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行き遅れ令嬢の婚約  作者:
三章
29/50

失態

 王宮には他国からの使者や遠方の高位貴族を迎える賓客室が多数存在する。

 フレア様のお側付きをするようにとの辞令を受けてから三日経ち、今日ようやくフレア様のもとに行く。

 王宮の侍女に先導され、フレア様がいらっしゃる部屋の前まで来た。ノックして入室許可を得ると、侍女が扉を開けてくれた。


 中には先日廊下で会ったセルジオさんと白い隊服を身に纏った騎士の人が一人、壁際に控えていた。そして、部屋の中央、ソファーにフレア様が座っていて、取り囲むようにしている三人の侍女から接待を受けている。


「近衛はもう一人、担当がおります。ただいま席を外しておられるようですが、じきにお戻りになられるかと存じます。それでは、わたくしは失礼いたします」


 そう言って案内をしてくれた侍女は引き返して行った。


「おはようございます。本日からフレア様の話し相手として呼ばれました、マリオン・ロペスと申します。よろしくお願いしますね」


 いつもは姓を伏せているが、流石に賓客相手にそれをすると不敬にされてしまいそうだ。


「マリオンさん、今日からよろしくお願いするわ」


 にっこり上機嫌で出迎えてくれた。この様子だけ見ると、全く気難しいようには思えない。

 さて、何を話したものか……、わたしは人と情緒に富んだ会話を得意としているわけではない。何を話せばいいのだろう。

 それにしても今日の服も豪華だなあ。

 若草色のドレスに白いレースの縁取り。よく見るとドレスにも銀糸で刺繍がされている。

 今日は髪が結い上げられていて、パールが散りばめられたヘッドドレスをつけていた。


「華やかな装いですね。早めの春を感じる彩でお綺麗です」


 衣装の総額がわたしの年間の生活費を超えている気がする。


「まあ、その言い方だと私は綺麗ではないと言うの?」

「フレア様はいつ見ても若々しく、綺麗です。ただ、わたしは人の顔の判別が苦手なもので、人物に対する審美眼は常人の平均を著しく下回っていると思います。そんなわたしに褒められても微妙な気分になりませんか?」


 綺麗だなあ美しいなあとは思う。ただ、はっと息を飲むような美貌を今まで感じたことがない。

 誰それが麗しい容貌をしていると聞き、その方を見ても整った顔をしていると思うだけで、後日顔を思い出そうにも全く出てこないことがほとんどだ。

 フレア様の装いはもちろん本人も可愛いと思うのだが、顔を覚えることもできないわたしが褒めても嘘くさくならないだろうか。


「分かりきったおべっかは嫌いだけど、マリオンさんはもう少し世辞を学んだ方がいいわ。他人を褒めるときは大袈裟なくらいでちょうどいいのよ。きっと変なことを気にし過ぎているのね」

「そうなのでしょうか?」


 褒めておいて次会った時に顔がわからないのはとても失礼なのではないかと思ったけど、気にし過ぎだったのだろうか。


「もちろんよ。純粋に褒められて嬉しくならない人はいないわ。それと褒めるのにもコツがあって、具体的に褒める方が相手の気分も良くなるというのものよ」

「そういうものですか。……、本日のフレア様はとても可愛らしく、冬にあって春の精のようです。髪を結い上げているのを初めて拝見いたしました。髪を下ろされている時は、幼げでわたしと同年代であるはずなのに可愛く可憐な様子ですが、本日は少し大人びて上品な……」


 つらつらと思いつく限りに褒め称える。元がいい人は褒めどころが多くて助かる。

 ずっと可愛いと思っていたし、顔が中途半端にしか認識できなくとも、声も仕草もとても優美で目にとまる要素が多くある人だ。雰囲気がすでに他者と比べて秀でており、それを際立たせる洋服を身につけているのだから、褒めどころに困ることがない。


「ちょ、ちょっと、いきなり饒舌になり過ぎてはない?」


 十数個目の褒め言葉を言い募っていたら、慌てて止められてしまった。


「そ、それに、そんなに人のことを見ているのに顔が分からないなんてあるの?」


 ほんのり薔薇色に染まった頬もとても可愛い。でも、細部の可愛い精巧な作り物めいたパーツがわかっても、全体で見るのは難しい。


「わたしは人の顔を把握をするのが苦手なのかもしれません。顔の作りや美醜はある程度判断できるのですが、やはり普通からは程遠いと思います。ひとつひとつの部位や全体の配置が理想的に近いからといって、必ずしも美しいとは限りませんよね? よく見ると微妙だとかなる人がいるようですが、わたしには違いが分かりません。どこの部位がどれだけ理想から外れると美醜が分かれるのか、そこのところが理解できないのです」


