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行き遅れ令嬢の婚約  作者:
終章
45/50

泣声②

「フレア様、聴こえますか?」


 声を少し張り上げる。

 地上には兵士がいるから、あまりに張り上げるとバレる可能性がある。できれば、これぐらいの声量で聞こえていてほしい。

 そして、返事をしてくれ。


「聞こえたら、返事をしてください」


 返事はなかったけれど、上の方で影が動いたから、聞いていると思うことにする。


「フレア様、いるんですね? じゃあ、話してしまいます。わたし、フレア様が泣いているのではないかと思ったので、会いに来ました」


 冬の風が首元をかすめる。

 あまりの冷たさに首をすくめた。

 喋る声に反応はない。もしかして、静寂に声が呑み込まれでもしたのだろうか。

 こんな暗闇の中にいると、自分自身が暗闇に紛れて溶けてしまいそうだ。手先だって暗くて判然としない。


「わたし、お姫さまのお友達なんてできたことがないので、何が正解か分からないのですが、さすがに泣いているのをひとりにするわけにはいかないでしょう?」


 自分がいるのかどうか分からない空虚な気持ち。これが孤独というものだろうか。

 ただ暗闇にいるだけで、少ししんみりした気持ちになる。それなのに、夢の中のフレア様は真っ暗な場所で、独りぼっちで泣いていた。

 夢と言われればそれまでのことだけれど、どうしてもただの夢だとは思えなかった。


「すこしお喋りでもすれば気が晴れるのではないかと思いまして……、まあ入室禁止なのでこの場所からですが、お話しませんか?」


 いつもはお茶を飲みながら喋っていたけど、たまには夜空を見ながら二人で語り明かすのもいいではないか。

 そう思ってお伺いを立てたその時、再び風が吹いた。その風に乗って何か声のようなものが聞こえた。


「え!? な、何をおっしゃったんですか!?」


 上手く聞き取れなかった。もう一度言って欲しい。そう思って、先ほどよりも声を張り上げる。


「……、じゃないの」

「すみません、もう一度お願いします!」


 意外と聞き取りづらい。

 少しでも、聞き取れるようにとバルコニーから身を乗り出した。


「バカだと言ったのよ!」


 まさか、一言めに罵声をいただくとは思わなかった。

 いやいや、唖然としてても仕方ない。それに、この言葉には異論がある。


「わたしはバカじゃないです。フレア様と本当の友達になろうって思ってるだけです」

「おかしいわよ! なんで、来たの? 普通、もう私の顔どころか声も聞きたくないって思うものでしょう? それなのに、なんで私が泣いているかもしれないって、ただの想像でわざわざ来るのよ……」


