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行き遅れ令嬢の婚約  作者:
三章
32/50

露見②

「こんな面白みもない話、もう終わりにしましょう。それより、なんだか臭わない?」


 気まずい思いでノエルから目を離し、フレア様の言葉に耳を傾ける。

 臭いか。すんすん。

 何も臭っていない気がするけど。

 ……、いや、わずかに焦げ臭い。


 わたしがそう思った時には、護衛役のノエルともう一人の男が持ち場から動いた。

 名前も知らない白服の男はフレア様と公爵を庇うように、ノエルはカーテンを開け窓を開け放った。

 とたん焦げ臭さと火の粉が混じった煙が部屋の中に流れ込んだ。


「なにこれ……」

「下の階が燃やされています」


 ゾッとした。だってここは二階だ。しかも、普通の民家とは違い、天井が高い。

 飛び降りるとしたらどれだけ地面と距離があるだろう。十ヤード、いや、それ以上かも。


「下に降りられそうな階段はありますか」


 公爵がフレア様の肩を抱くように手を添えながら、ノエルの方を向いた。


「いえ、その辺りが重点的に焼かれているようです。おそらく魔法でしょう」


 ノエルの答えに公爵は表情を険しくさせた。


「人が来る様子もない。おそらく何かしらかの方法で人払いがなされています」

「と、言うことは、助けを待っていたら私たち焼死体になってしまうのね。なんとかしてくださる? あなた方の守りが杜撰だったことの尻拭いくらいなさってね」


 フレア様の刺々しい言葉もこの時ばかりは仕方ない。さすがに賓客を招いた場所を放火されるなど、あってはならないことだ。

 それに、助けを待っていたら焼け死んだ、なんてわたしだって絶対にイヤ。

 ノエルは続き部屋になっている隣室からベッドシーツをあるだけか引っ張ってきて結び出した。


「おい、そんなの持ち出してどうする気だ」

「私が降りられるか試してみる。私が降りたら、順番に飛び降りるようにしてください。受け止めますから」


 最初の言葉は同僚に、後の言葉をその場にいる全員に向けて放つと、ノエルは隣室に移り、そこにある寝台の足にシーツの端を括り付け、窓からするりと降りて行った。

 でも、わたしの目算ではあのシーツは十ヤードもない。それを寝台のところから伸ばしているとなると、どれ程の距離を飛び降りる気なのか。

 慌てて、窓辺に近づき下を見ると、思ったよりも盛大に燃えていたようで、黒煙を大量に吸い込んでしまった。


「危険です」


 けほけほと咳き込んだわたしの肩を引いてくれた人物を見上げる。


「ウィスタリアさん。ありがとうござます。考えなしでした」


 あんなに燃え盛っているとは思わなかった。まだ二階に火の手は来ていないし、熱気が漏れてもいないから、もっとマシなのだとばかり。

 でも、酷い状態でないのなら、それこそ階段を探したり、部屋を移って壁の凹凸をつたって降りるなりするか。

 ようやく理解した命の危機に、手が震えてきた。


「大丈夫ですか?」

「ええ、すみません。ご心配をおかけして」

「いいえ別に。それより、ノエル様はきちんと降りられたようですね。着地音がしました」


 手は震えたままだが、それでもノエルが無事に下に行ったことに少し安堵した。

 下に受け止める人がいるなら、何とかなるかもしれない。


「次は私が行きます。フレア、下で受け止めるから、私が降りたらすぐに後に続いてくれ」


 公爵がそう言って窓からシーツをつたって飛び降りた。続いて、フレア様も。

 その後も賓客側の侍従と身分の高い人たち順に窓から出て行く。最後に残ったのは白服の騎士とわたし一人だった。


「マリオン嬢。大変お待たせして申し訳ない」


 火の手はその頃には部屋まで回り込み始め、床の敷物が燃え始めていた。窓辺にあったカーテンは火が燃え移って危なかったため、早々に剥ぎ取られて、そこにはもうない。

 辛うじて壁が燃えていないのは、この城が木造ではなく、土や石でできているためだろう。部屋に熱気がこもって、蒸し焼きにされている気分だ。


「壁面に触るのは危険です。窓枠に足をかけたら、手を触れず、飛び降りてください」


 飛び降りる!!

 この二階の高さから?

