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行き遅れ令嬢の婚約  作者:
三章
28/50

再会

 冬の初めに咲く花がある。ビオラなどは結構長い期間盛りがある。

 そういえば、これもスミレの仲間だよね。一般的なスミレと違って明るい色の花を見ながら、花弁を軽く撫でた。


「この花からも精油を取ってみようかな」


 でも、これは多分隣国の国花ではない。国花にはなぜかメジャーな紫の菫が指定されていた。

 紫は高貴な色だとされていて、王家や王家の血を汲む貴族には紫がかった瞳を持つものが生まれることがあるという。

 どこまで本当のことか分からない噂だが、それに因んでのことだ。


「城下の人たちが香水を融通してくれることで話がついたんですよね。保管されていた予備の香水の量は足りていましたか?」


 エブリーが他の植物に水をあげおわったようで、ジョウロを持ったまま近付いてくる。


「うーん。一通りはあったんだけど、量が少ないものもあったから試作できないかも」


 彼はようやく追いかけ回すのをやめてくれた。

 ただ、何気ない日常に距離を詰めてきたり、蕩けるような笑みを浮かべてくる。ものすごく居た堪れないから、目を逸らして気付かないふりをしているけど。


「ちなみに何ですか?」

「菫。ローズとジャスミンは人気のものだし、多めに作っているらしいけど、菫はそこまで大人気ってわけではないからね」


 不人気なわけでもなく、ほどほどの人気。だから、わずかでも在庫があったことに喜ぶべきか。

 ビオラを摘み、匂いを嗅ぐ。代用できないかなあ。


「何をしているんですか」


 呆れたような声を出しながら、エブリーは手に持ったビオラの花を覗き込んできた。


「せっかく咲いた花を摘むなんて」

「うわあぁ!」

「どうしたんですか。変な声出して」


 いきなり距離を詰めるから驚いたんだよ。普通、気付くでしょ!


「そこから二歩下がれ! いや、わたしが離れるから、これ以上接近して来ないで!」


 パーソナルスペースは腕の幅くらい欲しい。髪が触れ合う近さなんて家族しか許してない。

 手を振り回しながら後ずさると、背にどんと軽い衝撃を受けた。


「ひゃあ」

「先輩。僕を意識してくれたのは嬉しいですけど、後ろを確認しないと危ないですよ。大丈夫ですか?」


 慌てて後ろを振り返ると、エブリーは可愛らしい悲鳴をあげて転んだ女性に手を差し伸べていた。

 青味がかった灰色の髪に深い青の瞳。陽に当たったことが無いような白い肌の女性がそこにいた。編み込みされた髪を結ぶ青いリボンが左右に二つ風に揺られている。身に纏うドレスも薄青色でまるで水の妖精のようだ。


「あらあら、ありがとう。あら? そちらの方はマリオンさんではなくて?」

「えっと、どちらで様でしょうか?」


 自慢ではないが一度二度会っただけの人の顔など、綺麗さっぱり忘れてしまうのが特技だ。服や髪型をわずかに変えただけで、知人の見分けもつかなくなる。

 じっと女性の顔を見たが、やはりピンと来るものはなかった。

 失礼を承知で本人に直接聞いた方がいいと、とっくの昔に学んでいる。


「先日、従者と逸れたのを助けていただいたわ」

「あ、フレア様ですか!」

「思い出していただけたかしら? 敬称など不要よ。気軽にフレアちゃんとでも呼んでくださらない?」


 断じて忘れていたわけでは無いのだ。ただ、顔を見ても分からなかっただけで。

 それにしても、ちゃん付けなど恐れ多い。

 王宮勤めでフレア様のような、華美なドレスを着ているご婦人を見たことはない。フレア様は賓客か何かだろう。

 地方の高位貴族か隣国の重鎮か。どちらにせよ、王宮で賓客としてもてなされる人に気軽に接して、外交問題に発展したら目も当てられない。


「奥様どうしてこちらに?」

「悪化してるじゃない。私は貴女の奥様ではなくってよ」

「先輩、こちらの方とお知り合いですか?」


 エブリーがフレア様とわたしの顔を見比べて首を傾げた。


「奥様とは前回の休暇の時に知り合ったんだ。たまたま付き人と逸れているところを見つけたから、目的地に案内したの」

「もう! 奥様なんて呼び方されるくらいならフレア様って呼ばれる方が幾分マシだわ」


 これは言質を取ったと思っていいのかな。

 口を尖らせるフレア様を見ながら、ぼんやりとそんなことを考えていると、視界の端から慌てたように走ってくる人が見えた。


「姫様。護衛を撒くのはおやめください。おい、ノエルこっちにいたぞ!」


 え、ノエル? どっちの?