 声が尻すぼみになっていく。

 最初の勢いが消えていた。


「私は泣いてなんていないわ」

「いいえ、泣いていますよ」


 たしかに声は全くかすれていないし、すすり泣く声も聞こえない。でも、たしかに泣いている。


「もし、本当に泣いておられないのでしたら、それは………、泣いてないのではく、泣けないだけではないのですか?」


 泣けば、解決する問題なんて現実世界にほとんどない。足をすくわれないために、気丈に振る舞ったほうがいいことの方が山とある。

 でも、もし、この場で、誰も見ている人がいないこの場所でさえ、フレア様は泣かないのだとしたら、それは……。


「私はあなたに毒を盛ったわ。そんな私があなたのいる場所で泣いていいわけないでしょ? そんなことしたら自分で自分が嫌いになってしまうわ」


 自分に泣くことを許していないからだ。


 人はずっと眠り続けては生きていけない。

 水は口移しで嚥下したとしても、栄養を取らないと十日ほどで死んでしまうと聞いたことがある。

 でも、わたしは本当に夢を見ていただけなのだ。薬を盛られたという恐怖がない。

 だからこそ、フレア様に会いに来ようという気になれた。

 このことを思うと、フレア様がバカだと言ったのは強ち間違いではないのだろう。危機感が膜一枚向こうに感じられて、とてもじゃないが現実感がない。


 でも、夢だと思っていても許しているわけでもない。


「そうです。わたしはあのままでは死ぬところでした。そのことに関しては許せません」

「それなのに、なんで会いに来たの? 罵りに来たの?」

「許しはしませんが、友人でもありますから……、怒っていても大切な人が傷ついて居るのを知っていたら慰めたくもなるじゃないですか」


 人と人との関係性なんて一面だけのものではない。

 許せないことをされたからと言って、それだけで関係が崩壊するとは限らないとわたしは思っている。

 綺麗事だと言う人もいるかもしれない。でも、フレア様には少しでも綺麗事を信じて欲しい。


「罵倒された方がましよ。自分が惨めに思えてくるわ。あなたといると自分の汚さが浮き彫りにされて居るようで、とっても居心地が悪いの」

「フレア様が汚いなんて、そんなことないですよ。それにわたしだって綺麗なだけの人間じゃないです。現にフレア様にされたことを許せるほど優しくはないですからね」

「マリオンさんはいい人なのね。私だったら縁を切るわ、それどころか仕返しを考えるでしょうね。……きっと、私なんかが友達でいては汚れてしまう」


 フレア様が言うような素晴らしい人なら、何をされても謝れば許してあげるのだろう。

 でも、わたしは普通の人間だから、なんだって許してあげられるわけではない。そこまでの優しさはない。

 けど、……。


「わたしの友達の悪口はフレア様自身だろうとダメですから」


 自分の言葉で自分を傷付けるのはやめてほしい。なんて言ったら伝わるのだろう。

 わたしも貴女も綺麗なだけの人間じゃないけど、汚いだけの人間でもないのだと。


「だいたい、人の良いところを見れる人が、悪いだけの人なわけないです。人なんですから、良いところも狡いところもあって然るべきじゃないですか? わたしだって綺麗なばかりの人の前で肩肘張って生きるのは息苦しいと思います」


 想像をするだけでも窒息しそうだ。

 善意だけで動く人。損得も裏も全くない人に囲まれたら、きっと自分の醜さに嫌気がさす。


「マリオンさんでもそんなことを思うの?」

「当たり前です。損得を考えない上に裏もなく、善意ばかりがある人って気味が悪いし、面倒臭いじゃないですか」

「気味が悪いのはわかるけれど、面倒に思うのはどうしてかしら?」


 心底不思議そうなフレア様の声に、首を傾げる。

 善意ある人でも、善意を押し売ってくる人はありがた迷惑だし。悪意のない人を否定するのは、側から見れば可哀想だと思う人も出てくる。

 わたしそこまで綺麗な人じゃないから、他人の目を気にするし、悪者にもなりたくない。


 ああ、もしかして、フレア様の周りには善意だけでできた人がいたことがないのだろうか。それか、来る人を全て拒絶していた?

 ありえそう……。なら、本当に対人関係の初心者なのか。

 だったら、子どもに伝えるような言葉にした方がいいかもしれない。少し、考えてから口を開く。


「善意は人それぞれ違いますから、善意だけで動いている人の中には自分の善意が絶対だと信じて疑わない人がいます。悪気があるわけではないので、否定し辛いんですよ」

「そう言うものなの?」

「そう言うものです。話は変わりますが、フレア様は綺麗なだけの人ではないかもしれませんが、いい人ですよ」


 他の誰にとって悪人でも、セルジオさんにとっては女神と称されるほどに。


「気を使ってくれなくていいのよ。私の信用は地に落ちているもの。ルチアーノくらいじゃないかしら、私を悪く言わないのは」

「なら、この世にフレア様をいい人だと思っている人が最低三人はいますね」

「三人も?」


 驚いたような声に応える。


「ええ、わたしと公爵様とセルジオさんです。セルジオさん、フレア様のことを女神のような人だとべた褒めしてました」

「ウィスタリアが……? 力不足で何もできなかったのに?」

「セルジオさんのためにも、何もできなかったとは仰らないでください。心を救ってくれたと言ってましたよ」


 しばらくして、泣き声が聞こえてきた。

 この場所からでもかすかに聞き取れるくらいだ、押し殺したようなものではないだろう。


 フレア様が泣けて良かったと思う。心が押しつぶされなくて良かったと、安堵から笑みが溢れた。


「わたしもフレア様を悪人だなんてちっとも思ってません」


 セルジオさんを守りたい気持ちが、わたしに薬を盛る言動につながった。

 ただの人間だから、間違うこともあれば綺麗なだけではいられない部分もある。

 でも、それが悪だと言い切れるわけではない、とわたしは思っている。


「フレア様さえ良ければ友達を続行しませんか?」

「……っマリオ、ンさん、っは、よろし、いの?」


 すこし嗚咽のようなものが漏れているフレア様の声が聞こえた。

 答えは決まっている。


「はい、喜んで」


 満天の空に月はない。

 でも、暗いばかりだと思っていた夜空も、目が慣れれば眩いばかりの星々の煌めきがあった。

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