 その人が本当に容姿で優れているのかどうか、判別できない。それに、その微妙な評価でさえ見ている時にしかできず、目を離すとその人の顔に靄がかかったように思い出せないことがほとんどだ。

 しかも、同じ人でも髪の結い上げや流し髪の違いで別人に見える。別人のようにではなく、全く別のものと識別してしまうのだ。

 だから、本日のフレア様は一瞬、誰だかわからなかった。化粧の仕方は変えていないようなので、顔の造作が誤魔化されたとかではないはずなのに、髪の毛ひとつで見間違えてしまう。


「容姿を褒めておいて、次会った時に全く顔を覚えていなかったら不快にさせてしまいそうで。言葉を重ねてしまうほど嘘臭く聞こえるのでは、と今まで誰の容姿にも触れてこなかったのですが……」

「思ったよりも深刻なのね」

「そうでしょうか? それほど困ったことはなかったように思います」


 たしかに、たまに相手を怒らせたりしたが、それほど問題になったことはない。


「あら、そうなの? そういえば、この前もノエルのことをちゃんと識別していたわね。流石に、あれだけ造作が整っていると分かるものなのかしら?」


 整っていて綺麗だが、そういう顔こそ見分けがつかないのだ。

 婚約者だから分かると思いたい。ただ、残念ながら、あそこで彼を識別できたのはそういうことではない。


「分かると思いたいですが、先日間違えなかったのは認識できていたからとかではありません」

「…………?」


 ならどういうことだ、と目で問うてくる。


「以前より、彼の髪色と瞳は知っておりましたし、配属が王族の護衛だということも伺っております。ですので、白い服を着ておられる薄青の瞳と白金の髪色の男性というだけで大体は分かります」

「服装と配色で分かるということ?」


 いつも人を見分ける時、どうしているのか考える。服装と配色だけでは色々足りない。


「それと場所ですかね」

「場所?」

「ええ、ノエル様があの白服を着た状態でも王都の外で会ったら、分からない可能性があります」


 婚約者としてそれは色々まずいのだが、その可能性はとても高い。


「王都外で特別な任務とかをこなしているところに出会ったとしても、ノエル様は王宮で王族の護衛を担当されていると思い込んでいるので、見かけても分から、……ない、と、思います」


 扉がノックされてすぐに白い隊服を着た人が部屋に滑り込んできた。

 入ってきたのは誰だろうと、目を向けると婚約者だった。

 もしかして、今の話、聞かれた……?

 ……、今すぐこの部屋から逃げ出したい。


「ああ、噂をすれば影というものね。あんな顔だけ男、気にしなくてもよろしいのよ?」


 そういえばフレア様はノエルのことがお嫌いでしたね。

 たしかに、顔見知り程度の男性の顔ならわからなくても相手を不愉快にさせるだけですむ。でも、婚約者の顔が分からないのは致命的な欠点なのではないだろうか。

 恐る恐るノエルの顔を伺うとバッチリ目があって真顔で返された。そういえばあの人、表情筋が死滅しているんだった。

 顔からでは怒っているのか呆れているのかさえわからない。いや、怒髪天を衝く勢いで怒っていて普通だ。

 このままでは婚約を白紙に戻されかねない。

 顔見せの時にご両親に嫌われたのは確実だし、ノエルにまで嫌われてしまえばこの婚約に意味などない。

 終わったな婚約生活。こんにちは独り身生活。


「顔が青いわ。それほど気にしなくて大丈夫よ。ノエル、あなたも別にご婦人があなたのことを分からなくても、ちっとも気にしないわよね?」

「そうですね。ただ、せっかく顔を合わせているのですから、覚えていただきたいとは思います」

「他人に興味がなさそうなあなたでも、人に覚えてもらえない、というのは堪えるのかしら? まあ、いつもちやほやされているから慣れてないものね。自分のことを誰だって知ってるなんて、自惚れもいいところよ」


 フレア様がノエルをわざと挑発している。

 たぶん、ノエルも誰もが自分のことを知ってるなんて思っていない。

 婚約者なのになんで覚えてないんだ、ってことだろう。


「そのようですね。肝に銘じておきます」


 ノエルは悄然とした様子でふっと嗤った。

 あ、その嗤いはわたしに対して? それとも自嘲?

 本当にごめん。

 フレア様のいるところで、二人で話し込むわけにもいかないので、謝意を込めて目を伏せた。


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