感情*
ノエル視点です。
覚悟はしていた。だが、本人の口から語られた時の衝撃といったら……、私の覚悟などまだまだ甘かったと考えを改める。
「目の前で顔がわからないと言われたそうじゃないか」
「どこからそれを?」
「一緒に護衛にあたってた奴からだ」
姫の護衛として動員されていた同僚を思い浮かべた。王太子と世間話ついでに私のことを売るくらい口が軽い男だとは知らなかった。
「そうですか。そういえば、例の噂は本当なんでしょうか?」
「何のことだ?」
隣国の噂は結構多い。その中でも公然の事実かのように言われている変わった噂がある。
「王族には人の心を読む力があるというものです」
まさか信じているわけではないが、もし本当ならマリオンとの関係を誤魔化しているのは無駄なことだ。
「ありえないだろ。その力は始祖が人の機微を読むのに長けていたから言われているだけで、しかもその力は菫色の瞳に宿るともっぱらの噂だ。見ただろ? 公爵殿の瞳の色を。紫がかって見えるが、あれは青だろ。まだ従者の方が紫色だった。まあ、あれも菫色より淡い色だったが」
隣国の国花である菫は王家の瞳を象徴してのもの。その色は神聖視されており、その色の瞳を持つ王族は人の心を読む。
「だいたい、あんな話、統治しやすいように、と王家によって作られた話だ。やれ、神の使いだ、神の子孫だ。その類と同じものだろう」
「それもそうですね。少し考えすぎました」
「そういや、聞いたことがなかったが、お前ロペス令嬢が好きなのか?」
唐突に話を変えてきたことに驚きながら、答える。
「もちろん好ましいと思っていますよ」
「友人関係の好きじゃなくて、男女間の話だ。無理矢理、婚約を強行した俺が言えることじゃないが、好きじゃないなら婚約を破棄したほうがいい」
さらりと事もなげに言うものだから一瞬反応が遅れた。
「なぜ?」
「わかっているだろ。お前と結婚でもしてみろ、社交界に出ることになる。婚約者の顔もなかなか覚えられない者が、沢山の客の顔を覚えられるか? せめて自分より上位の者の顔と名前は一致させないと口さがない者から誹りを受けるだろう。ただの友情なら相手に負担をかけるべきではない」
「殿下は私と彼女がお似合いだから、婚約話を進めたと以前言ったではないですか」
覚え違いでないなら、目の前の彼こそが両親を唆し、婚約するように仕向けた本人だったはずだ。憶測でしかないが、息子が見合いに乗り気ではないのは懇意にしている女性がいるからだ、とか言ったに決まっている。
小細工をしてまでくっつけようとしたくせに、と胡乱な目で見る。
「それはお前のことを女と見間違えるやつは過去にもいたから、顔を認識できないとは思わなかったんだ。それを知っていたら、無理に話を持って行かなかった。そういうお前だって、苦手な女から逃げるための隠れ蓑にしているんじゃないか? 女として好いていないなら今までの距離に戻ったっていいだろ、ノエルさん」
最後の一言は皮肉だろうか。もう、私は彼女のことを男だとは思っていない。元の状態に戻ることなど不可能だ。
だが、それでも王太子の言葉には重いものがある。目を逸らしていたことを突きつけられたようだった。
「わかりません。私は彼女のことを女性として好きなのかどうか」
もちろん隠れ蓑にするつもりは毛頭ない。だが、それでも、女性として好きかと問われて是と答えれるほど、自分の気持ちがわかっているわけでもない。
長らく同性の友と思って過ごした。友情は感じている。
女性としても、身の回りに寄ってくる面倒な女性とは異なり、気安い気持ちで話しかけられる。ただ、それが恋や愛によるものなのか、わからない。
友情の延長にある好ましい気持ちと男女間での好ましい気持ちの違いは何だろう。
今まで、女とは浅ましく姦しい醜いものだと思っていた。恋をしたことなんてない。
だからだろうか、王太子の問いに答える事もままならない。
「わかりませんが、それでもこの婚約をなかったことにするつもりはありません」
それだけは自分の中で決まっていた。
「向こうが苦労するのにか? 友達面するのはやめてやったらどうだ」
皮肉るように王太子は嗤う。その声を聞くと酷く居心地の悪い気分になった。
まるで、自分でもわからない心の奥を見透かされているようだった。
数日間驚くほど何事もなく姫の警護は済んだ。その日も別段何事もなく、済むはずだった。珍しく、隣国の王弟がいたが、それでも他に今までと違うことなど何もなかった。
だが、それが油断を産んだのだろう。
気が付いた時には遅かった。
下階を焼かれ、抜けられるのは窓だけという有様になっていた。
どこからか城内図でも入手したのだろう。階段周りも屋根伝いに降りられそうな場所も全て潰されている。
その割に、この部屋に直接放火してこないところが、何か得体の知れないものを感じさせた。
「あなた方の守りが杜撰だったことの尻拭いくらいなさってね」
姫もしくは王弟を暗殺したいのなら、この部屋に火を放てばいいだけだ。
それなのに、このような方法をとるとなると、何かきな臭いものを感じる。
しれっと責任問題を押し付けてくるが、絶対に王宮側だけの責任ではないだろう。どんな厄介ごとのタネを隠し持ってきたのか。
だからといって警護の穴を突かれるのは大いなる失態ではある。