 どっちも久しぶりだから会えたら嬉しい。しばらくすると、クリーム色の髪を紐で縛ったノエルがやってきた。

 久しぶりに見た婚約者の顔つきは、いつもの無表情から嫌な意味で進化していた。


「姫様、手を煩わせないでいただきたい」


 眉を顰めているわけでもないのに、侮蔑を目にのせるなんてすごい技術だ。

 薄氷のような色の瞳が今は絶対凍土で、見たものを凍てつかせるのではないかと思えるほど冷たい。


「もう私は姫ではないわ。それに貴方はもう少し礼儀を学んでらっしゃい。不愉快よ」


 それにしてもこの会話。わたしはここで聞いていていいのかな。姫様とか聞こえたんだけど。

 そっとエブリーの様子を伺うと彼もぎこちない表情でこっちを見ていた。気が合うな。

 互いに目配せしあい、空気になろうとフレア様の近くから二歩、三歩と下がった。


「では公爵夫人、部屋にお戻りくださいますね」


 ノエルが有無を言わせぬ様子で言うと、フレア様はふんっと鼻で嗤った。


「嫌だわ。私、しばらくここでマリオンさんとお話するつもりだもの」

「……マリオン?」

「彼女のことよ。先日城下で会ったの。まさか王宮で働いていらっしゃるなんて思わなかったわ。あら? 貴方も彼女のことを知っているの?」


 ノエルはその段になってようやくわたしの存在に気がついたようで、驚いたように目を見開いた後、苦虫を噛み潰したような顔になった。

 今日は表情豊かだなあ。無表情と薄っすらとした微笑み以外を浮かべるなんて。

 できれば、フレア様にこの状況で名前を呼ばれたくなかった。気まずい。


「ええ、まあ、存じております。お久しぶりですね、マリオン嬢」

「お久しぶりです。ノエル様」


 公私を分ける必要があるのだろう。ノエルは他人行儀の短い挨拶をした。わたしも空気を読んで同等の挨拶を返す。


「まあ、このいけ好かない男にそんな丁寧な挨拶なんて要らないわよ」


 フレア様はノエルのことがお嫌いなのか。そうか。

 ちょっとだけ残念な気持ちになったが、他人のふりをしているものだから庇うに庇えない。


「公爵夫人でしたか。なんだか騎士の方達がお困りのようですよ。夫人、部屋に一度戻られてはどうですか?」

「ああああ! 余計に悪化してるわ。あの男が余計なことを言ったせいね」


 なんのことだろうと思っていると、フレア様はキッとノエルを睨みつけた。


「もう、ちゃんと名前で呼んでくださらない? せっかく友人になれそうだと思ったのに、だんだん気安い名称から遠ざかっていくのはどういうことなのよ!」


 姫様とか公爵夫人とか言われて敬われている人と気安い関係……。

 遠慮させてもらっていいですか? そう思うのに、小心者のわたしにはそれだけの言葉を口にするのも勇気がいる。


 わたしはいつの間にかフレア様に気に入られていたらしい。出会いの場面からやり直したい。

 固まった空気に耐えきれずに、息を吐いた。





「お前、姫に気に入られたらしいな」


 あの後、フレア様は回収されていった。


「園長……。やっぱり彼女は王家の方なのでしょうか」

「嫁いだから今は違うが、王太子殿下の異母妹だな。ついでに嫁ぎ先は隣国の王弟」


 業務終わりに上司殿に呼ばれて執務室に来たはいいが、先程から心臓によろしくないことばかり言われている気がする。珍しく上司殿も憐憫を含んだ表情で見てくるし。


「わたし、彼女とお友達になるそうですよ」

「何やったら、気難しいと噂の姫にそんなに気に入られるんだ」


 気難しい?

 あの方が?

 一度手助けしただけの人を覚えていて、フレンドリーに話しかけてくる人のどこが気難しいのだろう。

 距離感が近くて戸惑うほどなんだけど?


「分かってないならいい。それより出向命令が上から出てる」

「え? この部署の最高責任者は園長ですよね?」


 それとも植物園にも母体となる部署があったのか?

 そう思って上司殿を見ると、深い溜息とともに頭を掻きむしっていた。


「部署はな。だが、国家権力には逆らえないんでね。お前は明日からしばらく姫の付き人をしろ」


 その国家権力を使った命令の出元は王族ですね。でも、こっちにも仕事があって。


「香水作りまだ試作段階なんですが? それに、薬草園がいくら小さいと言っても、新人のエブリー、一人に任せるわけにはいきません」

「香水作りの依頼主が隣国だから、我儘に付き合う分だけ期限を延ばしてもらえないか交渉する。それに、次の会合には俺も参加するから、業務の遅れは心配しなくていい。薬草園は温室の人材に一時的に移動してもらう。勤続年数の長いやつなら、お前が見合い前に作った手順書見ただけでしばらくは持つだろう」


 だから諦めろ。

 そう締めくくって、上司殿は慰めるようにわたしの肩を叩いた。



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