余暇②
「先輩、久しぶりです。今日は休日ではなかったですか?」
上司殿の執務室から抜けた後、しばらく植物園管轄の場所を散歩していたら、右脇に書類を抱えたエブリーと出くわした。
瞳は驚きでまん丸に見開かれていた。
たしかに先日、王宮内で火事に巻き込まれた人が、休日に王宮内にいたら驚くかもしれない。ワーカー・ホリックを疑われること請け合いだ。
「暇だから様子を見に」
あ、疑われるというより、事実そうだった。
三度の飯より植物観察が好き。
休みは食料調達と衣類の買い替えの最低限でいい。
誰が見ても、仕事が伴侶だと公言しているようなものか。
「もう少しで昼休みです。ご一緒していただけませんか?」
にっこりと笑うその表情は少し緊張を含んでいた。
その様子から色々察せられた。
「いいよ」
こういうのはさっさと終わらせるべきだ。
もう言葉を間違えたりしない。あの時と違ってわたしの心は決まっているのだから。
しばらくその場で待っていると、エブリーは書類を薬草園に置いて、小さな小瓶を手に握って戻ってきた。
「ご飯、食堂で食べましょう。あと、これ」
そう言って差し出された小瓶を受け取る。淡いピンク色の液が入った可愛らしい小瓶だ。
「試作したものです。着色も上手くいきました。まだ、ローズしか作れていませんけどね。どうですか!」
頬を紅潮させ、エブリーがにじり寄ってきた。
「どうって」
綺麗な発色だ。蓋をとって匂いを嗅ぐと季節外れのローズの匂いが香る。
「凄くいい出来だと思う」
麝香の匂いは石鹸の匂いに似ているという。もしかしたら、ローズの匂いがトップで徐々に匂いが変化するのかもしれない。
小瓶の蓋を閉め、液体を陽に透かした。
わたしがいなくてもこんなにいいものが作れる。
本当なら喜ぶべきところだが、少し寂しい。わたしが席を外している間に進んでいく事業が。勝手に成長していく後輩が。
わたしなんて要らないと突きつけてくるようで、心がじくりと痛んだ。
「太陽が目にしみる」
「何してるんですか。瓶越しでも太陽を直接見たら、瞳が傷みますよ」
涙の滲んだ目をこすり、エブリーに笑みを向けた。
だめだ、だめだ。ノエルに失恋した事ばかり考えるから、考えが悪い方向にばかり行くんだ。
だいたい、失恋とは言っても、まだ婚約者同士だし、嫌われてるわけじゃないんだから、振り向かせる気で迫れば……。
まてよ、わたしは誰かを誘惑した経験とかないぞ? 何なら好きな人がいたこともない。こんな恋愛初心者がどうやって迫れば、美貌の婚約者に恋愛感情を抱かせることができるんだ?
ぐらりと視界が回った気がしたが、意地で何でもなんでもない様を装った。
「たしかに、太陽を直接見てはいけないね。目の奥が痛くなった。あ、これ返すね」
「それ、貰ってください。匂いがローズなので、女性が使う方がいいでしょう? 使い心地を教えてください」
「試供品ということ? わかった。後日、資料にまとめさせてもらうね。フレア様のお側付きになったことで、香水作りに関われなくなったのが少し残念だったんだ。張り切って書くから」
少しでも仕事を回してもらえて心が躍る。
たしかに王宮に勤務している人は、侍女以外はほとんど男性だから、ローズの香水は使い辛いだろう。
初期の段階で香水作りから抜けることになったのに、頼ってくれることが嬉しい。
まだ、必要とされているのだと、ほっと胸をなでおろすことができた。
仕事がわたしを必要としてくれているって、安心感がすごい。社畜化が進んでしまった気がする。
「感想も欲しいですけど、それは一応、僕のプレゼントだと思って欲しいです」
プレゼント? そう思うと、小瓶の重量が一気に増した気がした。
「プレゼントなら受け取れない。理由がないし」
何でもない日のプレゼントなんて受け取ってしまったら、誤解されてしまう。
「食堂に早く向かいましょう。長話はそれからでもいいですよね」
「いや、待って。返すからこれ」
さらっとプレゼントの受け取りを拒否され、手を引かれる。いつの間に手を取られていたのだろう。
だが、抜き取ることはしないでおこうか。少し痛いくらいの力で握り込まれているということは、緊張しているのだろうから。
今日の賄いはチキンソテーか。オレンジソースでアレンジされたチキンを味わいながら、エブリーを見る。
ソワソワした様子のエブリーとバッチリ目があった。意を決したように、エブリーはカトラリーを置いた。
「先輩、僕のこと考えてくれませんか?」
「ムリ」
テーブルの上にさっき渡された小瓶を置く。それをそっとエブリーの方に押した。
「これも返すよ」
わたしにはエブリーの気持ちを受け取ることができない。
気があるなんて少しでも思わせてしまうのは不誠実な気がした。エブリーにもノエルにも。
「歳なら、半月後には成人します」
「それでも、まだ未成年」
「目と鼻の先ですよ」
まあ、しばらくは薬草園の仕事に戻れなさそうだから、次に会うときは成人しているかもしれない。
でも、今のわたしはエブリーの年齢と婚約者への義理だけでお断りを告げたあの日とは違う。
「歳だけで断ってるんじゃない。以前、どうせ政略結婚だから、好いているわけじゃないでしょう? と言ったよね」
「言いましたかそんなこと」
「言ったよ」
「すみません」
申し訳なさそうに、エブリーは頭を下げる。それを見ながら、くすくすと笑った。
「あの時の言葉は痛かったよ。図星だったからね」
「先輩……」
何か感じ取ったのか、エブリーは言葉を詰まらせた。
「婚約者に恋をしているんだ。一方通行のね。滑稽だよね。笑ってくれて構わない」
誰が笑ったとしても、わたしは笑えない。本気なんだから。
――だから、君の心を受け取ることはできない。
ひたとエブリーの目を見つめる。
「完敗です。先輩の心を欲しいままにした婚約者が羨ましいです」
苦笑しながら、エブリーは優しく目を細めた。
「迷いなく振られたら、もう追うこともできないじゃないですか」
「追われたら困るだけだからいい」
「そんなこと言って、婚約者と上手くいかなくても、僕はもう先輩に見向きもしませんからね。先輩より若くて可愛い恋人を作ってやりますから」
「それは年増に対する当てつけのつもり!?」
ははは、とエブリーが笑った。
ここは食堂で、意気揚々と仲間と喋る人たちがいる。その喧騒がエブリーの引き攣ったような歪な笑い声をかき消していった。
へったくそな笑顔。でも、わたしも似たような顔をしているのかな。
互いに白々しいくらい空元気を振りまく。
次に会ったときは何でもない様子で笑い合うために、今日ばかりは多少のぎこちなさも見逃して。
エブリーの体当たりの告白に、自分の気持ちを曝け出さないのはフェアじゃない気がした。だから、痛む心に蓋をして、ノエルのことを伝えた。
相手にされてないって言葉に出すと余計に辛いね。滑稽だね。
胸の奥がずっと痛い。でも、この辛さは、誰が笑ったとしても、きっと、絶対に本気の恋だからだ。




