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行き遅れ令嬢の婚約  作者:
二章
21/50

麝香①


 保管庫の生姜を拝借してから数日後、ノエルさんにパウンドケーキとジャム、ノエルにジンジャークッキーを作り終えた。

 ただ、まだノエルに渡すプレゼントが出来上がっていない。


 ノエルさんも騎士だから、もうそろそろ会えなくなるだろう。せめてその前にお菓子を渡したいし、できれば会いたい。そう思って、筆を取る。彼女に手紙を出すのは久しぶりだ。

 手紙を書き終え、宛名を書く時に愕然とした。わたし、ノエルさんのファミリーネームを知らない。暗黙のルールを遵守しすぎた。

 ノエルなんて名前、寮母さんに渡せば絶対に婚約者の方に手紙が行ってしまいそうだ。彼の有名度合いは伊達ではない。同僚の名声をかき消すくらい造作もないだろう。

 第一、彼女が寮に住んでいるのかも知らない。

 いっそ白服を着ている騎士をひっ捕まえて、手紙を渡してもらうように頼むか。だが、じきに警備強化がされる場内をうろついて不審に思われても嫌だ。彼らは王族の警護なのだから今からピリピリしていそうだ。


 そして、閃いた。

 上司殿に頼めばいい。彼は、ノエルさんと顔を合わせたことがある。

 パウンドケーキを紙に包んで木箱に入れる。瓶に詰めたジャムも気に入ってくれるといいなと思いながら、木箱とともに籠の中に入れた。





 最近エブリーの元気がない。

 籠を片手持ちに植物園に来て、エブリーを探すとまだ彼は来ていなかった。最初の方は早く来ていることが多かったが、あの父親を名乗る男が来てからは時間ギリギリに出勤することが増えた。

 ガゼボの椅子に籠を置きしばらくその隣に腰をかけ、エブリーを待つ。


 今日も園にある日時計が就業時間を示した丁度その時に、やって来た。


「エブリー、もうちょっとで遅刻しそうだけど、大丈夫?」

「すみません。体調が優れなくて。でも、時間までにはちゃんと来るようにしてます」


 そう言うと、ポケットから鈍色の懐中時計を取り出した。

 珍しい。懐中時計は高級品だ。貴族といえど子どもが持つことはない。エブリーが持っているとは思わなかった。


「これ、父がくれたものなんですよ」


 エブリーは苦笑いを零した。


「先日はご迷惑をおかけしました」

「大丈夫?」

「絶対にとは申せませんが、もう王宮に押し入ってくることはないと思います」

「そうじゃなくて、心配してるの。何か相談に乗れることはない?」


 別にこの前の男が王宮で問題を起こすとは思っていない。この前の恐怖した顔を考えると、もう訪れることもしないだろう。本当に上司殿は何を言ったのだか。

 そんなことより、わたしにはエブリーが調子を崩していることが心配だった。


「心配をかけてしまいましたか」


 エブリーは驚いたように目を丸くさせた。


「当たり前。家の事を無理やり聞き出すのは無粋だし、褒められたことではないのは分かっている。でも、誰かに心のうちを吐露することで気分が軽くなることもあるよ?」

「ファミリーネームを隠す暗黙のルールからすると、家の相談なんて御法度なのではないですか?」

「あんなもの、皆んなが気持ちよく仕事をするためにあるものだから。揉め事を起こさないようにって。でも、そのせいで一人ぼっちで悩んでたら世話ないよ」


 エブリーは困ったように懐中時計とわたしの顔を見比べて、懐中時計の蓋を閉めるとポケットに入れた。


「就業時間後にお時間頂けますか?」


 緊張した面持ちで目を合わせてくる彼にもちろんと頷いた。

 これで陰鬱とした職場環境が少しでも払拭できたらいいのだけれど。そう思いながら、本日の作業を始める。


 今日は植物園の方に顔を出すように指示が来ていた。何時か指定はなかったから、細々とした作業をした後、エブリーを連れて植物園の中にある執務室に向かう。


「それにしても、何かあるのかな?」

「先日、隣国から使者が来たそうです。それ関係かもしれませんよ?」

「使者か。でも、この場所に関係あると思えないけどね」


 勤めて何年も経っているわたしより、エブリーの方が情報通だ。その事実に軽く目眩を覚えながら、気にしてませんよという体を装う。


「確かにそうですね」


 まあ、何の用で呼ばれたのか上司殿に聞けば分かる話だ。

 目の前まで来た執務室のドアをノックする。


「マリオンです。チェスター園長、御在室でしょうか」


 中から「入れ」と声が聞こえた。

 その声が少し嗄れて聞こえて、エブリーと顔を合わせる。

 どうしたんだろう? 風邪かな?

