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行き遅れ令嬢の婚約  作者:
終章
44/50

泣声①

 目が覚めると目の前にノエルがいた。

 いつの間に眠ってしまっていたのだろうか。

 ノエルは、わたしが起きたことに気が付いていないのか、椅子に腰掛けて本を読んでいる。


 寝ている間に昼間になっていたようで、朝方よりも部屋に入ってくる日の光が落ち着いていた。

 じっとノエルを見つめていると、ふとした拍子に顔を上げたノエルと目があった。


「……おはよう?」

「よく眠れたようだな。体調はどうだ?」


 どうだろう。朝ほど喉の渇きは酷くないし、怠くもない。悪くはないって感じかな。


「スッキリ。だけど、三日も眠ってたなら、体力が落ちてそうだし、仕事復帰はしばらくお預けかな」

「仕事なんてしばらく休んでしまえばいい」

「でも、フレア様がどれだけここに滞在するかもわからないから、わたしの体調が戻った時には国に帰ってるかも。一言もなくお暇するのもちょっと悪いから、早く良くな……」


 そこで言葉を切る。

 いつも以上に氷像のような無表情を見せてくるものだから、ちょっと尻すぼみになってしまった。


 しかも、なぜか冷気を感じる。

 魔法を使える者の中には、感情の揺れが魔力として漏れだすことがあると聞いたことがある。魔力は少ないと言っていたが、彼は氷の魔法を使える。

 ということは、この冷気は感情漏れ? でも、今までノエルが笑った時も怒った時も、気温が下がったことはなかった。

 しかも、今回は完璧な無表情。さては感情の高低に表情が取り残されでもしたのだろうか。


 まじまじと氷像を見ていると、それは自分が人だったことを思い出したのだろう、ゆっくりと口を開いた。


「もう、姫様付きをしなくていい。王太子殿下からも許可が出ている」


 だから、もう会ってくれるなとでもいうようにノエルは言葉を続けた。


「休暇の申請もしておいたから、しばらく体を労った方がいい。なんなら、王都にある邸宅を貸し出そう。使用人も少数だが、常駐している。不便はかけさせない」

「休暇申請してくれたんだ。でも、それほど大事にしたくないから、少し休んだら復帰するよ。心配してくれてありがとう」


 ノエルは不服そうな表情をしながらも、これ以上言葉を重ねることはなかった。


 今日中にフレア様に会ってしまわないとしばらく会う機会は巡ってこないだろう。

 これ以上フレア様のことを話に出しすぎると警戒されてしまう気がして、ごねるのは止めた。

 勝手に役を降ろされたのは不服だが、それは言っても詮無いこと。

 警戒されないようにいつも通りを装いながら、会話をし続けることにした。




 ***





 どうやって迎えにくるんだろう。

 いや、わたしの部屋の前に見張りはいないのだから、迎えにくるのは普通にできると思う。

 でも、フレア様は絶対に見張られていると思うけど、どうやって忍び込むつもりだろうか。


 新月のため月明かりがない空を窓から眺めていたが、扉の方を振り向く。


「こんばんわ。セルジオさん?」


 影になった場所にいる人物に声をかける。


「夜分に失礼いたします。こちらについて来てください」


 扉の外へと向かう彼を追いながら、夜の王宮の様子にひやりとしたものが伝わってくる。

 時折ある窓の外を覗き込むと、火を焚いた篝籠の隣に均等に兵が並んでいるだけで人気がない。

 廊下にはもう人っ子ひとり見当たらない様子で、静寂が場を占めている。

 足音も響かないように気を付けているつもりだが、衣擦れの音さえ聞こえるような静寂の中では無駄な足掻きのようにしか思えない。


 暗くてよく見えない階段を何度も登り、端から端に向けて歩くように廊下を進む。

 病み上がりの状態では息が上がってしまった。

 たった三日寝込んだだけでも人の筋力は低下するらしい。