 シーツを掛けてからずいぶん時間が経っているし、燃えてしまっていても不思議はないかも。でも、窓枠に手を置くことさえ許してもらえないなんて。

 さっきから怖くって飛び降りる人のことを見ていなかった。みんな、ここから身一つで飛び降りたのかな。


 歩かなければと思うけど、足に力が入らない。おかしなくらい膝が笑って、立っていることがやっとだ。窓枠に足をかけるどころか、窓に近づくことさえままならない。


「マリオン嬢」

「す、すみません、な、なんか」


 怖いなんてこの状況で言えない。蒸し焼きにされる方がいやだ。

 でも、二階の窓から落ちて下手したら死ぬんじゃないかとか、骨を折るのは大いにあり得そうとか、そんなことを考えてしまって、どうしても足がすくむ。

 もちろんノエルが受け止めてくれると言っていた言葉を信じていないわけではない。でも、わたしは女にしたら大柄だし、この高さから落ちたら重力がかかって余計に重いだろう。受け止めるノエルも怪我をするんじゃないだろうか。


 恐怖でうまく体が動かない。震える手に生温かいものが触れた。なんだろうと思って見おろすと、雫だった。なんでこんなところに水滴が……。手で頬を触れると、その水滴はどうやらわたしの目から溢れていたようだ。


「マリオン嬢。失礼いたします」


 騎士はそう言ってさっとわたしを抱き上げて、そして窓の外に放り投げ……、て。


「ぎゃああああああぁぁ」


 人生で今までないってくらい声が出た。

 しかも可愛くない、生存本能むき出しの声だ。自分が出していることが信じられず、ぼんやりとしてしまった。

 空が青い……。

 多分このままだと背から地面にぶつかる。ぎゅっと体を抱きしめる様に抱え込んで、衝撃に備えていると、どんという効果音とともに衝撃が背中と膝裏に伝わった。

 でも、地面に落ちたとかそんな強烈な痛みじゃなくて、痛いは痛いけど、軽い打身的な痛み。


 いつのまにか瞑っていた目を開いて目を開けると、そこには熱気で煽られたクリーム色の髪が風圧で舞い上がっていた。

 心配そうな薄水色の瞳は炎の橙色が映り込み、夕焼けのような赤色に染まって見える。


「ノエルさんどうしてここに?」


 助けてくれてありがとうとお礼を先に言うべきだろうけど、少し気になってしまった。

 わたしがノエルさんを見つめてそういうと、ノエルさんは驚いたように目を見張った。

 なんで、そんな驚いた顔を……、ってそりゃそうか。空から人が降ってきたら誰でも驚くよね。

 でもすごいなあ、この体勢から考えてノエルさんが抱きとめてくれたのか。ん? この体勢、ノエルさんにとっても負担なんじゃ……。


「すみません。自分で立てます。下ろしてください!」

「暴れたら危ない」


 ノエルさんから離れようと胸を押した。その拍子にバランスが崩れ落っこちそうになった。

 慌てて抱え直された。

 待って、今の手の感覚……。胸がない。騎士服が厚手だから、絶壁だとわからないかもしれないけど、でも多分、そんなんじゃない気がする。


 念のためにと胸元をもう一回触ってみたけど、絶対に胸がない。しかもこの硬い感じは胸板というものでは?


「……マリオン?」

「ノエルさん……」


 痴女みたいに胸を触ってごめんなさい。

 でも、あなた男だったんですね。

 白服の騎士を務めていて、クリーム色の髪と薄水色の瞳を持つ男……。それに合致する特徴を持つ人を他にも知っている。


「ノエル?」


 それでここに居てもおかしくなくて、なんなら下で全員のことを受け止めると言った人。そんな婚約者の名前が口から落ちた。


 ノエルさんとノエル。全く同じ名前に色味。背丈も同じくらいで、なんで気付かなかったんだろう。

 ああ、そうか。

 ノエルの火によって橙色に染まった解けた髪を見ながら、合点がいった。わたし、同性のノエルさんとして彼と過ごした一年余り、髪を括っているのを見た事がなかったんだ。

 それに引きかえ、婚約者としてあった時、いつも彼は髪を括っていて、だから髪の長さを気にした事がなかった。


 胸元近くまで伸びるノエルのクリーム色の髪が熱気によって少し舞い上がっていた。

 わたしはまだノエルに横抱きにされたままだ。でも、もう驚きすぎて、下ろしてくださいという気にもなれなかった。疲れた。


 そして、気がついた時には視界が暗転していた。






 ――…………オ……。


 ふわふわゆらゆらと体が揺れている。


 雲の上を歩くように、あれ、でも、わたしは歩いているのだろうか。足に力を入れてもいない気がする。


 ――マリオン……。


 あれ? 何か聞こえた?

