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行き遅れ令嬢の婚約  作者:
二章
22/50

麝香②

 城下の人との打ち合わせはいきなりできるものではない。

 手紙を認めて仕事帰りに渡す算段をつける。それとは別に、植物園の研究室とも手を組めないかと、言伝を近くにいた研究室の見習いに頼んだ。


「今日は精油の抽出をしよう」


 麝香を使う香水と精油作りでは勝手が違うが、器具に慣れる必要があるので、本日の作業は精油作りにする。


「精油は混ぜたりすることがあるんですよね。ムスクも混ぜるものなんですか?」

「わたし、その手のことに疎いから。それはおいおい考えていこう」


 女性用の香水でもほとんど触らないのに、ムスクの多くは男性用香水に用いられるものだから馴染みがない。もっとも、この国には原料となる動物がいないのだから、馴染みがある人は王族や公爵くらいなものだろう。


「ただ、混ぜるとしたら、液体の揮発時間を計らないと。でも、現物置いているこの狭い部屋でその実験ができるのかは謎なところだよね。せめて保管庫だけでも隣に作ってくれないと、鼻が馬鹿になってしまう」

「ここで精油を混ぜても僕には匂いを判別できる自信ないです。そもそも、香水自体好まないので、何がいい匂いなのか……」

「前途多難ってことか。まあとりあえず、抽出だけでもやってみよう。就業時間後に上司殿のところにもう一度出向く用事があるから、その時に相談してみる」


 部屋に置かれている蒸留機の使い方を思い出す。

 こんな時、もう一人の薬草園の従業員がいてくれたらと思わないこともない。最近滅多に来ない老爺はもう仕事を辞めるのだろうか。

 もう一度来て後継に色々教えてほしい。わたしではきっと力不足だ。

 動物性の香水を作ったのも働き始めてから片手で数えるほどだ。どうにも荷が勝ちすぎる。

 エブリーに不安を与えないようにこっそりと溜息をついた。




 日が暮れ、そろそろ今日は作業を中断しようと言う時間になるとすっかり鼻が馬鹿になってしまった。

 それでも息苦しく、二人で麝香と花の匂いから逃れるように外に這い出ていき、ガゼボに向かう。そこには今朝持ってきた籠が置かれたままだった。

 流石に異臭が漂う研究室に持ち運んで臭いがついてしまってはかなわないと思いそこに置いたのだ。

 いや、今は私の衣服にもそれはどぎつい臭いが付いているだろう。エブリーの話を聞く前に上司殿に籠とノエルさんへの手紙を預けた方が良さそうだ。


「エブリー、悪いけど、わたしちょっと用事があって、執務室に行ってくる。すぐ帰ってくるから、待ってて」


 窓を開け放って作業をしていたが、あまり風がなかったため換気されず、臭いが籠もってしまって辛かった。

 エブリーは声を出すのも辛いほど気持ち悪いのか、こくこくと頷いた。

 それを確認してから上司殿が残業していると思われる控え室に向かう。やはり光は灯っていて、ノックすると「入れ」と簡潔な声が聞こえた。


「何か用か、て臭いぞお前。肥溜めにでも足突っ込んだのか? 女捨ててるな」


 もしかして今朝方エブリーが言ったことに対する当てつけだろうか。

 わたしが言ったわけじゃないのに。


「園長こそ礼義をどぶにでも落としてきたんですか? 乾燥してない麝香と一緒の部屋で作業したら誰だって臭くなります。業務内容なのでやってますが、普段ならわたしだって気にします」

「で、何だ? 研究室の換気設備に文句つけにきたのか?」

「それもお願いします」

「も? じゃあ、他にも何かあるのか?」


 何だと顎をしゃくるその姿は完全に王宮の務め人のする仕草ではない。完全にゴロツキだ。

 上司殿もこの臭いにめっきり弱っていると見た。


「ただの私用です」


 そう言ってつかつかと距離を詰める。椅子に座っていた上司殿はうっと呻きながら、上半身を反らせた。

 そんなに臭いか! 失礼な人だ。

 机を挟んで真向かいに行くと、籠を机の上に置いた。もちろん、山のようになっている紙束が崩れないように、紙が比較的少ないところに。


「何だこれは?」

「わたしのお友達のノエルさんにこれを渡していただけませんか?」

「自力で渡せばいいだろ。俺は便利屋じゃない」


 それができれば苦労ない。上司殿に呆れられるのを承知でノエルさんの住まいを知らないことを話した。

 そして案の定呆れた顔をされた。


「お前……。言いたくはないが、呆れるほど抜けてるよな」

「知ってます」

「わかってない。今回だけだからな。次会ったら名前を尋ねるか住所を尋ねるかしろ。いや、それよりその手紙に書き足せ、今すぐに」


 そう言ってペンを渡してくる。インクをペン先に乗せ、手紙の最後に名前を教えて下さいと書きつけた。

 その手紙を籠の中に入れる。


「もう日が暮れてる。今日渡せるかは保証できない」

「食べ物なので近日中に渡していただけませんか?」

「夏場に食いもん入れるとか、食中毒起こす気か?」

「生物じゃないですし、お酒にも浸しているので一週間ほどは持ちます」


 初夏の陽気を考えるとなるべく早く食べて欲しいが、それでもすぐ腐るものは入れていない。


「ふーん。まあどうでもいいか。明日には渡してやる」


 上司殿はそう言って籠を机の端に置いた。

 それを確認してから部屋を退出する。

 早く戻らないと。待たせているエブリーを思い、早足で薬草園に向かった。


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