿は苦笑した。


「言葉遊びで申し上げているのではございません」

「なら何を言いたいんだ?」


 きらりとセルジオ殿の藤色の瞳が光った気がした。

 触れられていないのに、心を覗き込まれているかのような気持ちになって、一瞬で緊張感が増す。

 ひゅっと喉がなった。


「大切に思われる気持ちくらい素直に口に出されてはいかがですか?」


 何を言っているんだこいつ。

 いや、言いたい事は分かる。だが、それを何故、姫に近しい人間に言われなければならない。

 しかも、心を読む、普通ではない人物に。


 ぞっと血の気が引く音がした。


 今気がついたが、私はどうもセルジオ殿が苦手なようだ。姫は嫌いだが、そういうのとは違う。

 心を読むなど得体が知れないし、言動の予測もできない。気味が悪い。


「差し出口を聞きました。ご容赦ください」


 セルジオ殿の瞳から逃れるように、背を向ける。


「余計なことだ。くだらない。心配されなくとも、相手を慮ることくらいはしている」


 恋人らしい言葉はまだ一つもかけたことがない、その自覚はある。

 しかし、そんな事は私と彼女との問題であって、赤の他人に口を突っ込まれることではない。


 気持ち悪さとわずかな苛立ちを持て余しながら、止まっていた歩を進めた。


 その足音がいつもよりも乱れているのに気付かぬふりをしながら。






 うちに燻る感情とはすぐに塗り替えられるもののようだ。

 夕暮れ時になっても待ち合わせの場所に現れない婚約者を心配する気持ちと不安に身を委ねながら、ままならない心の有り様を嗤った。

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