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行き遅れ令嬢の婚約  作者:
三章
30/50

抱擁

 あの後、ノエルと二人っきりで話す時間はなかった。彼はフレア様の護衛に任命されており、わたしも彼女の付き人に任命されているから仕方のないことなのだろう。

 せめて、休日くらい同じ日であればいいのにと思うけど、フレア様の周囲は順番に休みをもらっているので、被ることはない。


「どうされたの? 浮かない顔をしているわ」


 今日はノエルが休みのため、白服の副隊長とノエルの同期が警護に当たっている。


「いえ、なんでもありません」

「とてもそうは見えないわ」

「本当にフレア様のお耳に入れるようなことは何も……」

「あら、それはあなたが判断することではなくってよ。何を悩んでいらっしゃるの? 言ってごらんなさいな」


 フレア様は絶対に聞き出してみせると言うように、わたしの服の袖をぎゅっと握った。そんなに力を込めて握られるとシワになりそうだ。


「先日、婚約者の前で失言してしまい、どうしたものかと思っております」

「どう言った類のもの? 陰口でも聞かれたのかしら?」


 それはそれでひやっとしそうだ。

 なるべく婚約者がノエルだと分からないように遠回しに何があったのか話してみる。


「彼が近くにいるとは知らずに、友人に婚約者の顔が分からないと話してしまいました。呆れた話ですよね」

「何を呆れると言うの?」


 不思議そうに問うてくるものだから、一瞬虚をつかれた。


「婚約者の顔が分からないんですよ。絶対に相手も怒っているでしょう」

「わざとではないのよね? 婚約者はあなたが人の顔を覚えるのが苦手だと知っていらっしゃるの?」


 その問いかけに首を横に振る。


「いえ、今までそのような話をしたことがありません」

「なら、貴女が謝って、それで言い訳の一つでもすればよろしいのよ」

「許してもらえるでしょうか?」

「それは分からないわ。でも、誠心誠意謝って、こちらの事情も話しているのに怒ってばかりの人なんて、嫌ではない? もしそんな人ならこちらから願い下げよ、と言ってあげればいいわ」


 その発言にぎょっとした。向こうに非がないのに、そこまで開き直ることはできない。


「そ、そのようなことできませんよ」

「あら、相手のことを愛してらっしゃるのね」


 目を細めて愛おしげに微笑むものだから、いつもの幼げな様子が鳴りを潜めている。誰を思っての表情だろう。愛おしい誰かを思い描いているのかもしれない。

 恋愛は人を大人にすると聞いたことがある。だとすると、恋愛もわからないわたしはもしかして子どもなのかな。


「愛とはなんでしょう? 彼とは政略的に婚姻関係を結んだので、恋い焦がれる気持ちというのが分かりません」


 このような話、賓客にすることではない。

 だが、わたしのことを友人だと以前に言ってくれたから、少し打ち明けてみる気になった。


「憎からず思ってらっしゃる?」

「それはもちろん」

「なら、その人といるとドキドキしたり恥ずかしくなるようなことは?」

「ありますが、それは異性を相手にすれば誰にだって起こることだと思います」


 同年代の異性に接近されて素面でいられるほど、男性経験はない。

 エブリーは未成年であるため、ある程度は大丈夫なのだが、追いかけ回されるのはキツイ。


「なら試してみたらいいわ。そうね、ウィスタリアこちらに来て!」


 試すって何を?

 壁際に控えていたセルジオさんがフレア様の横まで来て、フレア様の手を取った。


「わかったわね」

「承知いたしました。奥様」


 そう言って手を離すと、すたすたと近づき腕を背に回してきた。ってこの状態はハグとか抱擁とかそういう類のものでは?

 え? あの一言の間に、そんな近距離に接近しろという言葉が隠されていたのか?