 耳をすませてみる。


 ――起きろ。


 今度はしっかりと聞こえた。ああ、わたしは眠ってしまってたんだな。でもなんで、寝ているんだろう。いや、誰が起こしているんだろう。


 ぼんやりとした夢うつつの状態で、うっすら瞼を持ち上げると、金色がまず目に入った。


「ようやく起きた。マリオン大丈夫か?」


 いや、違う。あれは金色じゃない。


「ノエルさん……、ううん、ノエル」


 もっと優しく淡いクリーム色だ。

 解かれた髪を見て一瞬ノエルさんかと思ったけど、ノエルさんもノエルも同一人物で、わたしはずっと勘違いしていたんだと、思い出した。


「気付いたのか?」


 それにこくりと頷く。


「ノエルはいつから、わたしが勘違いをしていると気が付いていたの」


 さっきの反応からして、わたしが勘違いをしているとわかっていて、誤解を解いていなかったのだろう。でも、なぜそんなことを?

 少しイラッとして軽く睨むと、困ったようにノエルは目を逸らした。


「顔合わせをして戻ってきた後すぐに。悪かったと思っている。だが、言い出せなかった」

「どうして……」

「なぜか婚約者になってしまっていたから。下心があって近付いた、と思われたらと不安だった」

「ノエルが望んだことじゃなかった?」

「まさか。殿下が裏から手を回したらしい。だが、こんなこと言い訳にもならないな。本当に悪かった」

「そう、王太子様が」


 ちょっと現実味がない。

 わたしはしがない子爵家の娘で、かの人に会ったのは遠目に数度だけだと思う。自信はないけど。

 でも、まさか、わたしの婚約に王太子様が関わっているなんて思わないじゃないか。


「すまない」

「そんなに謝らないで。別にそこまで怒っていたわけじゃないから」


 何度も重ねて謝られるとわたしとの婚約が不本意だったと言われているようでちょっと傷付く。いや、こんな年増との婚約、間違いなく不本意なんだろうけど。

 さっきも、自分が望んでたことじゃないって、はっきり言われてしまったし。


「よかった」


 罪悪感が少し和らいだのか、困り顔が消えて、いつもの無表情が戻ってきた。

 その顔を見て少し泣きたくなった。胸が詰まるような息苦しさがある。

 フレア様、わたし、わかった。多分、ノエルに恋をしている。だってそうじゃなかったら、こんなに胸が痛くなることはないでしょう?

 ずっと前から実は会っていて、それでいて婚約は王太子様が持ってきたものだなんて、わたしのことを女として好きなわけじゃないと言っているようなものだ。

 恋を自覚してすぐ、相手にそんな気がないって聞かされるのは結構くるものがある。


「マリオンはまだ念のため休んでいて。ここは別棟の客室だが、使用許可は取ったからしばらく使える。私はもう持ち場に戻らねばならない。……ずっと付いていてやれなくてすまない」

「さっきから謝ってばかり。意識を失うなんて、わたし確かに疲れていたのかも。眠るくらいひとりでできるから、仕事に戻って、心配させてごめん」


 優しくされると嬉しくなるけど、それと同時に辛くなる。

 わたしはノエルに友情を感じているのかも、と思っていた。でも、こんな気持ち、友達に思うものじゃない。ノエルさんに対して感じていた憧れに似た友情とは違う感情。

 わたしを見て欲しい。わたしだけに優しさを向けて欲しい。


「後で迎えに来る。そんな状態でひとりで帰らせるわけにはいかない。送るからそれまで待ってて」


 そう言って部屋からノエルは出て行った。

 ノエルの言葉は甘くて甘くて苦い。言葉が降り積もるごとに息苦しさが増していく。まるで毒のようだと思った。


 それでも、その優しさが欲しいと思うのはどうしてなんだろう。失恋の味を噛み締めながら、息を殺して泣いた。誰にも、特に彼には絶対に気が付かれないようにこっそりと。

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