夢路①
朝、ノックの音と共に目が覚めた。
慌てて、着替えて表に出ると、困り顔のノエルがそこに居た。
「どうしたの?」
「すまない。すぐに用意して来てくれないか。姫様が呼んでいる」
休みは今日で終わりらしい。
せっかくだ、昨日終えた刺繍いりのハンカチを渡そう。
「わかった。ちょっと待ってて」
急いで自室に引き返して、荷物をもって玄関先に出た。
「出発していいか?」
「うん。あ、その前に、これあげる」
馬車に乗り込む前に、ハンカチをノエルに押し付けた。
それにしても、馬車で迎えに来るとは……、徒歩でも半刻もあれば着く距離なんだけど、よっぽど急いでいる感じだなあ。
ノエルの物憂げに伏せられた瞳に、いつもの透き通るような光は差し込んでいない。だが、ハンカチを広げた一瞬だけ表情が緩んだ。すぐに、無表情になってしまったが。
「すまないな。慌ただしくて」
「それはいいんだけど、でも、どうしていきなり?」
「姫様が呼んでるから。…………姫様の従者が拐われてしまった。姫様が落ち込んでいる」
従者ってもしかしてセルジオさんのこと?
お忍び旅行だからか、フレア様が連れてきた従者やメイドの数はごく少数だ。わたしが見たことがある従者はセルジオさんしかいない。
「完全にこちらの落ち度だ」
そう言ったっきり、ノエルは口を噤んでしまった。
しばらくして、王宮に着いた。ノエルは火事の後、移動したフレア様の部屋まで案内すると、何処かへ行ってしまった。
今日は、フレア様付きじゃないんだ。
去っていくノエルの背を見ながら、そんなことを思った。
「急に呼び出してごめんなさいね」
部屋に入ると、窶れた様子のフレア様がソファーにかけていた。
最後に会ってから半月も経っていないのに、随分容貌が変わってしまった。幼げな顔立ちは老け込んで、もともと白かった肌は青ざめて見える。まるで病人のような儚さで、触れれば溶けてしまいそうだ。
「お加減が悪そうですが、朝食は召し上がりましたか?」
「いいえ、まだなの。でも、マリオンさんに心配をかけてはいけないわね。お茶の準備を」
フレア様は側に控えていた侍女に軽食の準備をさせた。
「おはなし、聞いてくださる?」
「ええ、わたしでよろしければ」
お気に入りの従者が居なくなって気が病んでいるのだろう。フレア様は弱々しい笑みを口元に刷いた。
わたしはもともとお話相手として仕事を任されたのだ、こんな時に親身にならなくて何が話相手だ。そうでなくとも、身分もなにもかも違うのに、友人だと言ってくれた彼女を慰めたい。
着々と準備される小さなテーブルを挟んで椅子に座る。
「ウィスタリアが居なくなってしまったの」
ぽつりと零された呟きは哀しみに満ちていた。
「もっと反対すればよかったわ。そうすれば、こうはならなかったかもしれないもの」
吐き出される言葉は己を責め立てるものばかり。
なぜそれほど、自分を責めるのだろう。フレア様やその旦那様ではなく、従者を攫うなど、誰が予測できただろう。
「何を仰るのです。セルジオさんが攫われるとは誰にも想像できなかったことでしょう? 思い詰めないでください」
攫われるような、杜撰な警護をしていた城側に非がある。
「マリオンさん。本当はウィスタリアが狙われていると知ってたって言ったら、貴女はどう思われる?」
「……」
知っていた? なんで。
驚きで言葉が詰まった。だって、知っていたなら対策のしようもあっただろう。警護を固めるとか、なんとか。
「火事の後、この部屋に通された時、言ったのよ。従者の個室が付いている部屋がいいと。侵入者が入ったら、気がつくでしょう? でも、賓客室にそれらしい部屋はないからと部屋を離されてしまったの。もっと、食い下がっていれば、彼は攫われなかったかしら?」
「セルジオさんが狙われていると近衛達に伝えなかったのですか?」
「誰が敵かもわからない状態で迂闊なことは言えないわ」
「近衛に間者がいると仰っているのですか?」
「違うわ」
すっと表情を硬くして、フレア様は用意が整ったテーブルから、ティーカップを手に取り、一口紅茶を飲んだ。
「違うの。狙われている理由を話せば、敵になってしまうかもしれないと思ってしまって」
フレア様の言葉には主語がない。だれが、とか何でとか大事な部分が隠されたままだ。
それはやはり、わたしが敵だと、敵になるかもしれないと思っているからだろうか。
「馬鹿なことを言ってしまったわ」
「フレア様。信じてください。フレア様はわたしを友人だと言ってくださいました。少しは友人を信じてくれませんか。わたしはフレア様の敵にはならない」
「ごめんなさいね」
それは何に対しての謝罪なのだろう。信じられないことへだろうか。
できれば、信じられなかったことへ、だったらいいなあと思う。信じたいと思って欲しい。
硬い表情を浮かべていた頬にホロホロと雫が落ちた。
「ごめんなさい」
謝り続ける彼女を慰めるため、手を伸ばしフレア様の手に触れた。その手は驚くほど冷たくて緊張しているのがわかった。
和らげるように、自分の熱を移すつもりで、手を握った。
「マリオンさん。手を……、お茶が冷めてしまうわ」
控えめな声に促されて、手を離す。
「ありがとう。少し落ち着いたわ。マリオンさん、紅茶にお砂糖はいかが?」
「わあ、綺麗な色ですね」
「国花の色よ」
シュガーポットには薄紫色に着色された角砂糖が入っていた。
角砂糖まで紫色に染められるほど好まれている花なら、やっぱり香水は菫にするべきだろうか。
「せっかくなので、ひとつ貰います」
紅茶に角砂糖を入れると、さっと溶けて消えてしまった。少し残念な気持ちになる。
「紅茶の色は変わらないんですね」
「面白いことを言うのね。色が混じっては汚いわ」
たしかに混ざりあった色は汚くなることが多い。普通の砂糖のように、さっと溶けてしまう方がよっぽど実用的だ。
ティーカップを持ち上げ、紅茶の匂いを嗅ぐ。
「マリオンさん。今日は来てくださってありがとう」
口の中に染み渡らせるようにゆっくりと口に含む。そして、嚥下した。
「ありがとう。ごめんなさい」
何度も謝ってもらったから、もう謝らなくていいよ。
紅茶を半分ほど飲んでティーカップから口を離した。
「ごめんなさい」
「もうあや、……って……」
ぐわんと視界がぶれた。手に持っていたティーカップが割れる音が聞こえる。
視界は闇色に塗り込められ、光が閉ざされた。
意識がスウッと消えていくのを感じた。何重にも膜を張った向こう側で、ごめんなさいと謝る声が聞こえた気がした。