 ある部屋の前でセルジオさんが止まった。


「この部屋にお入りください」


 ガチャリとドアを開け、促される。

 もしかしたら別の塔に軟禁されているのかと思ったが、そうではなかったようだ。もしそうなら、きっと体力が持たなかった。

 息を整えて、失礼しますと小声で声をかけて部屋に入ると、そこは空き部屋だった。


 どういうことだろうと、振り返りセルジオさんをみる。セルジオさんはドアを閉めてバルコニーの方へ向かった。

 月はないが、真っ暗闇の部屋の中からだと星のわずかな明かりに照らされてセルジオさんがいる場所が明るく見える。

 そこでようやく、彼の顔を見ることができた。


「セルジオさんじゃない? あなた誰なの!!?」


 薄い藤色の瞳ではなかった。暗いから確実ではないけれど、おそらく。

 それに、体格もこの男の方がいい。

 知らない人に誘き出された。その恐怖が震えとなって襲ってくる。喉から細い悲鳴が溢れ落ちそうになった。


「静かに」


 叫ぶため息を吸い込むと口を押さえられた。

 近付いてきた顔はどこか見覚えのあるものだった。だが、誰なのか分からない。

 いつも色彩で判別をつけていたが、この薄ら闇の中では色の区別などつくはずもない。


「落ち着きましたか?」


 こくこくと頷く。早く解放してくれ。


「絶対に叫ばないでくださいよ」


 こくこく。

 男の手がようやく口から離れた。


「で、あなたは誰?」

「セルジオの兄です。で、あなたを眠らせた首謀者の夫」

「隣国の公爵様で王弟の?」

「正解です」


 驚き過ぎて言葉もない。

 なぜ、重鎮であるはずの彼がこうもフットワーク軽く部屋から連れ出してくるのか。

 それに、個室に二人っきりのところを見られたら互いに不貞を疑われかねない。

 第一、セルジオさんじゃないのはどうして?

 彼と待ち合わせしていたはずなのに。


「ご無礼をいたしました。一旦、部屋に帰らせていただけますか?」

「いいですよ。用が終わったら、ですが」

「用って……」

「こちらです」


 わたしの言葉を最後まで聞かずに、公爵様はバルコニーに出た。いつのまにか手首を掴まれていたため、追うようにバルコニーに出る。


「この部屋の斜め上の階にフレアがいます。セルジオがフレアを窓の外に誘導していますので、声が届くはずです」


 つまりセルジオさんは元からわたしのところに公爵様を寄越すつもりだったのか。


「私は外で話が終わるまで待機しています。終わったら声をかけるように」

「分かりました。ひとついいですか?」

「何です?」

「なぜ、セルジオさんではなく、あなたがわたしを部屋から連れ出したのですか?」


 フレア様とセルジオさんがいるはずの部屋の方を見て聞く。

 きっとセルジオさんは今、フレア様と共にいる。何かあるとは思えないが、ふたりっきりにさせて良いのだろうか。


「セルジオが連れ出したら問題になりますから。私が連れ出しても顰蹙を買うだけですが、奴が連れ出したら……、私が連れ出すことに比べ罰が重くなるに決まっています。身分が低いですからね」


 思っても見ない言葉だった。

 だって、セルジオさんの話の中では兄とはいえ疎遠な関係のようだった。それなのに、セルジオさんを庇うような行動を取るなんて、思わなかったのだ。

 驚いて後ろを振り返ったのと、パタリとドアが閉まる音が聞こえたのは同時だった。

 そこにはもう公爵様は居なかった。


 ――セルジオさん。貴方のお兄様は随分とお優しいようですよ?


 十分に兄弟の情を感じる。

 セルジオさんに伝わってはいないのが残念だ。

 いい大人が感情をぶつけ合うのは恥ずかしいからだろうか? 男兄弟は意外と難しいのだろう。


 まあ、気を取り直して。

 わたしは斜め上にあるバルコニーに目を向けた。


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