 不意をついて抱き竦められたことで身に危険を感じた。心臓が早鐘のように波打っている。ひやりと恐ろしさに冷や汗が額から滑り落ちた。


「姫様、お戯れが過ぎます。従者殿、早く彼女を解放していただきたい!」


 ノエルの同僚だか、白服の副隊長か分からないが、護衛役から待ったが掛かった。

 誰か分からないけど、ありがとう。驚いて言葉も出なかったから助かった。


「ウィスタリアもういいわ。で、マリオンさんどうだったかしら?」

「えっ、ど、どうとは?」


 セルジオさんは悪戯めいた笑みを浮かべながら、わたしの体を縛めていた腕を解き、フレア様の横まで下がった。


「どんな気分になった?」

「え、っと」

「婚約者に抱き締められた時と同じ気分になった?」


 いや、まずノエルに抱き締められたことないし。


「ウィスタリアに抱き締められてどきどきした? 羞恥心はまあ妙齢の女性だし、男性に抱き締められたら誰でも感じるかしら?」


 ごめんなさい。行動が怖すぎて羞恥心なんて感じる暇なかった。どきどきよりも心臓がドッドッドって嫌な音を立ててたし。

 でも、そういうことか。ようやくフレア様の行動の意味がわかった。


「もしかして比べることで、恋愛感情をはかろうと?」

「まあ、そんなところよ。で、どうだったの?」

「婚約者に抱き締められたことなどないので、比べる対象がありません」

「そんなの、想像でなんとでもなるでしょう?」


 そういうのなら、知り合い未満の人に抱き締められるのも想像で済ませたかった。

 もう動悸は収まったが、それでも恐怖感が抜けきっておらず、鳥肌が立ったままだ。


 もしノエルに抱き締められたら同じように感じるだろうか。一瞬思考を巡らせ、恐怖は感じなさそうだと判断した。

 どう思うかはその状況になってみないと分からないが、彼の近くにいて恐怖を感じることはないと思う。気遣い屋だからわたしが恐怖を感じるようなことをするとはとても思えないのだ。


「おそらくちょっと違った気持ちになると思います」

「ええ、ええ、そうでしょうとも。それを愛というのよ」


 信頼関係はあっても、愛というにはあと一押し足りないような……。


「そうでしょうか?」

「間違いないわ。ウィスタリアもそう思うでしょう?」

「おそらくは、そうかと存じます」


 セルジオさんが賛同してしまったために、フレア様は我が意を得たりとわたしの気持ちを決め付けた。

 セルジオさん、初対面の時から思ってたけど、あなた奥様第一だよね。

 藤色の渾名(あだな )を付けられたセルジオさんはとても幸せそうにフレア様を見ている。ただの主人の夫人に対するものにしては違和感があるように感じるのはわたしの気のせいだろうか。

 もしかしてフレア様に懸想でもしているの?

 でも、フレア様は既婚者だし夫は王弟で公爵位を持っていると言うから、実ることのない恋心を募らせているのか。


 紫の目を見ていると、ちょっと雰囲気がおっかないルチアーノと呼ばれていた男を思い出す。想像の中のわずかに紫がかった青い瞳の男とセルジオさんを比べた。







 終業時間になり、部屋を退出する。しばらく歩いていると、背後から追ってくるように足音がした。

 振り返り、そこにいた人物に目を丸くする。


「えっと、セルジオさんどうされました?」

「先程はご無礼をいたしました」


 大丈夫ですよ気にしてませんからとは流石に言えない。女性にいきなり抱きつくのは紳士的ではない。

 困ったように曖昧に笑うのが精一杯だ。


「ノエル様にも謝罪をしたほうがいいですか?」


 含むような笑いとともに落とされた一言は、とてもではないが信じられるものではなかった。

 バレないように名前は伏せて話はしたし、わたしが顔を分からないのは彼に対してだけではない。どこで婚約者がノエルだと気が付いたのだろう。


「何故それを?」

「秘密です」


 夕日に照らされて蠱惑的に藤色の瞳が光った。


「お詫びと言ってはなんですが、彼とのことはフレア様には黙っておきましょう。友人関係にヒビが入ってはいけませんしね」

「やっぱり、フレア様はノエルのことを嫌っているのですね」

「仕方のないことです」


 切り捨てるような冷たい言い方だ。フレア様が嫌いな人は敵という過激思考でも持っているのだろうか。


「理由は……、教えてくれないのですか?」


 伺うように見ると、苦笑された。


「申し訳ございません。今は言えません」


 いつかは言ってくれるのだろうか。

 それはいつだろう? 明日という事はないし、蟠りが残っても大丈夫そうな帰国前とかかな。期待しないで待っとこ。


「分かりました。謝罪は受け入れましょう。ではまた明日」


 これ以上話していても、きっと混乱するようなことだけ言って、色々はぐらかされて終わるだろう。ならいっそ何も聞かないほうが心の平穏が保たれる。

 別れの挨拶とともに、彼に背を向けた。


 一歩二歩と進むと、それを追うように声を投げられた。


「忠告しておきます。彼とのことは絶対にフレア様にバレてはいけません。彼女は大切なものに優先順位をつけておられる。一時でも彼女の側に侍るのなら貴女はそのことを知っておかれるべきです」


 後ろを振り向くともうセルジオさんはこちらに背を向けてフレア様のいる客室に向かって歩き出していた。

 曖昧な忠告だけがわたしの掌の上に残った。

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