 そんな心の声を交わしながら、ドアノブを捻り、室内に体を滑り込ませると、強烈な臭いがした。


 え! 何これ?

 いや、でもこれ今まで味わったことがある気がする。でも、どこで?

 隣を見ると、エブリーは顔を顰めているだけでわたしのような違和感を持っている様子はない。


 思い出しそうだけど。思い出せない。

 いや、すごく嫌な予感がするから思い出したくない。


「くさい」


 堪え切れなくなったようで、エブリーがぼそりと呟いた。

 その気持ちすごく分かる。かなり臭う。


「僕たちなぜ呼ばれたのでしょう? 早くこの部屋を退出したいです。肥溜めに誤って足を踏み入れてしまった時と似た匂いがします」

「園長、わたしも少しくらくらしてきたので要件を早くお伺いしたいです」

「お前ら、俺だってこの部屋の臭いは堪え難い。そんな部屋に朝から滞在している俺を労ってもいいんじゃないか?」

「早く要件を仰ってください」


 ぴしゃりとエブリーが言った。全くの同意見だ。

 嫌な予感はまだ付き纏っているが、この部屋から退却するのが先決だ。

 そう思った矢先、上司殿がすごくいい笑顔で言った。


「じゃあいうぞ。先日隣国から麝香鹿が届いた。隣国と国交のある国の珍品だ。ご機嫌伺いで持ってきたものだ」


 うわぁと嘆きの声が口から漏れる。思い出してしまった。


「察しがいいな。香水作り頑張れよ」

「やっぱり」

「どうしたんですか先輩?」

「この臭いの元凶は麝香鹿の香嚢って部位。それは香水の原料にも使われて、所謂ムスクのことなんだけど。わたしたちの部署って香水作りもしてるの。それも、研究班じゃなくてなぜか薬草園が」


 話の流れが分からないのかエブリーはきょとんとしている。


「そんなこともしてるんですか。薬と調味料の元になるハーブを育ててるだけじゃないんですね」

「エブリーよく聞いて。香嚢が香水の原料で、わたしたちはお仕事で香水作りを依頼されているわけ。この臭いを薬草園に持ち帰らないといけないってことなの」


 そこまで言うと途端にエブリーは悲壮感たっぷりの表情をした。

 確かに強烈な臭いだから気持ちはよく分かる。ついでに、薬草園には備え付けの実験室擬きはあるが保管庫はない。しかもその部屋で香水作りをするのだから、戻っても臭いから解放されることはない。


「諦めも肝心だ。それに、ムスクが手に入ることは滅多にない。いい勉強になってよかったな」

「分かりました。麝香お預かりしますね」


 仕方ない。

 小さな木箱に入れられた物を受け取る。部屋を退出しようとドアノブに手をかけたその時、思い出したように上司殿から声がかかった。


「他の部署や城下の職人と作業してもいいぞ」

「珍しいですね。連携もアリですか?」

「新作を隣国に渡す手はずになってるらしい」

「わたしとエブリーが新作を作るんですか?」

「当たり前だろ。だから、頑張れと言ってる」


 隣国へのお返しというわけか。今まで香水作りなど数えるくらいしかしたことがない。

 慣れた職人に意見を聞いていいとなれば、それなりのものが作れるかもしれないが、それでも望む品質のものが作れるかは謎だ。

 この国では精油はそれなりに歴史があるが、動物性の、特に麝香を使っての香水はあまり作られないため技術が進んでいない。

 だが、命令とあらばしなければいけないのが下っ端の悲しい性、せめて納期だけでも聞き出そうと尋ねると、それも要領を得ない答えが返ってきた。


「一月以上半年未満。詳しいことは俺にも知らされていない」


 何だそれ。それに一月となればまともな製品は開発できない。既製のものに手を加えるくらいにした方がいいのか。

 唖然とするわたしとよく分かっていない様子のエブリーを尻目に、上司殿は机にある書類と向き合い出してしまった。

 もう仕事に戻れと言うことだろう。

 仕方なしに今度こそ部屋から退出した。



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