後輩
上司殿のせいで台無しになった後輩とのファーストコンタクト。もう一度やり直したいところだが、時間は待ってくれない。
始業時間まで後もう少しだ。早々に執務室からでて薬草園に向かうことにした。
「君、随分早いね。わたしはマリオン、君の上司になるのかな。もう一人、老父がいるんだけど、彼はお年だからあまり来られない。小さな園だけど、基本二人だけだから忙しいよ。まあ、よろしくね」
植物園から薬草園までの道を歩く。少し離れた場所にあるから、自己紹介をしながら通りがかる建物の説明をしておく。
少年は、わたしより常に三歩以上、下がった場所を歩いていた。警戒されているのだろうなあ。
それが、貴族だからなのか、女だてらに仕事をしているからなのか、その両方なのかは判別がつかない。ただ、これから一緒に仕事をするのだから、早く仲良くなりたい。
距離を取られると話すのも辛い。
「よろしくお願いします。僕はエブリー・スワ「よろしく。そう硬くならないでいいよ。あと、ここではファミリーネームは言わない、そういうルールだから。上司殿が口を滑らせたけど、わたしが貴族の出だということも口外しないでね」
エブリーの言葉に被せるように話す。ファミリーネームなんて聞いてませんよ。
ついでに、釘を刺しておこう。わたしが働くことで悪目立ちすると、ノエルに迷惑がかかる。
でも、聞き取ってしまったファミリーネームの一部を一瞬考えてしまったのは許してほしい。この国では庶民にもファミリーネームはあるが、数が限られている。そこにスワと付くものはなかった。
スワンソン、スワルウェル両方とも爵位持ちだ。貴族の子弟が部下とか、なんだか気が滅入る。
部下に付くなら庶民の方が楽だ。気を使わなくていい。向こうもわたしを庶民だと思うし、なによりそのように振る舞えばいいから。
でも、上司殿がバラしてしまった。
令嬢として見られるのには慣れていない。でも、向こうはわたしを令嬢として見るだろう。そして、怪訝な顔をするに決まっている。
頭がおかしいとか言われたらどうしよう。
「わかりました。えーっと、僕はどのようにお呼びすれば?」
「好きなように呼んでいいよ。ただ、お嬢様とかはなしだから」
強めにそういうと、ふふっと笑い声が聞こえた。立ち止まり、三歩後ろを歩くエブリーを振り返ると、笑っていた。
え、すでに変な子認定されてる?
いや、でも、突然笑い出すのも大概変な子だと思うけど?
少し固まって見ていると、エブリーと目が合った。視線が交錯する。
そこで初めて、彼の容姿をまじまじと見た。
耳にかかるくらいの赤銅色の髪。瞳の色は深緑を思わせる。背丈はわたしよりも低いが、成長期だろう事を考えれば、平均的な身長だろう。
というか、多分十代前半。そんな気がする。
服装も貴族というよりも商家の坊ちゃんという感じだ。
仕事着にゴテゴテしたものを着るのは実用的ではない。それでもわたしが所属しているこの植物園は制服に規定がないため、初めて来る場合は妙に気取った服を着てくる輩が多くいる。
その点、この少年ときたら貴族とは思えないほど控えめな衣服に身を包んでいた。
もしかしたら、同類かもしれない。
「では、マリオン先輩とお呼びします」
にこりと目を細めた笑みは無邪気で、やっぱりお子様に見える。それでも、倍率が高い王宮の職に就くくらいだ、きっと何か才能があるのだろう。
「わたしもエブリーと呼んでいいかな?」
「ええ、どうぞお好きなように」
ふわりと笑う様はとても子供っぽく、とてもそんな風には見えない。
しばらく歩くと、薬草園が見えた。
「ここが薬草園。園が小さいから、研究用の部屋はあるけど控室はないの。小さいけどガゼボならあるから、休息を挟むときはそこで取って。老父はあまり来ないから、二人だけだし好きなように使っていいよ」
草木に隠れ、四人ほどしか座ることができないガゼボが一つぽつんとある。
好きなようにとは言ったものの、あまり何もできないだろう。なんせ、テーブルもついているのだが、それも一人用と思える小さな丸テーブルだけだから。
「今日は、園で育てられている草木について説明して、雑草抜きして終わり。器具の説明とかは明日以降にするつもり。それでいい?」
「よろしくお願いします」
それから植えられている植物について説明した。ほとんど知っている植物なのだろうか、特にメモも何も取っていないことがほとんどだ。
時たま思い出したように質問をして、それを書きつけていることはあるが、だいぶ知識があると見て間違いない。
年の割に有能だ、だから雇われたのだろう。そう思ったが、それは午後の雑草抜きの時に覆される。
「え、ちょっと、たんま!」
雑草が踊っている。根を足のように動かし、地を走り、一箇所に集まった。そこで力を失い、積み重なっていく。
別に比喩的な何かではなく、現実に起こっている事を忠実に言い表すとそうなってしまう。
事の発端はエブリーが、雑草をもっと簡単に早く抜くことができる、と宣ったことから始まる。
確かにいつもいつもしゃがんでちまちま抜くのは面倒だったこともあり、じゃあやってくれと頼んだのが間違いだった。
何事か聞き取れない言葉を唱えたかと思ったら、地面が揺れ、そこらにあった雑草に魂が宿ったかのように動き出したのだ。
「え? こうすれば楽ですよね?」
「そうだけど、これ抜いた後、地面がデコボコになってるし、第一いきなりされると地面が揺れて驚くって!」
「声、かけましたよね?」
「魔法使いだなんて思わないでしょう! それにどうするつもり?! このデコボコ土」
小さな炎を灯すとかそよ風を起こすくらいの魔法でも、使える人は一割くらい。それをこうも自由自在に草木を操るレベルだとどれほど貴重だろう。
魔法を多少使える程度の人の中でも一握りしかいないのではないか。なるほど、これほど珍しい能力であるから採用されたのだろう。
だが、それなら宮廷魔術師でも目指すのが普通だ。なぜ、こんな園で就職しようとする。
「土は、草たちに均してもらいましょう。先輩もせっかくだから手間を省きましょうよ」
わたしの戸惑いなんて全く意に介さず、にこりと笑う。さっきまで、デコボコだった土が、抜けていく草によって均されて、綺麗な畝を作り上げていた。
確かに楽だ。精神的にどっと疲れたけど、体力的にも時間的にも、便利すぎる能力と言える。
「なんで、魔術師目指さないんだ……」
その声が聞こえたかはわからない。ただ、エブリーは少し困ったように、苦い笑みを浮かべていた。
そのあと、時間が余ったから、明日するはずだった器具の説明の一部をしてから解散とした。
やはりというか、メモを取らない後輩だった。