まずはこの部屋から脱出しないことには、姫を問いただすこともできない。
そういえば、この部屋は最高位の客室で続き部屋になっていたはずだ。扉を開けるとそこにはベッドがあった。そのベッドからシーツを剥ぎ取る。
また、その部屋も続き部屋になっており、従者の控え室も備わっている。その部屋のベッドからもシーツを失敬して、元の部屋に戻った。
「おい、そんなの持ち出してどうする気だ」
「私が降りられるか試してみる。私が降りたら、順番に飛び降りるようにしてください。受け止めますから」
シーツ同士を固く結び、隣室に戻る。何か布を固定するものが必要だ。ぐるりと辺りを見渡し、一番重さのありそうな寝台の足にシーツを括り付けた。
シーツを数度引っ張って解けないことを確認して、窓から身を乗り出す。
流石に地面まで遠いな。
なんとか壁は焼けていないようだ。煙が舞う中、壁に足を置きながら、途中まで下がる。だが、シーツの長さが足りない。
一階にある窓からさらに人一人分の高さがある。だが、長さがあったところで、火を噴く窓にシーツなど垂らさなかっただろう。
ここから飛び降りるしかないか。足を痛めなければいいが……。
意を決して、壁を蹴り、シーツから手を離す。地面に手を着くように腰を深く下げ、着地の衝撃を和らげた。
なんとか、足が痺れるだけで済んだ。
上を見上げると、王弟が私が使ったシーツを使い危なげなく着地した。名前だけの近衛隊長ではないようだ。私よりも身のこなしがいい。
その後に姫が飛び降りてきて、受け止めようかと思ったが、先に王弟が彼女の落下地点で待機していたから辞めた。その後も人が続々と降りてくる。
そのほとんどを私が受け止めたが、時折、王弟も手伝ってくれた。
それにしても、マリオンはまだなのか。
火の手はだんだんと二階に回りつつあった。
壁が燃え移りにくい素材だったため、壁からの延焼はないが敷物や家具、その他燃えやすいものから火が広がっているのだろう。
なかなか降りてこないマリオンを思ってやきもきしていると、視界の端に王弟が映った。
その瞳は、炎により、鮮やかなバイオレットに染められていた。
どきりと心臓が嫌な音をたてる。
――王族は人の心を読む
その言葉が心中に木霊する。
きっと考えすぎだ。今日、王弟がマリオンを揶揄ったから、そんな馬鹿げたことを思うのだ。
そうと分かってはいても、心がもし読めるなら、と思うだけで恐怖と気持ち悪さ、僅かな嫌悪感がつきまとう。
引きつけられるように、王弟から目を離せないでいると、上からまた人が落ちてきた。
次は誰だと思って上を見上げるとマリオンが、おかしな姿勢で落下しているところだった。慌てて受け止めるために、落下地点に走る。
なんとか抱きとめた彼女はぎゅっと目を閉じて身を硬くしていた。その瞼がゆっくりと持ち上がり、朱を含んだ黄褐色の瞳が現れる。
惚けた表情で見上げてくる様子にほっと息をついた。
怪我はなさそうだ。
「ノエルさんどうしてここに?」
瞬きをぱちぱちしながら、マリオンは首を傾げている。
そして、一拍の後、腕の中で暴れ出した。
それにしても、“ノエルさん”とは……、やっとノエルとノエルさんが同一人物だと気がついたのか?
「自分で立てます。下ろしてください!」
「暴れたら危ない」
落とさないように抱き寄せると、彼女の手が私の胸元に当たった。しばらく、思い悩むようにペタペタと触られ続けた。
流石に友人兼婚約者であっても恥じらいというものを持ってもらいたい、痴女の類かと聞きたくなる。
「……マリオン」
やめてくれ。そういうより早く。
「ノエルさん……、ノエル?」
マリオンは私の名前を確かめるように呟き、目を見開いた。
確実に同一人物だと認識した、とわかった。そうわかった次の瞬間、くたりとマリオンの体から力が抜けた。
「??大丈夫か!」
気を失った彼女に驚愕し、声をかける。そんなに、私がノエルさんだったのが嫌だったのか?
呆然とそんなことを思い浮かべていると、いつの間にやら自力で降りてきたらしい同僚が声をかけてきた。
「悲壮感たっぷりな表情だが、どうせ思い過ごしだ。火災で窓から飛び降りるなんて、普通の令嬢がすることじゃない。疲れが出たんだろう」
「マリオンさんを医務室に連れて行きなさいよ。どうせ、あなた一人いたところで何の役にも立たないわ」
他の適当な手の空いている騎士を捕まえて護衛に付かせるからと姫にしては気の利く一言を貰い、マリオンを医務室に預けに行くことにした。
確かに、今日は色々なことがあった。
マリオンにとって、王宮で賓客の話し相手をすること自体、慣れない事だったろう。それに加えて、放火だ。気を失っても仕方ない。
決して私が原因ではないはずだ。自分の嫌な想像を振り切るように、無理やり結論づけた。
医務室で寝かせて四半刻もしないうちに、マリオンは目覚めた。
起きたマリオンに、勘違いに気がつきながら正さなかったことを怒られはしたが、事情を話せば納得してくれた。
こんなことなら、王太子が言った通り、さっさと話してしまうべきだった。
下心があって近付いてきたなどと、穿った考え方をしてしまうのは私だけなのだろう。
少し申し訳無い気持ちを隠すように、帰りは送ると伝えて、そそくさと仕事に戻った。




